アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

死・死生観

生と死の連続性

前回、知人の写真家が制作したMVを見たことについて書いたが、あれから私の中で変化が起きている。その写真家は自死したこともあって、私が思い浮かべる彼女の顔は、自分の苦い思いに色づけされて、何となく寂し気で表情が暗く、止まっている時間の中にいる…

死者との対話

12月8日(ジョン・レノンが亡くなった日)前後に、ポール・マッカートニーのインタビューをいくつか読む機会があり、その中に次のような記事があった。 (曲を書いていて)『これ、どうなんだろうなあ』って行き詰まると、部屋の隅にいるジョンに向かって曲…

晴風万里 理想のお墓について

先日、地元の乾物を送ってくれた友人に、お礼状を兼ねてムーミンのクリスマスカードを送った(ムーミンに似ているため)。 15日のWHOの発表によると、「サンタクロースは高齢者だが、新型コロナウイルスの免疫を獲得した」とのことで、まずはめでたいことで…

あの世とこの世の間

先日、京都に行く機会があった。 京都は今、外国人観光客がおらず、ニュースなどで時折見る光景とは全く違っていた。でも、やっぱりお寺などは静かで人もまばらなのが本来の姿なのだと思う。 京都で野口整体と縁の深い所と言えば祇園の建仁寺(臨済宗本山)…

死についての学び

前回、自死をすると、死後、苦しむことになるという霊的、宗教的な教えは信じられない、と書いたが、その後、若い俳優の自死が報じられた。 それで、私の今の気持ちとしてもう少し補足してみると、事故死や病死などは仕方がないが、自死は罪深いとか、そうい…

もうひとつの世界

他界論と霊学 私は学生の頃から民俗学に興味があるのだが、それは15才の時の祖父の葬儀がきっかけだった。 大工の棟梁だった祖父の葬儀は、もちろん長男が取りしきったのだが、この時、長女だけが行うとされている葬送儀礼を行ったという話を聞いた。それは…

私の死生観試論

死という治癒 私の手元に『癒しを生きた人々 近代知のオルタナティブ』(専修大学出版)という本がある。これは、明治~昭和初期の近代化過程で起こった岡田式正坐法(修養法)、森田療法(心理療法)、大本教(新興宗教)、マクロビオティック(食餌療法)…

自然な死とは―死についての対話 2

自然な死とは 前回書いたようなことを書くと、やっぱり私も落合×古市氏対談のように「僭越」と批判されるのかもしれない。それぐらい、死については人それぞれの思いがあって、一つの枠に収まることではない。 でも、いつか死を受け入れなければならない時が…

死生観をもつ―死についての対話 1

死生観をもつ 今年の始めごろ、落合陽一氏と古市憲寿氏が行った対談(『文學界』文藝春秋)で、後期高齢者の終末期医療の問題について語った内容が批判を浴びるという出来事があったという。先日、その記事を今頃になって読む機会があった。 「医療費削減の…

体を立て直すことと立ち直ること

昨年は整体の先生が亡くなるという、私がこれまで生きてきた中では最大の衝撃ともいえる出来事があった。しかしその後、心と体を立て直していく過程で、「脱力」と「偏り疲労の調整」という整体の智慧がこれほど有難いものか、と身を以って再認識することに…

眠ることと「死」

少し前に、やっと会うことが叶った修験僧について書いたが、先日、その人の行う御護摩(※)にお招きいただき、参加させて頂いた。通常、御護摩は月末なのだが、今月は偶然、私の整体の先生の月命日に行なわれることとなったのだった。 参加するのは初めてだ…

野口整体の死生観

先生が亡くなる前日の早朝、先生が救急車で搬送されたという連絡が入った。私は先生には道場で最期を迎えてほしいと内心切望していたが、それは叶わず先生はICUに入ったのだった。 私は医師の説明が行われる場に同席することになった。もう治療をする段階で…