アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

自分が変われば世界は変わる

自分が変われば世界は変わる

人間は楽々悠々生きていることが自然だ。

むずかしいことを敢えてやりたくなり、苦しいことを敢えて耐える時は、そのことをその要求するが如く行なえ。苦しいこと、むずかしいことに取り組んでいる中にも、快があることを見出すに相違ない。

いつどんな時に於ても、楽々悠々息していることが、人間の自然というものだ。

 

苦しんでいることと、楽しんでいることは違う。

だから、苦しいことを楽しむなんて無理だという人がある。

しかし、雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、その雪の山道を楽しんで登る人もある。

その人々は重いスキーの道具を軽々と肩にしてゆく。

だから苦しい楽しいは心にある。

 

働かされることは辛いが、働いていることは楽しい。

だから働かされているつもりにならないで、自発的に働くことが肝腎である。

冷たい水でも、浴びせられれば風邪をひくが、自発的に浴びれば風邪をひかない。

めしでも食えなければ餓死するが、食わなければ断食して、丈夫になる。

 

まず自分から動くことだ。自分から出発することだ。

しかしその意欲も、背骨が弱いと生じない。

脊髄へ息を通すと自発的に動きだし、世界は為に一新する。

この世にどんなことが起ころうと、どんな時にもいつも楽々悠々息しつづけよう。

そしてこの心ができた瞬間から、小鳥は楽しくさえずり、花は嬉しそうに咲き、風は爽やかに吹きすぎる。

雪は白く、空は蒼い。

黒い雲のむこうはいつも蒼い。

 

世界が変わったのではない。自分が変わったのである。

自分が変われば世界は変わる。

自分の世界の中心はあく迄も自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。

自分がこの心を持ちつづける限り、この世はいささかも変わらない。

なんと楽しいことではないか。

自分の欲する方向に心を向けさえすれば、欲する如く移り変わる。

人生は素晴らしい。いつも新鮮だ。いつも活き活きしている。

大きな息をしよう。背骨を伸ばそう。

 

野口晴哉

『風声明語』(全生社)より

免疫系の自然と、病症の経過ー新型コロナウイルスを通して学んだこと

免疫系の自然と病症の経過

 最近、ちょっと書いては捨て…ということばかりやっていたのだが、本ブログの「感染症と時代―新型コロナウイルスの意味すること」と一連の新型コロナウイルスつながりの記事を読む人が意外と多くなっていることに気づいた。

 多いと言っても「バズった」などという数字では全くなく、このブログとしてはという意味なのだが、今のように人間という種と世界全体が病んでいるかのような時には、なぜ、今、この時にこのような事態が起きたのか、それは自分にとってどんな意味があるのか、という問いがなぜか湧いてくる。

 そして理解することで、自分の置かれている状況に主体的にコミットし、適応していこうとするのが、人間という生き物なのだろう。

 今、covid-19は無症状感染者が現在分かっている感染者数よりもはるかに多いこと、劇症化する場合は、ウイルスの害毒というより、免疫系の過剰反応によることが多いということがわかってきている。様々な理由で免疫系が正常性を失っている人が多いことが、問題を大きく、複雑にしているのだろう。

 私はこれから健康を考える上で、野口整体を伝えていく上で、「病症を経過する」ことを伝えていくのが、最も大切なだと痛感している。野口先生が晩年尽力したのも病症についての正しい教育で、私の師も「病症の経過は野口整体の最も革新的なところで、他のどこにもない」と言っていたが、この新型コロナウイルス騒動で、あらためてそれを再認識することになった。

 それで、免疫系の勉強をしていたのだが、熊本大学の免疫学教室のHPでちょっと驚くようなことが書かれていた。それは「麻疹ウイルスの感染後に、がん(白血病など)の病態が回復したという報告がある」というものだ。

 私の師匠は50代の時、あることで心の打撲を負い、仙椎四番の左に穴が開いた様になって、それまでのように腰の力が使えなくなってしまった。

 頭の緊張が弛みにくいこと、この弛みのために下痢が必要な傾向は若い時からあったようだが、その後もずっと仙椎四番の状態は変わらず、この打撲で潰瘍性大腸炎のような状態になり、綱渡りのようなバランスをとっていたのだと思う。打撲の後、50代でがんになっても不思議はなかった。

