アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

基本の運動→活元運動  

 

 ここ数日、活元運動(普段からほぼ毎日)をする前に、平均化体操の基本の運動をやっている。自分で言うのも何だが、私は活元運動の訓練は長い間行っているし、それなりの水準にあるので、活元運動とその体感を「ものさし」にして基本の運動を観察してみようと思っている。だから一般化して「良い悪い」を言うことはできないけれど、私が最初の三日間で思ったことを書いておこうと思う。

 基本の運動→活元運動を最初に行なった日は、その後すぐに寝たのだけれど、横になってから胸椎五番(D5)の痛みを感じた。D5が硬くなったのは数時間前、電話での母とのやりとりでカチンときたのを我慢したからだ。でも痛みを感じるものの、呼吸が楽になっていくのが分かった。

 二日目、この日は一日中気を張り詰めて動いた日で、特に疲れていた。

 基本の運動→活元運動を行うと、脚の運動が良く出て、「こんなに脚が疲れていたのか」とその時やっと自覚した(精神的緊張を脚の疲れとして感じるのは体癖習性)。まだ早い時間だったけど、眠くなってすぐ寝てしまい、その後のことは全く分からないぐらい熟睡した(でもちょっと寝すぎた)。

 三日目、動きの中で緊張が弛緩に移る時に注意しながら基本の運動をし、活元運動に入る。昨日はちょっと注意力が落ちていたので、この日は集注するようにした。

 活元運動は自分の中心軸がはっきりしていて、「動中静」という感じがする。肩の動きが大きく、胸が拡がるように感じた。このところ文章をよく書いているからかもしれない。

 その後、しばらくして布団に入ると、呼吸が深くなっているのをよりはっきりと感じた。次の日目が覚めると、肩が弛んで下りていることと呼吸が深いことに気がついた。眠りも深く、目覚めも良かった。自分の内側が静かで「大人」になったような気がする(もう、いい年だけど)。

 三日間限定で言うと、この基本の運動には「呼吸が深くなる」という特徴がある。私のこの三日間の偏り疲労が呼吸器絡みだったからかな?でも、なにか呼吸にはたらきかける作用があるように思う。

 

 

平均化体操の基本の運動を活元運動の前にやってみる

 先日参加できなかったこともあり、平均化体操の基本の運動は、台所に立った時などに時々練習していたが、今日になって、ふと「平均化体操の基本の運動は、活元運動の前にやるとどうなるんだろう」と思った。

 平均化体操の基本の運動(名前があると思う)は「緊張」と「弛緩」で言えば緊張の方向にある運動という感じがしていたので、これまで活元運動とはあまり結び付かなかった※が、実験してみることにした。

 活元運動に入る前なので、立姿はやめて坐姿でやってみた。我ながらちょっと上手になったかな?という気がする。それと腰椎がこの運動でどう動くかも、触って確かめてみた。

「上がる」と「下がる」で言えば「上がる」の方、やはり緊張の方向だと思う。ただ、この辺りは先生に聞いてみないと正確なことは分からないし、自分で自分の腰椎を触ってみてのことなので、今度誰かに触らせてもらわないとはっきりとは言えない。

その後、活元運動に入ってみると、リズムもいいし、切れがいい。動きが軽いような気がする。「明るい運動」という感じだ。終わった後のすっきり感もいい。

 最初、ちょっと意外だったけれども、よく考えてみたら本来、活元運動は背骨、特に腰椎の運動なので、そこが動けば活元運動にいい影響があるのはそんなに不思議でもない。でも私は基本の運動の中にあるなにかが、ちゃんと捉えられていないような気がした。活元運動にいい影響があったところから推測すると、すでにやっているのだけれど意識化できていないのだと思う。

 多分それは、緊張から弛緩に移る「間」で、上手になればもっと緊張と弛緩がはっきりしてくるのではないかと思うけれど、まだよく分からない。ちょっと動きにばかり気をとられていたかな・・・と思った。もうちょっと練習してみよう。

 ※一般に活元運動は、愉気で「弛緩(弛む)」の方向に誘導することが多い。

 

 

活元運動の意味

 私がなぜ活元運動の前に行なう体操を考え始めたかというと、私が整体の先生から学んだ個人指導のあり方と関係がある。

 私の整体の先生は、若い頃はやっていたようだが、後年、活元運動の会をやっていなかった(奥様が今から15年程前から始めた)。その代り、個人指導の中で活元運動が大きな役割を占めるようになっていった。

 大雑把に言うと、全体に愉気を基本として、身体から(気を通して)心情を読む観察、心理療法的な対話、骨盤部を中心にした操法を通じて、活元運動が闊達に出る身心に導き、腰が入る状態で終わる、というのが先生の個人指導の型だった(もちろんこれ以外の形もあったが、およそ)。

