アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

どんぐりの草木染

 今日は働いている施設の畑にどんぐりを採りに行って、それを使って草木染をした。今習っているコサージュ作りで絹布を少し染める宿題が出て、久しぶりに草木染をやってみることにしたのだ。

 まだ木に付いていた新しいどんぐりを木づちで叩いて煮出すと芳しい匂いが立つ。20代の頃はよくやったが、本当に久しぶりの草木染で感慨深かった。鉄媒染のどんぐり染めは優しい茶味のグレーで昔は橡(つるばみ)色と呼ばれた色の薄色だ。

 本当は施設ですごく嫌なこと、悲しいことがあって、久しぶりに体調を崩して発熱し、朝起きられない位になってしまった。まさに退職5秒前という状態だったが、何とか気持ちを落ち着かせることができた。何だか自分の原点に立ち戻ることができたような感じがする。

 これから染めた絹布に糊入れし、裁断するのだが、使う糊はなんとゼラチンである。私が習っているのはフランスの古典的技法なのでコーンスターチなどの昔からある天然素材なのだ。

 古くは教会の修道女がバザーのために作ったコサージュの作り方だと言う。ヨーロッパではワインやお菓子、手芸など教会由来のものが多いが、カトリック教会は完全独立採算制で、バザーで資金稼ぎをする必要に迫られてのことらしい。

 以前カトリックの神学を学んだ人から聞いた話では、学校であってもヴァチカンから資金が入ることはなく、ドネーション(寄付)を募るのだそうだ。

 なかなか厳しい父性的宗教だと思うが、薬物依存症施設の中にはカトリック教会から支援を受けている所もあり、その分自由度も高いのかもしれない。

 まだ月曜日が来るのは憂鬱で、逃げ出したい気もするけれど、何とか普段通りの朝を迎えられそうな気がしている。

 

 

初心

 先日、手描き手ぬぐい作りの教室に行って来た。東京の良いところはこういう教室がすぐ見つかることだ。

 手ぬぐいの白生地に直接筆で書いていくのだが、これがなかなか面白くて、施設で障害者と一緒にやったら絶対楽しい!と思える内容だった。筆で布に描いていくのは少し修練が必要だけれど自由度が高く面白そうだ。

 その帰りにビルの2階にある和室を貸しますという貼り紙を見つけた。日本橋とは思えない安さ、そして活元運動の会ができそうな広さで、思わぬ発見だった。たまには都心に出てみるものである。

 そして今、私は施設で有機農法の畑をやっているのだが、今日はそちらでも発展的な良い出会いがあった。

 20代の頃、私は畑をやりながら染織や陶芸をする生活をすることを夢見ていた。それが形を変えて、忘れていた頃に現実になりかけているような不思議な感じがしている。

 今日の活元会では、私も一緒に活元運動をやってみたらこれまでにない運動で、私の裡でも変化が起きているのかもしれない。

 こういう色んな出会いがあって、ケミストリー(科学反応)が起きそうな予感がするというのは幸せなことだとつくづく思う。

 年齢を重ねても、生きている限り生きて、動いて、変化する体であることは変わらない。禅の心は初心者の心(Zen mind.Beginners mind)という言葉を久しぶりに思い出した。

 

 

 

時間の花

 今日はコサージュを習う日。このところ花びらの成形に取り組んでいた。

 昔ながらの鉄のこてをアルコールランプで温め花を形づくっていくのだが、これがなかなか難しい。いくつも練習して一息入れている時、初めて陶芸を始めた18才の時を思い出した。

 あの頃はろくろの練習をしていて、ぐい呑み100個作れと言われて夢中になってやっていた。

 思えば去年は学生に戻って教室で勉強していたし、不思議だけどこの数年、若かった時に戻っていくような感じがしている。

 私は若い時の方が年取っているようなところがあって、小学校の時などは男の子にばあさんというあだ名をつけられていた。

 そういえばシュタイナーはある一定のところまで行くと若い時に戻っていくというようなことを言っていた気がする。あくまで心の世界のことだけれど。きっとそれは自分がより死に近くなっていることと関係があるのではないかと思う。年を取るとは、そういうことなんだろう。

 今、時間の花を作るというワークショップをイメージしていて、これはエンデの「モモ」に出てくる時間の花、一人一人の人間が持つ生命時間の花から思いついたことだ。

 泥の中から蕾が伸びて咲く時間の花は、刻一刻変化していてとどまることがない。その時々の心の花を作る…という内容を想像している。

 それから若い時やっていた手織りもまた教えたい。もう長い間、自分の表現としては機から離れているのだが、障害者に教えるというのならもう一度始めたいと思う。

 私が精神保健福祉士になったのは、30歳くらいの時、10代の息子が統合失調症になり資格を取って福祉の作業所(B型就労支援施設)を自分で始めたある女性に出会ったことも理由の1つになっている。なんだか心に強く残った点が、結ばれて線になっていくような感じだ。まだ面にはなっていないけれど。