 そのため、先生は自分の状態を指導ができるレベルに保つことに苦心していて、そういう中で著書を出し、新しい人生が始まった時、麻疹にかかった。来ていた子どもから感染したそうだ。

 これは私の想像だが、麻疹にかかった時、これで一度は命を救われたのではないかと思う。本を出してから自分は大きく変わったと言っていたが、無意識下での大きな変動が心にも影響を与えたのではないだろうか。

 しかし、がんという状態をつくり、命取りになったのもこの問題だった。その後、ままた絶望するほどのショックがあり、私が見るようになったころは、仙椎四番左の状況が悪化し、症状も非常に激しくなって、常態化するようになっていたのだった。

 また、野口整体では捻れ型体癖のある人だけの病気と観ている帯状疱疹のウイルスは常在菌で、ストレスなどで免疫バランスが崩れた時、発症する。

 私は以前、NHKのZeroという科学番組で、帯状疱疹ヘルペスウイルスが出す物質が悪性脳腫瘍の増殖を抑えるという研究を見たことがある。帯状疱疹はきちんと経過すれば二度とかからないが、捻れ型を一度だけ悪性腫瘍から命を守ってくれる「神の見えざる手」なのかもしれない。

 その他、丸山ワクチンでも有名な結核菌と癌との関係(これは野口先生がよく言っているし、今は膀胱がんにBCGを使う)、インフルエンザウイルスと白血病、水痘とリンパ腫などの報告があるが、どんなウイルスにどんな応答があるかは多様であることが多いそうだ。

 免疫系というのは「自己と非自己」を分別する働きだと言われるが、非自己を徹底的に排除するだけではなく、ある程度の寛容性を持っている。

 そして口、鼻、胃、小腸・大腸、皮膚などに常在菌が細菌叢をつくっていて、体内で細菌やウイルスとの共生関係というバランスが取れた状態が健康、自然な状態なのであり、細菌叢内のバランスの崩れが疾患を起こすこともあるという。

 この他、腰椎5番と免疫系など整体にとって興味深い研究成果もあるのだが、ともかく今、新型コロナウイルスの完全制圧は不可能というのが現実で、これから先、新たなウイルスが登場する可能性は無限大なのだ。

 ウイルスというのが自然の一部なのだとしたら、東日本大震災の時、被災者の自然と対立しない、共生的な伝統的自然観と、自然を受容する態度を世界が称賛したことを思い出して、付き合っていく必要があると思う。

 しかし、これまで体を整える習慣も、体の変動にどう対処するかという腹をくくる経験も無い人に、今、体も見ないで「薬を飲むな」などと言うことはできない。不安になれば状態は悪化する。基礎疾患があって、常用する薬があればなおさらだ。

 だからこそ必要なのが、普段から「病症を経過する」積み重ねを通じ、免疫系の能力を高め、信頼できる状態を保つ=体の自然と弾力を保ち、整えることなのだ。私はこれが、やがて訪れる死に対する態度を育てる教育ともなると確信している。

※病症を経過する

 症状が起きた時、それを薬などですぐに排除しようとしたり、病原菌(ウイルス)などを即やっつけようとしたりせずに、体のリアクションとしての自律的な全過程を全うすること。こうして、体全体の機能が正常性を保つようにし、過敏(過剰反応)・鈍り(無抵抗・無反応)が正される。

 野口整体の個人指導では、経過が可能な状態であるかどうかを見きわめ、経過ができるように体を整えることを目的としている。

 野口晴哉『風邪の効用』では、風邪の症状によって弛むことができない状態が弛み、心身が弾力を取り戻し刷新していくことの意味が説かれている。

人間の内界と外界との調和

人間の内と外

  今日、お散歩している時、ヨモギとフキを摘むことができた。どちらもまだやわらかく、瑞々しい。私の体には、新型コロナウイルスで一躍有名になったセンザンコウの鱗よりずっと良さそうだ。