 身心共に深く関与して活元運動を誘導する先生の指導によって、私は活元運動の本物の領域と質というものを知ることができたが、先生にも悩みがないわけではなかった。そうやって相手に深く関わり活元運動を誘導することで、「活元運動は先生が出るようにしてくれるもの」と思うようになってしまう傾向があったのだ。それは活元運動の本来の精神からは外れた理解だった。それで、先生は晩年、身体感覚を高めることと、瞑想的な意識を深めること、無心・天心を活元運動の目的としてよく話すようになっていた。

 私は先生の個人指導を受け継ぐことは早々に確信していたが、活元運動の会はどのようなあり方がいいのか、については、あまり理想を持っていなかった。

 しかし、平均化体操の会の一週間ほど前にあった個人指導で、私は「先生(私のこと)がいてくれるから安心して活元運動ができるし、誘導してくれないとできない」と言われてしまった。その人は「一人でやると運動が出るのが怖い」とも言った。私ははっとして言葉に詰まってしまった。

 その人には腰椎の軸がないし、頭が過敏で身体感覚が鈍く、身心の統合性は低い方だから、必要な活元運動が出るようにするにはかなり関与しなくてはならない。でもそうすることで、その人と活元運動の関係が本来のあり方から離れてしまうことがあるのだ。私の個人指導は先生の型を踏襲しようとしているから、進歩といえるかもしれないけれど、先生と同じ課題にぶつかったと思った。

 そして、私は「活元運動の会をやろう。自分にとって意味があると思える指導のあり方を考えよう」と思った。それで、「出待ち」をしている間に、自分が途中で投げ出してしまった、身体感覚を高めるための体操を考えようと思いついたのだった。

 

 私はちょっと前に「どうやら私は平均化体操に動かされているようだ」と書いたけれど、ここまで書いてみて、それは「自分の課題がはっきりしてきた」ということなのだと思った。まだちゃんとできるわけでもないのに、なぜそうなったのかまだよく分からないのだが、そういう気がするのだ。

 先生が亡くなるという、私にとっての非常事態と言える「時」が底にあるのかもしれないし、これからどうなるか分からないから、まだ誰にも話す気にはなれない。でもこの頃、よい空想ができるようになってきたと思う。

 

活元運動のための体操 再開  

 

 昨日、長く通っている人が個人指導に来たので、私は「活元運動の前にする体操」をもう一度教えてみることにした。

 この体操は、前屈みで鍬を持ち、畑を耕すおばあちゃんが、うーんと腰を伸ばして休息する時の姿をヒントに考えたものだ(何て単純素朴なんだろう)。

 だから立姿が最初の形なのだが、今回はまず坐姿で、頸椎、胸椎と徐々に力を抜きながら体を後ろにそらせ、腰椎三番に体重を乗せるようにしていった。うまくいくと仙椎部まで降ろせるが、この人は腰椎三番までだった。

 でもずっと以前に教えた時には、最初の頸椎が硬くて後ろにそらせることができなかったのに、今回、背骨がしなやかになっているのが分かって嬉しかった。生理的湾曲の曲線も自然に流れるようになることが確認できた。これは以前、分からなかったことだ。

脊椎の生理的湾曲の線は背骨の弾力を表わしている(と、私は思う)。これは整体の先生は同意してくれたが、野口先生が生理的湾曲について述べている資料というのはまだ見たことがない。探してみようかな。

 立姿でもやってもらった。力を抜きながら体をそらせ、膝を曲げ下体で体が倒れないようにしっかり支えるようにする。この方が体重がぐっと腰椎三番に乗って、下体に力が入るのが分かるという。ただ、以前の経験から、背後の身体感覚がない人や下体で体を支えられない人、不安が強い人は、立姿で後ろに体をそらせるのを怖がることがあるので、気をつけようと思う。

 今回の反省点としては、私が手で触れて介助する部分がかなり多くなってしまったことだ。もうちょっと言葉で感覚と動きをリードしていけるようにならないと、人数が増えた時難しいと思う。私はもともと「さわり魔」で、手で触れるのが好きなため、すぐ体に触って教える方に行きがちなので、これは気をつけよう(整体の先生によると、手で触ってものを捉えようとするのは体癖習性なのだそうだ)。

 そして、次の指導まで自分でもこの運動を続けてもらうことにした。活元運動に対する効果は次回分かるかもしれない。

 呼吸と骨盤の動き(開閉と前後)の体操は、全身呼吸を教えるのにはいいのだけれど、活元運動の前に行なうことでの効果は、もうちょっと自分で研究する必要があると思う。また、ある人に「なんかHっぽい」と言われたことがあるので、ほかの人にも要確認(その人個人の問題に違いない)。

