アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

コロナウイルスとアボリジナルアート

 知人のお誘いで、伊勢丹新宿店にアボリジナルアート展を見に行くことになった。しかし、待ち合わせの場所になかなか現れず、しばらく待っているとトイレの中からマスクをした人が出てきて手を振るので、よく見るとその人だった。

 何だか肩で息をしていて、神経過敏になっている様子だな…と思っていると、「今日の話は疲れた…」とその人が話し始めた。

 その人は「カタカムナ」という日本古代の言霊学的なもの(違うかな?ちゃんと理解しておらず申し訳ありません)を勉強していて、その帰りだったのだが、先生が遠隔療法の話をしはじめ、それがその人の許容範囲を超えていたようで、重く受け止めてしまったようだった。

 野口整体にも遠隔療法はあるのかと聞かれたので、私は「今、公式にそういうことをしている人や教えている人はいないと思う」と前置きした上で、私が整体の先生からもらった講義ノートの中に出てきた野口先生の遠隔療法(愉気)の話を少ししながら歩いた。

 歩きながら、その人は「コロナウイルスなんか何のそので歩いているな」と言った。私は「ああ、あのマスクは花粉症ではなくてコロナウイルス予防だったのだ」とその時になって気づき、「私は感染しないと思っているから」と笑った。

 しかしあまりにその人が疲れ切っているので、喫茶店で少し休み、背中に愉気をすることにした。中途半端にやると疲れるのだが、仕方がない。

 体が縮み上がって、身を守るように捻っていた。なんだか怯えているような様子なので、手を当てて話を聞くと、今日の講義はひどく熱が入っていて、先生の勢いに圧倒されてしまったことが分かった。

 その人は一見そうは見えないが、実際、かなり気が弱い人なのだ。おそらく、コロナウイルスにびくびくしつつ、負けん気で新宿まで出てきたところに、カタカムナの先生がカウンターパンチをお見舞いし、少々混乱してしまったのだ。落ち着いてくると、その状況が自分でもわかってきたようだ。

 それでも愉気をすると気が下がり、コーヒーとサンドイッチで気を取り直すことができた。そして目的の会場へと向かった。

アボリジニの絵は感動的で、一点だけあった手描きバティック(ろうけつ染め)の「ブッシュ・メディスン」という絵と、ハリー・チュチュナという人が描いた「マイカントリー」という絵が気に入った。アクリル絵の具で描いた絵ばかりなのが少々惜しい気がしたが、アボリジニには使いやすいのだろうか。

プロデューサーの内田真弓さんに話を聞くことができて、「ブッシュ・メディスン」の意味を質問してみた。内田さんの説明では、「薬草」という意味なのだけれど、その薬草と見つける過程、それを用いる意味についてなどの物語があり、それを描いているのだという。確かに彼らがブッシュ(植物の茂み)を見た時に、どのように見えるかを描いているとわかる絵もあった。

「マイカントリ―」というのも、彼らの見ている土地の姿であり、現代的な人とは異なる意識の次元で捉えている現実を描いているのだ。現代アーティストにもそういう創作活動をしている人はいるが、アボリジニの絵は健康で生命感があって、見ていて疲れるということがない。

 しかし、捉えている現実が人によって違うというのは、じつは私たちにも日常的に起きていることで、例えばコロナウイルスの脅威というのは、私の現実には無いも同然のことだが、怯えて体調を乱してしまう人も存在する。こういうことはささいな価値観から大きな世界観に至るまで、広い範囲で存在していて、心の世界は一人一人違うものなのだ。はい、整体的には感受性の相違、というやつですね。

 駅までの帰りには、一緒に行った人も「コロナウイルスの影響なんてさほどでもないな…」などと言うので、「そんなにすぐ感染するものじゃないよ」と言っておいた。

 ちょっと「なんだかな…」と思ったけれど、体の観察からその人の心の世界が垣間見えるというのは、やっぱり面白い!と思った。

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ハリー・チュチュナ「マイ・カントリ―」80代後半の男性画家。子どもの時は狩猟採集生活をしていた。部族の長老であり治療者でもあるという人。 現代の生活しかしたことのない画家と、そうでない人の絵は違う感じがするのは、仕方がないのだろうか。

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シュタイナーの黒板絵「心臓」。なんだかちょっと似てるかな?