 マスクをしないで歩いている人はほとんどいない中(私はしないけれど)、高校生ぐらいの男の子が3~4人、マスクなしで、一人で元気にランニングしていて、お!いいなあ…と思う一方、気の毒にもなった。きっとクラブ活動ができないのだ。

 でも、野草摘みなんかをすると、自分と世界の一体感や、生かされているという感じが改まったような気がする。私もやっぱり新型コロナウイルスの影響を受けていたらしい。

 家に帰ってから、早速フキを煮て夕飯のおかずに、ヨモギは少し蒸してから干して、後日ヨモギパンとお茶を作ることにした。亡くなった整体の先生も、山菜が好きだったな…と思いながら、フキの下ごしらえをしていると、先生の身体を観ていた時、よく「同化作用と異化作用」の異常を感じていたことを思い出した。

 亡くなる二年半前、私が危険を直感したのは、先生が肩で呼吸するのを見た時だった。あの頃、先生には、受け入れがたいことに対する強い拒絶と抵抗できない状態が同時にあって、混乱し、解毒ができない(中毒している)状態もあった。

 そして先生は夕食時に「味が分からない」というようになり、その一方で不快感には過敏になっていた。これは私の観方で、野口整体の統一見解ではないのだけれど、私は味覚(おいしい・まずい)が、体内で同化・異化のどちらの方向にいくかを決める第一段階なのだと思う。

 それに、先生は食べ物に「気が集まっていない・密度がない」ことにも、以前に増して過敏に反応するようになった。これは体癖的なものだろう。しかし、そういう中でも、山菜は食べたがっていた。

 私には、先生の免疫系は、このような状態と自己破壊ギリギリの線で戦っているように思えた。あれほどの痛みと下痢、出血があったのは、自分の皮膚を剥ぐように、腸壁の異常細胞をはぎ取っていたのだと思う。トイレから先生の苦痛の呻き声が聞こえると、最初は涙が出たが、きっぱり泣くのはやめた。私は、先生というより先生の免疫系に愉気をしていたようなものだった。

 しかし、最後の半年は、肩も動かなくなり、首で息をしているような状態で、次第に骨盤部ではなく胸椎部に手が行ってしまうようになった。癌は痛くないと言うが、先生の場合は死の間際まで耐え難いほどの痛みがあった。そして、身体は枯れていくのに、気だけが研ぎ澄まされていくようだった。

 死亡診断書には「直腸がんによる腸閉塞」と書かれたと思うが、入院した時の医師の説明では「腸閉塞による感染症で肺炎が起きていて、右肺は真っ白、左は一部に白くないところがある程度で敗血症になりかけている。肺に転移の可能性もある」と聞いた。直接には敗血症が引き金だったのではないかとも思う。

 先生のことを、またこうして思い返しているのは、シュタイナーのアントロポゾフィー人智学)に基づく生理学や身体観の講義内容を読み始めているからで、シュタイナーの言うことには腑に落ちるところがある。

 読み始めているといっても、インターネットで手に入る翻訳(『秘されたる人体生理』の前半部など)などで著作にはまだ当たっていないのだが、実際の治療法ではなく、外界と内界との関係から見る身体観に興味を持っている。

 シュタイナーは「脾臓」について興味深いことを言っていて、外界から取り入れた栄養物の持つ固有のリズム(性質)を、人間の生体内のリズムに変換し、人間本性に適った物質として血液に取り込む臓器だと言う(肝臓、膵臓、胃などの消化器系全体もだが、脾臓はその中心らしい)。

 中国医学では脾のはたらきを「食べた物を水穀の精微という気に転換し血液にする」と言い、シュタイナーの観方と似ている(wikiなどでは、「脾」は脾臓ではなく膵臓のはたらきだと書いてあるが、気で観る身体と解剖学的身体の違いを踏まえていないのかもしれない。間違っていたらご教示ください)。