 うーん、書いてみるとなんだかちょっと馬鹿っぽくて、平均化体操の先生に見せるのは無理かな・・・。でも何とか、自分が使えるものにはしたい。

腰椎三番の心理

②私が体操を考えていた頃

 こんなことから、私は活元運動の会が「もうちょっと何とかならないかな」という思いを以前から持っていた。それには身体感覚に注意を集めて、自分の体の状態を把握する内観的(体の中に降りていく瞑想的)な要素を教えていくことが必要なのではないかと思った。その中でも腰椎を捉える感覚は基本となる。

 それに今、脊椎の生理的湾曲※が少ない人、また腰椎の身体感覚がない人が増えている。骨盤を起こすことがない、または腰の感覚がない人が多いし、邪気の吐出が難しいくらいに呼吸が浅かったり、重心も高く、頭が過敏になりがちだ。体重を足腰に乗せ支えることを知らない人がいるし、正坐ができても腰に上体を据えられない人が多い。

 これは一言でいえば身体的に発達していないということなのだが、整体を教える土壌である身体が、野口先生が生きていた時とはこのように変わってきているのだ。

 でも、感じられなければ自覚のしようがない。それで私は、活元運動の会で行う、腰椎の身体感覚を持てるようにするための体操を考えていた。私が某整体指導者から野口晴胤氏の体操の話を聞いたのはちょうどその頃で、これは私が興味を持ったもう一つの理由でもあった。

 最初に私が考えた体操はちょっと脱力系?で、坐姿か立姿で上体を少しずつ反らせ、体重を腰椎に乗せていく単純なもので、次に呼吸と骨盤を中心にしたものも考えた。教えたこともあったが、やった人の感想はなかなかで、中学以来の便秘が治ったという人もいた(ただしこれは副次的効果)。

 でも、野口先生が説く行法ではなく、自分で考えたことを教えているというところで、先輩の批判を買ってしまった。先生の考えとしても、お前がもっと脊髄行気法をしっかりやって、ちゃんと教えられるようになってからにしろということだった。「L3やわい」くせに長いものに巻かれることができない私を心配してのことだったかもしれないが、私の体操設計はそれきりになってしまったのだった。

 そういう自分のことを振り返って平均化体操のことを思うと、探究を続けた先生は強いな・・・と思う。これも腰椎三番の違いかな。私は身を引いてしまうのだ。前々回「孫だから何?」なんて書いてしまったが、これでは「お前のL3こそ何だ!」である。やっぱり出した気は帰ってくる・・・。

 もう一回、活元運動の前にやる体操を考えてみよう。機会があったらそれを先生に見てもらおうかな?とふと思ったら、少し気が晴れてきた。

 

 平均化体操の教室から人が出て来た。終わったようだが、出待ちをしていても先生は見えないので、部屋に入ってお詫びをして、帰ることにした。私はこういう情けない時、「心でも体でも、異常を異常と感じれば治るのです」という言葉を思い出して気を取り直すことにしている。来月は、参加できますように・・・。

※脊椎の生理的湾曲 下図のように、脊椎は成長とともにゆるいS字を描くようになる。直立二足歩行はこれによって可能となっている。L3のLは腰椎(lumbar 1~5椎)のこと。

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腰椎三番の心理

①平均化体操の会 4回目ならず

 平均化体操は四回目に入る予定だったが、あろうことか!私は開始時刻に間に合わず、会場には行ったもののすでに始まっており、参加見送りとなった。もうがっかり・・・。やわい腰椎三番がさらに抜けてしまうくらいがっかりしてしまった。

 焦点となる腰椎に当りがついてきて、基本の三つの運動がなぜ上手くできないのかが分かってきたので、聞いてみたいこともあり、愉しみにしていたのに。

 でも折角来たのだし、先月、先生に「来ます」と言ったので挨拶だけでもしよう、と初めての「出待ち」をすることにした。椅子に座ってこういう失敗をする時は、どういう潜在意識なんだろう?と振り返ってみると、木曜日、土曜日の夜と続いた、私の所属する会での嫌な出来事が思い出された。

 今、会での私の立場は微妙だ。生前、整体の先生は弟子の中では最年少の私を傍から離さなかった(私も離れなかった)ので、年上の弟子たちや奥様から反感を買っていた。実際は、先生の私に対する要求水準は他の弟子に比べてかなり高い面もあったのだが、そういうことは見えないもので、私ばかりを可愛がっているようにしか受け取られなかった。

 そういう一連の空気と、その中で起きた出来事に、私は自覚している以上のショックを受けていた。そのショックに支配されていたために、ぼんやりして東海道線の鈍行に乗ってしまい、しかも気づいた時はすでに品川だった・・・(言い訳だけど、私は普段、車なので電車は良くわからない)。