(註)アボリジニ
オーストラリアの先住民族。無文字、農耕・牧畜をしない新石器時代の人類の生活と心性を近代まで保持していた。アボリジニの神話的世界観と生命時間を物語るのが「ドリームタイム(ドリーミング)」というもので、これを観ることのできる意識状態に入るための瞑想を行う高度な精神文化を持つ。アボリジニの長老は次のように述べたという。

ほうぼうの土地や動植物を何らかの目的で利用したり、食べたりする場合にはまず、土地や動植物の夢見(ドリームタイム)に入り込む術を身につけなければならないんじゃ。
白人たちは、そんなことはいっさいしない。
だから、病気になったり、気がふれたりして、身を滅ぼしてしまうのじゃよ。
ロバート・ローラー(著)長尾力(訳)「アボリジニの世界」

(註)新型コロナウイルス
 中国で発生した新型コロナウイルスについてはまだよく分かっていないが、重症急性呼吸器症候群コロナウイルスSARS-CoV)に経過が似ていると言われている。
SARSキクガシラコウモリというコウモリからヒトへと種の壁を越えて感染したのが発端だった。死亡した人の多くは高齢者や、心臓病、糖尿病等の基礎疾患を前もって患っていた人で、子どもには殆ど感染せず、感染した例では軽症の呼吸器症状を示すのみだった。
今回の新型コロナウイルスは「センザンコウ」(漢方に使う)という動物からの感染が疑われている。インフルエンザと同じ呼吸器を中心とした疾患ではあるが、動物から人間へ感染した過去のコロナウイルスは、多くの臓器に広がって様々な症状を引き起こした。今回の新型コロナウイルスも全身的な症状が起こることがあるという。
人が日常的に感染する風邪も4種類のコロナウイルスによるもので、風邪の10~15%(流行期35%)はこれら4種のコロナウイルスを原因とする。
冬季に流行のピークが見られ、ほとんどの子供は6歳までに感染を経験する。

 結核、ペスト、、重症急性呼吸 器症候群(SARS)、新型インフルエンザウイルス感染症エボラ出血熱、伝達性ウシ海綿状脳症などは、野生動物を自然宿主としてこれまで長い間存続 してきた微生物が家畜、家禽、さらにはヒトへ侵入・ 伝播して感染症を引き起こす人獣共通感染症と考えられている。


 

日本の身体文化と着物

 着物と身心の中心

 20代前半の頃、着物を着る機会があり、式場で着付けをする仕事をしていた伯母に着付けをしてもらったことがあった。

 その時、伯母は着付けをしながら「この子には腰がない。だから下腹で中心を合わせようにも合わせられないから着付けがしにくいし、こういう体はすぐ着崩れる。今の若い子はみんなそうだ。」と私に言った。

 この「腰がない」「中心が(下腹に)ない」という言葉の意味が分かる人は、今、どれくらいいるのだろう。私もその時、はっきりと意味は分からなかったが、ものすごく本質的なことを指摘されたと直感し、どきっとした。

(ちなみに伯母がここで言う「中心」は「背中心」という背筋のことではなく、下腹の中心のことを言っている。)

 そしてその後、伯母はお茶を飲みながら、最近の若い子が花火大会などで浴衣を着ている姿を嘆き、「昔は娼婦でもあんな風ではなかった」と言っていた。

 伯母のこういう話を聞いて、私は着物に関心を持つようになり、幸田 文の『きもの』という小説を読んだ。

これは母親になぜか疎まれている少女が、祖母に着物の着方を通して心の持ち方を教えられ、成長していくという物語だったが、着物には自分で着るだけではなく、人に着せるという文化があって、着せる時にその人の本質が観えるのだということを知った。私はこの小説に日本人の身体感覚と心の機微も教えてもらった。

 その後、私は野口整体を本格的に学び始め、30代前半にまた着物を着る機会があって、あの伯母に着付けをしてもらった。伯母は私の腰紐を閉めながら、ちょっと驚いたように「ん?あんた、低いわね…」と言った。

 それはさながら、おぬしできるな、というようなニュアンスで、実際の年齢よりもやや低めの位置に帯を締めることになった。

 その時の着物が、祖母の形見だったこともあってか、母は「老ける」と言って気に入らない様子だったが、伯母は「年齢よりも中心が低いのはいいことで、こういうのは粋上品と言うんだ」と言った。

 先の『きもの』という小説の中でも、おばあさんが娘らしい着物を好かない主人公の好みを「粋上品」と言ってかばうところがあって、私は「同じこと言うんだな…」と思った。そして、帯の位置は伯母の決めた通りにしてもらった。そして、20代前半の時の私とは違うことを伯母が分かってくれたような気がして、嬉しかった。

 たしかに20代前半に着物を着た時、あまり快適な感じというのはしなかったのだが、整体を始めてから着た時は本当に快適で、着崩れることもなく食事もおいしく食べることができた。

 この時、めずらしく日本料理の料亭に行ったのだが、そこのかなり年配の仲居さんにも着物と着付けを褒められて、「何か(お稽古事)されているんですか」と言われた。私は「野口整体です」とは言いづらく、「いえ、特に」とごまかしたが、分かる人には分かるんだな…という思いだった。

 着物の帯の位置というのは、体と心の成熟度や安定性を意味していて、武家の男の子の元服の儀式では、それまでお臍のあたりだった帯の位置を下腹の丹田の位置に締めるとのだが、これも自分ではなく親せきや知人の大人の男性が締めるのだという。15歳でその位置では低いのだが、そうやって大人としてあるべき心の状態を身体感覚的に教えるのだ。