 以前、西洋医学では脾臓は切除しても問題ない臓器とされていたけれど、近年、切除すると感染症が重症化するなど免疫のはたらきに大きく関わっていること、血液の正常性を保つ大きな役割があると言われている。

 整体操法では胸椎七番から免疫系、血液の正常性などを観るが、癌も七番に変化が表れる。先生の場合も、亡くなる5年ほど前、最初に私が異常に気付いたのは、七番の棘突起に触れた時だった。

 野口先生はより広い範囲での異常状態が変化するところから「胸椎七番はミラクルだ」と講義の中で言っている。そして、K医師という人の話として胸椎七番は脾臓を支配していると言いつつ、「脾臓ではないと思う」とも言っている(K医師は血液をろ過する臓器だと言った、とある。この資料ができた1968年頃は、まだ脾臓は重要視されていなかったかもしれない)。

 まあ、このK医師というのは、解剖して取り出したものを「硬結ではないか」と野口先生に見せたという、あまり気の感覚がなさそうな人なので、「Kさんの意味する脾臓ではない」ということかもしれない。実際、他の講義では脾臓を支配していると言うこともある。

 シュタイナーは脾臓のリズム調整力を整えるために、食事の量を減らして回数を増やす(いわゆる猫喰い)を勧めている。実は、私は先生に「猫喰い」を勧めたことがあるのだが、指導日は朝食をしっかり食べて昼は食べないのが習慣で、それは叶わなかった。でも、もうちょっと強く推せばよかったかな…と思ってしまった。

 また、新型コロナウイルスも、もし本当にセンザンコウであれば経口で人間の体内に入ったと言われている(コロナウイルスによるMERSもヒトコブラクダの肉を食べて感染したという)。もしかしたら、人間の脾臓のはたらきは今、異常状態にあるのかもしれないと思う。最初に嗅覚・味覚の異常が起こる人がいるというのも気になる。

 ちょっと長くなったが、辛い体験だったとはいえ、整体指導者の体をつぶさに観たのは貴重な体験でもあったわけで、野口先生の観点もさらに勉強しながら、人間の内と外の調和について深めていきたいと思っている(あ!「体癖は人間の内と外をつなぐ着手の処である」だった…。今思い出した)。

(補)シュタイナーは脾臓膵臓・肝臓を、栄養物を血液に同化させるための一つの系だと考えている。物質のレベルでは、外界にあるたんぱく質も人間の体を構成するたんぱく質も同じだが、霊的なレベルではそれぞれに本来の性・リズムがあるので、それを変換し、人間に同化するのだと言う。脾臓は外界の栄養物が最初に通過する臓器だとしている。

(補)SARSウイルスの感染は呼吸器感染が最も多いが、SARSでは下痢も多く起こり、便の中にはウイルスが排出される。新型コロナウイルスSARSのウイルスは遺伝子が近いと言われている。

Covid-19陽性の理学所見

北京で「脳脊髄液から新型コロナ検出」の衝撃

地壇病院が今回の症例を公表した文章の中で、重症医学科主任の劉景院は第一線の医療関係者に対し、次のように注意を促している。

「臨床観察で項部硬直(訳注:後頭部やうなじの筋肉が反射的に緊張して生じる抵抗)が見つかれば、それは陽性であることを意味する。突発的な意識障害や意識不明に至った場合は、新型コロナウイルスが中枢神経系に感染した可能性を念頭に置き、直ちに脳脊髄液の検査を実施し、新型コロナウイルス核酸検査(訳注:PCR検査など)を行う必要がある」

3/13(金) 5:45配信東洋経済オンライン より

  これは、先週ネットで見つけた記事の中の一部分だが、私は「脳脊髄液から新型コロナ検出」よりも、劉景院医師が陽性判定の理学所見を述べていることに驚き、感心してしまった。

(ちなみに脳にウイルスが入って起こる症状の多くは、ウイルスそのものによってというよりも、ウイルスに対する宿主側の免疫反応、炎症反応の結果として起こるという)

 理学診断というのは、「五感を使って、最低限の道具で患者さんの状態を把握すること」(知人の医師による説明)なのだが、日本では患者に触れるということそのものが医療から消えつつある。ことに感染症の患者に対しては、まずないのではないだろうか。