 ともあれこてを使う練習をしなければ…。頑張ろう。

健康の原点

健康の原点は自分の体に適うよう、飲み、食い、働き、眠ることにある。

そして理想を描き、その実現に全生命を傾けることにある。

どれが正しいかは自分のいのちで感ずれば、体の要求で判る。

これが判らなければ鈍っていると言う可きであろう。

体を調え、心を静めれば自ずから判ることで、他人の口を待つまでもあるまい。

旨ければ自ずと、唾が湧き、嫌なことでは快感は湧かない。

楽しく、嬉しく、快く行えることは正しい。

人生は楽々、悠々、スラスラ、行動す可きである。

野口晴哉『風声明語』 

 

G・オキーフの花と9種体癖

 20代の終わり頃、私は知人からジョージア・オキーフの画集を借してもらい夢中になって見入っていたことがある。

 知り合いの売れない絵描きがその画集をふと目にして「オキーフだね、こういうの好きなんだ」と言うので、何か知らないけど今はまってると言うと、彼は「君の中にも同じものがあるんだよ」と言った。

 私は「そうかな…」と言いながら、自分の本質を言い当てられた気がして内心どきりとした。痩せても枯れてもやっぱり彼は絵描きなのだと思った。

 私がオキーフの絵に惹かれた理由はその絵の描き方にあって、彼女の画面いっぱいに拡大されて描かれた花の絵はよく知られている。

 私は植物や生物を見る時、対象だけに焦点を合わせ、近づいてアップで見る癖があるのだが、その時に見えるもの、感じることと同じことをオキーフが描いているように思えたのだった。

 私が見て、感じている世界のことは誰にも話したことはなく、じっとものを見るのも人に気づかれないようにしていたから、オキーフがそれを芸術として表現していることに心を打たれた。そしてオキーフに夢中になっていたのだった。

 そういう時期は長く続いたわけではなく、今見てもその時ほど心を捉えられたような気がしないが、オキーフは強い印象を残した画家だった。その後整体を始めてから、オキーフの身体つきと佇まいに開閉型9種が色濃く受け取られること、先に述べたものの見方は9種の特徴であることを知った。

 そして私は最近、どういうわけか花を作りたい!という要求が強くなり、ついにフランスのオートクチュールで使われるコサージュ製作技法を習うことになったのだが、これもどうやらオキーフの影響が現在にまで及んでいる気がする。

 分不相応に費用もかかるし、普段コサージュをつけるような服装もしていないのに、私は小さな頃からコサージュが好きだった。

 6才位の時、ピアノの発表会のために初めて小花のコサージュを買ってもらったのだが、たしかそれは手作り作家のもので花びらを染めてコサージュを作る教室をしている人だった。私は強い印象を受け、憧れたのだが小さかったから習う事はできなかった。

 そういう執念が続いているのも9種的と言えるかもしれない…。

 精神障害者の施設などで染織やコサージュ制作などを教えたいという夢もあって始めた習い事ではあるが、要求というのは心のエネルギーを方向づけるものであり、現実化へと動きつづけるのだなとつくづく思う。野口晴哉の言う通り「空想は現実をつくる力」なのだ。


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不登校のつづき

 先日、あるボランティアに参加し、そこでスクールソーシャルワーカーをやっている女性と話す機会があった。

 彼女は都内某市で働いているのだが、現在市内中学校のクラスで平均5〜6人位、不登校と言われる状態にある生徒がいると言う。1クラス38〜9人だから1割以上という事態だ。(起立性調整障害など何らかの診断が出ている場合は長期欠席者と言い不登校にカウントされないが、ここではそれも含むかもしれない)

 コロナ禍を経たこと、登校を強いず休ませることが一般的になったことで学校を休むことのハードルが下がったという面はあるようだが、それにしても大変な人数である。

 やっぱり現在の学校のあり方では子どもたちを教育するのは無理なのでは?と考えなければならない数だと思う。

 じゃあどうするの?というのはまだ模索が始まったばかりで、一人ひとりが自分の道を見出す手伝いをできる限りする、としか今は私も言えないのだが。

 また整体的な観点からは、基本的な身体能力(立つ、歩く、座る、避けるなどの運動と感覚の統合性やバランス)、身体内部感覚、感情、快感、要求を育てることなどを小さい時から育てていく必要があると思う。今の生活環境にはこういうことが自然に育つ土壌はない。

 それなしに中学生になってから突然「どうしたいの?」といくら聞いても解らない、答えられないことが多いのだ。身体の声が聞こえなかったり、身体と言えば不快感しか感じられなかったりするのでは難しい。

 ともあれ今学校に通えている子たちも、いつか自分の道を見出すためのトンネルを潜り抜けなければならない時が来るだろう。不登校の子たちは、それが早く来たのかもしれない。

 自分の目で見て、自分の手で触れて、自分の足で歩き出そう。そうそうこの間、糸井重里という人が「もはやホワイトカラーでもなく、ブルーカラーでもなく、これからはノーカラーだ!」って言ってたな。大人って言っても色々なんだよ!とみんなに言える人間でありたい。 

