久しぶりに温かい豆乳ココアを作って飲みながら、昨日のことを書くことにした。
昨日は川崎ダルク家族会の日だった。ゲストスピーカーはオンブレ・ジャパン代表の近藤京子さん。
オンブレ・ジャパン(江東区亀戸)は依存症支援の団体で、近藤さんは家族に依存症の方がいらっしゃったそうだ。依存症支援は当事者であることが多く、当事者家族は少ないのではないだろうか。
近藤さんのお話の中で、依存症(物質使用障害)当事者の家族がやろうとする3つのコントロールというのがあった。
・(薬物、アルコールなどの)使用をコントロールとする
→例 飲酒や薬物使用そという行為そのものをやめさせようと企てる。
・使用の原因(人間関係、ストレス要因、金銭問題など)をコントロールしようとする
→例 悩みを聞く、感情のはけ口になる、交友関係に干渉する、スマホや車など買い与える
・(本人が起こしたことの)結果をコントロールしようとする
→例 請求書や借金の肩代わり、欠勤連絡の代理、迷惑をかけた人に代わりに謝罪する
この3つは重なり合ったりするものだが、短期的には良いようでも長期的には無駄であったり、失敗したり、状況を悪化させたりする結果になるという。
この話は最初の方に出てきた内容なのだが、実は1番目の「使用をコントロールしようとする」というのを、私はある人に対してやろうとしていた。本人は飲酒の問題に無関心なのに、である。
それは支援する側の通る道とはいえ、ちょっとショックだったが、モヤッていた自分の中がクリアになった。本当に共時的と言ってもいいほど今の私にとって意味のある内容だった。
さらに休憩時間に偶然、最近毎日のように聞いている『満ちてゆく』(藤井風)という曲が流れ、手を離す、軽くなる、満ちてゆく…という歌詞が切なく、沁みた。
その後の振り返りでは、家族の皆さんの後、ダルクのスタッフ(施設長も!)が当事者として、今も自分の心のなかにある受け取り方の癖や自分の状況についての気づきについて語った。
皆さんの話を聴いていてつよく思ったことは、ダルクらしさ、ダルクの回復過程の特長は『裸になる」なんだ、ということだった。
それが原点、スタートであるというのは東京ダルク(セカンドチャンス)に行った時にも感じたことで、一貫したスピリットとしてあるのではないかと思っている。聞いてみたことはないけれど。
私もダルクで裸の自分になれる気がしている。言いっ放し聞きっ放しではない集団精神療法のグループにおいても、その場が治癒的であるために大切なことだと思う。そして家族会を照らす優しい光。その秘密はまだ分からない。
オンブレ・ジャパン