 そういう中で、劉医師はじかに患者に手で触れて、捉えたことを堂々と述べているのだ。これはアメリカやヨーロッパ(日本も)の西洋医学の医師からは出てこない所見なのではないだろうか。整体をやっている人間には、こういうことの方が、臨床ではずっと意味のあることではないかと思えるのだが、一顧だにされないだろうな…。

 私がこれまで見た中では、近年使用されている帯状疱疹の特効薬を打った人(男女二名)が、ちくちくした痛みが抜けなくなった時も頸椎が硬くなっていた(頸椎と頭の操法で経過)。ウイルス感染症一般に経過が良くない時、首が硬くなるのかなとも思うのだが、劉先生の理学所見はもっと活かされるべきだと思う。

清めの雪

 今日は一日、本当に寒くて、冬は積もらなかった雪が今頃になって積もった。
散りかけた桜の木が寒そうだ。

 私個人はcovid-19を発症しても、経過できる状態だと分かっているので、新型コロナウイルスが怖いとは思わない。正直言って、ウイルスそのものがそんなに怖がるような類いとは思えない。
 内心、人に接する上では自然経過して免疫を獲得したいと思っているが、今回獲得しても、数年後には別のウイルスが登場するだろうとも思う。

 よく考えると、伝染するというのは不思議なことだ。
 細菌、ウイルス、寄生虫、いろいろ伝染するものがあって、媒介者もさまざまある。人間の情動にも感染力があって、それが集団心理を生む。
 私はウイルスよりも、恐怖、不安、憎悪などの集団心理の方が怖いと思う。
 自己保身に走れば走るほど、そういう集団心理に呑まれていく。命の智慧からは離れていく。

 不安と恐怖の奥にあるものは、死の要求かもしれないというコメントをくれた人がいた。たしかにそういう心理の奥には自己破壊的な何かがあるような気がする。
ネズミが集団で海に飛び込んでいくような。

 それにしても、外出自粛要請の出た首都圏に降った雪は、ちょっと非日常的だった。
春だから、ちょっと湿った重い雪だったけれど、辺りが白い雪をかぶっていくのを見ていると、自分も世界も清められていくような気がした。
 人間どもよ、頭を冷やせ!と神様が言っているのかもしれない。

感染症と時代―新型コロナウイルスの意味すること

 私の住む地域には、在日米軍の家族が住む居住区があって、普段はアメリカ人の家族がのんびり居住区の外を歩いていて、英語のおしゃべりが聴こえる。しかし今、アメリカ人の姿は全くない。

 沖縄(コザなど)では米軍キャンプで外出禁止令が出ることを「オフリミットoff limit」と言うが、本土では敗戦直後、連合軍専用の歓楽街やホテルなどを「オフリミット」と呼んでいたので、「日本人立ち入り禁止=オフリミット」の意味で使われることがある。

 しかし米軍内では、米軍関係者の出入り禁止区域のことをオフリミットと言うようだ。GHQ占領下でオフリミットがあったのは感染症対策だったそうだが、現在も同じ理由(covid-19)でオフリミットが出ているのかもしれない。

 私はどういうわけか、わりと感染症には縁があって、中国の雲南省に滞在していた時、雲南省鳥インフルエンザの発生地になった。

 当初、省内では鳥インフルエンザではなくペストだと報道され、新聞に「黒死病(ペスト)」と大きく書かれているのを見た時は多少どきりとしたものだ。中世ヨーロッパの伝染病が今もあるのかと思った。

 その後、野口整体の先生に入門してからは、住んでいた市内の公園でデング熱のウイルスを持った蚊が発見され、大騒ぎになったことがある。そして今度の新型コロナウイルスでは、私の住む市の総合病院で国内初の感染による死亡者が出た。どういうめぐりあわせなのかな…。そういえば私の師匠も50代で麻疹(はしか)にかかったのだった(自然経過した)。ついパンデミックには興味を持ってしまう。