 こんな風に、「今、ここ」から離れてしまうのも腰椎三番の問題だ。こうなると、所属する会のつまらない人間関係が、自分の世界のすべてではないことも分からなくなってしまう。今回のように大切な機会も逃してしまう。

 

 私は出待ちをしながら活元運動についての文章を書くことにした。

「活元運動」とは言わずと知れた野口整体の中心的行法だが、これがきちんとできるようになるというのは相当修練が必要だ。もっと言ってしまえば、腰椎の感覚も腰椎の軸もない人は、活元運動だけで健康保持をするのはそもそも無理ではないかと思う。必要な運動が切れ良く出るには、骨盤と腰椎が気の力で立ち上がってこなければならないからだ(分かりにくいな・・・)。

 でも一般に、こういうことを活元運動を指導する人から聞くことはあまりないかもしれない。「自然にゆだねる」「無意識の運動」といった内容を強調されることが多いのではないだろうか。しかし、活元運動が本式に出る身心にしていくのは、個人指導でなければ難しいと思う。

 これをどう伝えたらいいのか?文章は進まなかった。

平均化体操三回目までのまとめ

 まだちゃんとできるようになったわけではないけれど、これまでを振り返って、どうやら私は平均化体操に動かされているようだ。整体の先生よりずっと若い先生だし(私より若そう)、私もそれなりに整体はやってきたから、「孫だから何?」位の負け惜しみを言いたいような気もなくはないけれど、「事実は真理」である。

 そして、いくつになっても、「先生」と呼べる人がいるのは幸せなことなんだな・・・とつくづく思う。

 私がこれまで指導を引き受けた人の最高齢は89歳だが、このおじいさんは最初の指導から亡くなる4カ月前までの一年半の間、はるか年下の私のことを先生と呼んでくれた。私が「名前で呼んで頂いて結構です」と言っても、この年になって「先生」と呼べるのがうれしいからと言って、先生と呼び続けてくれた。

 その人は若い時、野口晴哉先生の講義を聞きに行ったことがあったけれど、本部道場の後ろのほうで話が良く聞こえず、それきりになってしまったという。どういうわけか気が合って、私の拙い整体の話を興味を持って聞いてくれ、「死んだらどうなるか」など死についての話をよくした。

 おじいさんは旧制中学時代、肺浸潤(結核の初期。抗生物質がなかった当時は怖がられていた)を起こして入院したが、病院から脱走したことがあるそうで、「あのまま病院にいたら死ぬと思った」と言った。そして亡くなる日、救急車で搬送されてすぐ、救急医療も受けることなく亡くなった。

 この人との時間は私が指導をしていく上での支えになっていて、心から感謝している。でも、今になってやっと「先生と呼ぶのがうれしい」と言ったおじいさんの気持ちが分かるようになった。先生と呼べる人がいるというのは、素の自分になれるということなのだろう。だから今、私は平均化体操の会では、ずっと生徒でいたいな・・・と思っているところがある。

 こんなことを言うと、整体の先生に「整体指導をする者がそんな〈甘えた(甘ったれ)〉ではいかん!」とまた怒られそうだ。確かに今回、長きにわたっての試練ではあったけれど、こんなに偏り疲労にはまって脱出に手間取ってしまったのは、やはり腰椎三番の問題があると思う。自分ではよくなってきたつもりだったのだが・・・。

 これは生前、先生によく言われた「型、そして丹田の問題」であり、今後のことを考えると大問題だと反省している。先生が元気で、いつも傍にいた時、私の丹田は先生の借り物同然だった。これからは自分のL3と丹田を拠り処に生きていかなければならない。でも、私は先生を失ったわけではないと確信するようになった。

 整体を学び始めた頃、野口先生が「関節可動性と心の自由」※について述べている文章を読んで整体の観方の深さに感動し、そのことを整体の先生にお話ししたことがある。すると先生も入門したころ、初等講座で「関節可動性と心の自由」というのがあったのが印象的だった・・・と話してくれた。

 きっと、次なる私の課題はL3の可動性(弾力)と心の自由、なのだと思う。そして私の「L3のやわさ」を平均化体操で鍛錬できるかな・・・と思っている。

※関節・・・野口整体では、手首足首・肩・膝・骨盤などとともに、一つ一つの椎骨も関節として見、その可動性を観察する。身心一如の整体の観方では、関節(身体)の可動性と心の自由度は一つであるということ。

〈補足〉

深く眠れば 弛む也

弛めば 休まる也

休まれば腰椎三に力充つる也

腰椎三の力 丹田に於て観る也

指を当て 息を吸いしむる也

野口晴哉(「月刊全生」扉)