 

※お願い

 先のスクールソーシャルワーカーの話では、市内にある学びの多様化学校(不登校の子どものための学校)についての問い合わせが、市外に住む親から頻繁にかかってくるそうだ。その多くの場合、どの自治体にもある相談機関を知らず、ネットで調べて問い合わせてくると言う。

 公立学校は市内に居住している子が対象なので、いかに良い学校でも引っ越さなければ通うことはできない。まずは居住地域の自治体にある支援センターなどに相談してほしい。

 

夏の終わり

 ドトールでは+140円でソフトクリームをのせてくれるのだが、このコーヒーフロートが本当に美味しくて、このところついドトールに入ってしまうことが続いていた。

 しかし今日、コーヒーフロートを飲みながら、こういう冷たい飲みものは今日で終わりかな…とふと思った。やはりお盆が過ぎると夏も終わりで、暑くても陽射しや空気が変わってきている。

♪真夏のピークが去った〜(若者のすべて)という感じだ。次第に夜が長くなっていく。


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 そして、一学期の途中から学校に行けなくなったある男の子のことをぼんやり考えていた。

 先日、お母さんが子どもと若者の支援を行う市のセンターに彼の状態を相談し、子ども病院に相談することを勧められて予約を取ろうとしたら、予約が取れるのはだいぶ先だと言われた…という話を聴いた。

 14歳の彼は高校受験のこともわかっていて、二学期から学校に行かなければとも思っているようだ。しかし身体が動かない、動けない。苦しんでいる。

 学校は本人が休みたいだけ休んで構わないと言う、文科省だか厚労省だか、こども家庭省だったかな、そのガイドラインに沿って。しかしなんの手立てもない。

 その結果、児童精神科が不登校の受け入れ先になりつつある。

 神経発達症(発達障害)、抑うつ症、睡眠障害などがある場合も多いのでそうなってしまうのだが、不登校自体は病院で治療する対象ではないとも思う。

 学校のスクールカウンセリングだけでなく、子どもと若者に対する福祉的な相談支援を求めることを勧めたのは私だった。

 またその地域のこども病院は発達と心理については充実しているので、それも視野には入れていたのだが、やっぱりそう思ってしまう。

 全国的に不登校は増加の一途で、はっきりした理由(いじめなど)がある割合は低く、多くの場合は本人の意欲や自発性の喪失が理由だと言う。私がフリースクールに関わった20年程前からそれは変わらない。

 仮に理由があってもいろんなことが複合していたり、言葉で表現できなかったり、自分の心の中が漠然としていたりということもあるだろう。

 本人が自分の羅針盤を持って、自分でハンドルを握ることができるようになるにはどうしたらいいのか。そもそも適応の良い大人ってそんな腐に生きているのだろうか?

 ともかく今は、彼にベッドから出て、学校と家が世界のすべてではないことを知ってほしい。その手がかりとなる支援者にどうか出会えますように。

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不登校過去最多 こども家庭庁 専門の支援員を自治体に配置へ | NHK | 教育

百足に咬まれた

 先日、生まれて初めて百足に咬まれてしまった。

 以前、山の中に住んでいた時、20センチ級の個体が家に入ってしまったことが何度かあって、湯船に巨大な百足が浮かんでいるのを見て立ち眩みがしたこともあったが、不思議と一度も噛まれたことはなかった。

 しかし今回は5〜6センチ程の百足がズボンの中にいつの間にか入ってしまい、咬まれてからズボンを脱ぎバタバタはたいて、やっと正体を見届けたのだった。

 小さいとはいえものすごく痛くて、これはまずいと思ったが、ここが整体生活の賜物、無意識に右手が左腕の化膿活点という処(治療点)を押さえていた。

 咬まれたのは右脚だったのだが左を押さえていて、その手が自然と離れてから正坐して右側の化膿活点を押えた。そうして静かにしていると痛みは次第に遠のいた。

 しかし少し胸に違和感があったので濃い緑茶を飲み、一息つくことにした。後で調べてみると百足の毒は神経毒で全身に及ぶのだそうだ。その後、痒みは翌日まで少しあったが跡は何もなく経過することができた。

 百足というのは毘沙門天の使いで、姿を見るのは吉兆なので殺してはいけないのだそうだが今回は殺してしまった…。ごめんなさい。

 こういうことがあるとやはり整体の救急操法は有り難く、必要な処に自然と手が行く不思議さを改めて感じた。

 化膿活点をピタッと押さえるのは意外と難しくて、ここを押せば治りますとは簡単に言えないのだが(そういう風に書いてある本は多いけど)、やっぱり整体は「生きるための教養」だなと思う。

 でもなぜ今回、ちび百足に咬まれたのだろう?やはり色々あって気の乱れがあったことが理由だと思われた。こっちの気か立っているから攻撃されるのではないだろうか。

 それにしても痛かったな…。皆さんもお気をつけて。↓毘沙門天と百足の御札


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