 それはともかく、私の敬愛する医療史家の故・立川昭二(整体協会の柳田先生の指導を受けていた)は『病気の社会史』で、近代初頭に起きたコレラやスペインインフルエンザ、結核などパンデミックを起こした感染症について次のように述べている。 

歴史の「進歩」と病気

…伝染病には文明抵抗性ともいうべきものがあり、文明度のレベルに応じて、それは消化器から呼吸器へ、さらにポリオなどのように脳へと次第に下から上へと押し上げられていった。

結核コレラは文明国から地上の別の地域に追われたが、そこで今日なおこれまで以上の惨禍を繰り返している。そして文明国では、ガンや心臓病、それに精神病・公害病が、悪疫の奢りをほしいままにしている。

  そして、私の住む市の総合病院の報告書では次のような報告がある。

病状観察上重要と思われたことは、case 2(71歳男性・初期胃がんの術後院内で感染、肺炎になるが恢復) において発症と同時に、不穏、見当識障害を顕著に認めたことである。…酸素化のためのマスクを拒 絶する抵抗や、徘徊、見当識障害を示し、COVID-19が脳炎を誘発している可能性は否定できない。…コロナウイルス群は、肺のみならず各種臓器障害として、腎、肝、心臓に加え神経組織にも及ぶ可能性が考えられた。

 その後、3月7日に山梨県で20代男性が、日本で初めて新型コロナウイルス髄膜炎(脳と脊髄を包む膜の炎症)と診断され、北京でも新型肺炎患者の脳脊髄液から新型コロナウイルスが検出され、中枢神経系への侵入例として注目されているという。

 呼吸器から脳へと上がっていくという経過は、前回述べたスペインインフルエンザ流行時に発見された野口整体操法「鎖骨窩の愉気」の目的にも合致している。なぜ、野口先生にはこういうことが分かったのだろうと思わずにはいられない。

 きっと先生は、まず最初に「これだ」と直観することがあって、説明は後からついてくるものなのだろうとは思うが、質問してみたくなる。「自分の親知らずが生えるのも分からないようでは無理」と皮肉を言われるかな…。

 立川先生の「文明抵抗性」という指摘も鋭い。今は時代の転換期だと言われ、こうしなければ時代に取り残される、生き残れないということがさかんに言われているが、このパンデミックでそれが沙汰やみになっているようにも見える。まるで時間が止まってしまったようだ。

 スペインインフルエンザ流行の時代は第一次世界大戦中で、人類が初めて経験した近代戦が泥沼化していた。インフルエンザが戦争終結を早めたとも言われ、その後、第二次大戦へ向かう下地ができたのだった。

 私たちは、これから押し流されていこうとしている方向に、無意識に抵抗しているのだろうか。世界を覆っている集団心理としての恐怖と不安の奥には、何があるのだろう。今、野口先生が生きていたら、何と言うだろうか。

 以上、整体馬鹿のひとり言でした。

新型コロナウイルスと感受性

感染症と人間の関係

 新型コロナウイルス旋風が已みそうもない。何だかAIだの何だのと浮き足立って騒いでいた世界が一変して、静まりかえったような気がする。人類がまだ免疫を持っていない、ワクチンや抗ウイルス薬がまだない、速度が速い…などで世界中で警戒しているわけだが、感染症と言うと恐怖症的になってしまう人が多いのがどうも気になる。

 私は野口先生と医療史家の立川昭二先生の影響で、人間と感染症の歴史に関心があって、感染症の基礎研究的なことにも興味があるので、まめに勉強するようにしている。

 私が小学校六年生で、風疹にかかった時のことだ。12才というのは少し遅くて、10歳以下の方が感染症の経過は良好なのだが、無事経過することができた。その時私を診た小児科の医師は、「初潮前でよかったね。」と言って、風疹はワクチンを打たないできちんとやる方がいいという話をしてくれた。

 そして法定伝染病の場合、待合室は別にしなければいけないのだが、先生は「ほかの女の子にもうつった方がいいから、女の子の近くに座ってなさい」と言った(薬の処方なし)。

 今では考えられないのんきな話だが、その後中学生になって、国の方針で風疹をやっていない女子にワクチンを接種する(妊娠中に風疹にかかると胎児が失明する危険がある)ということになり、先生の言った意味が分かったのだった。

 私が整体を始める前から感染症に過剰反応しなくなったのは、この医師による影響も大きい。新型コロナウイルスに対しても「」やはり子どもの時の教育で、感染症に対する反応の仕方は変わるのではないだろうか。大人が過敏反応しないようにしてほしい。

 疫学者などの話の中では、「ウイルスに対する感受性(感染感受性)が高い・低い」という話が出てくるが、今回の新型コロナウイルスでは、子どもは感染しても軽症または症状が出ないそうで、死亡例もまだないと言う。

新型コロナウイルスによるCOVID-19の傾向は、

・発症者の多くは40歳以上

・主要な症状は発熱・せき・筋肉痛など

・糖尿病・高血圧・心血管疾患などの持病があるとリスクが高い可能性

・重症者に過剰な免疫反応(肺炎、呼吸困難、臓器障害)が見られた

・症状がない感染者も多いとみられる

とされている。

 やっぱり私は「感受性」と聞くとどんな「裡の条件」があるのだろうか?という所に関心を持ってしまう。

 野口整体整体操法の中には「鎖骨窩の愉気」というのがあって、これは1918~19年に日本でも45万人以上の死亡者が出たスペインインフルエンザ(スペイン風邪)のパンデミック(世界的流行)があった時、野口先生が発見したものだと伝えられている。

 これは、もちろんウイルスをやっつけるための操法ではなく、肺炎になると死亡の危険が高まるので、肺の血行が良くなるようにするのが目的だ。その後は結核にも用いられた。脳と体の間の循環を良くすることにも効果があり、呼吸と睡眠を深くするための操法の一環として行われるようになった。また、このように整えていくことで、免疫力(恒常性維持機能全般)は自ずと発揮されるようになる。

 私の持っている資料に、1968年香港インフルエンザのパンデミックがあった後の講座内容があるが、薬を飲んだ人の経過が長くかかると述べていて、1973年頃の資料ではステロイドを常用している人が風邪で肺炎を起こし、突然死んでしまうという話がある。

 SARSと同様に、免疫の過剰反応が重症化につながるというのであれば、基礎疾患のあるなしだけではなく、発症した人が鎮痛剤や抗生物質なども含めてどのくらい薬を服用していたのかも調査する方がいいのではないだろうか。

 そもそも中国というのは大変な薬好きで、昔、私が滞在した雲南省という内陸部の省でも、伝統的な漢方薬から西洋医学の薬、サプリメント類まで、内用・外用問わずあらゆるものが容易に、安価で手に入った。この傾向は経済発展とともに高まっていっただろうし、こうした背景は、中国での感染症の発生、そして世界中で流行する土壌にもなりうるだろう。

 香港インフルエンザの流行の後、野口先生は次のように述べている。

風邪(インフルエンザのこと)などは特に地方的なもので、もっと細かに言えば個人的なものである。普遍妥当な面も、国際的な面もございますが、風邪を経過するという段階では、全く地方的、個人的問題なのです。

 風邪に限らず、他の場合でも皆そういう傾向はございます。私の話は大体東京(の道場)での体験が主でありますから、皆さんご自分の指で確かめて、よくつかまえて頂きたいと思う。

   今回のパンデミックに応用して言えば、新型コロナウイルスという病原が特定されて、ゲノム解析がされワクチンや抗ウイルス剤の開発をしたり(SARS/MARSもまだ完成していない)、感染や治療の情報開示が世界中でされたり、パンデミックが起きたりするのは、普遍妥当で国際的な面だと言える。

 しかし、一人一人の感染者がそれを経過するには、普段からなんでも薬に頼っている、生活環境がストレス状態にある、など様々な事情と条件によって反応が異なるのだから、個人の感受性に即した対応が必要になる。感染症というとすぐ全体主義が世の中を覆ってしまう様な気がするが、個の問題を忘れてはならないと思う。