 20代前半の私は、まだ本当に子どもで、自分の心も進む方向性も分からない、苦しい時期だった。精神的にも不安定で、自分に信を置くことができず、拠り所を求めているような状態だった。

 これは整体を通じて学んだことだが、相手の中心というのは、まず自分の体の中心を下腹に決め、自分の体と相手の息と体に合わせることで捉える。すると相手のことが不思議と感じとれるようになってくる。

 あの頃、私は誰にも言えなかった本当の心の状態を伯母に見抜かれ、「腰がない」「中心がない」という言葉で言い当てられたような気がして、どきっとしたのだ。そして、整体と出会ってからの私は、それだけ心と体が成長したということだろう。

 整体を始めてからの自分の変化として、整体の先生にこの話をした時、先生は本当に喜んで、何度かほかの人にもこの話をするように言われた。この出来事を思い出すと、90歳を超えて健在の伯母に、もう一度着物の着付けをしてほしいなあと思う。

 

病症が身体を治す

病症の意味を理解する 

 前々回書いた内容についてのコメントを頂いていて、そのことについて書きたいな…と思いながら書けなかったのだが、ちょっと書けそうな気がしてきたので書いてみる。でもきっとちゃんとはまとめられそうもない…。

 

 以前、私は、整体の勉強を本格的にするかどうかを決めようとしていた頃、普通小学校のクラスで、多動と自閉があると言われている男の子の学習介助をやったことについて書いたことがある。

 弟子入りするために引っ越すことを決めた後、その子と離れ難くなっていた私は、学年末に思い切って「六年生になったら、私はもう来られなくなる」とその子に話した。すると彼はあっけらかんと「○○さん(私の名前)、死んじゃうの?」と言った。

 私はその言葉にはっとして、「さよならとは、少しの間、死ぬことだ」という古いハードボイルド映画の探偵の台詞を思い出した。彼がなぜそのように理解するようになったのか分からないが、感傷に浸ることのない、彼の禅的ともいえる言葉が今でも強く印象に残っている。

  今回、コメントしてくれた人の話に入ろう。

もしかしたら病気以外の事故や破産、

大切な人との別れと言った人生の打撃全てが

魂が自らを成長させるために

無意識に引き寄せる事なのかも知れません。

病気を経過することによって得られる果実があまりに大きく、

現在の、その人にとって様々な意味において

背負いきれない影響を及ぼすとするなら、

死という道を選択し、さなぎと成りながらメタモルフォーゼを待つ。

という事もあるのでしょう⋯

 と言う。

 確かに、子どもの感染症のほぼ全てが免疫獲得と発達に必要であることはよく知られているし、病症が始まるときというのは、偏り疲労が限界に達してそれを打開しようとする方向に移り始める時だ。経過が乱れたり慢性化することもあるが、最初はそうだ。

 前回、頸椎の痛みのことを書いてはみたものの、プライバシーに配慮が足りないと思い削除したのだが、頸椎というのは情動的なショックが最初にあって、そこから立ち直ろうとして痛みや障りが起こることが多い。

 痛みのある部位にヘルニアがある場合も、以前からそこに歪む癖がある、また下腹の力が弱くて重心が高く、頸で衝撃を受けやすいという前提がある場合が多いのではないだろうか。そして情動が起きた後、身心の安らぎが得られず弛めない時、強い痛みが生じるのだ。

 様々な出来事も、それができるかどうかはわからないが、今の自分を超えるために、無意識的に自らそれを招くのだろう。

 がんになるということは、身心の深い層で分離が起き、その分離した部分が全体的な秩序に従わず暴走しているということだと思うが、がん細胞そのものは「死なない細胞」であるというのは本当に不思議だ。深い絶望と、生きようとする生命の葛藤なのかもしれない。

 先生は晩年、自分が個人指導をする意味を問い続けていたのだと思う。先生の個人指導は潜在意識を中心としていて、受ける側がそれを意識化し、理解する、言語化するという面を重視していた。

 それは野口先生との相違であったと思うが、それでも相手は無意識のまま、またさほどとは感じないまま終わるという部分は相当にあって、指導者が関与することの意味も、実際には相手によく分からないということも多い。

 それに耐えていくのが修行と言えばそうだが、身体的な実践で体験する内容というのはその人がどういう理解をしているか、どのくらいの信があるか、どのくらい心を開いているかによって変わる。

 命を削るように指導しても、受ける側は浅い理解になっていく一方のように感じられたのではないだろうか。そういう問いがあって、先生は未刊の原稿に取り組み続けていたのだと思う。

 ちょっと先生と先生の指導を知らない人には理解できない内容になってしまったが、きっと先生は、野口先生の下で再び修行をしているに違いない、と私は思っている。

 (補)「さよならとは…」
wikiによると、『長いお別れ』の中のフィリップ・マーロウの言葉。
私の記憶は映画だったのか、小説だったのか分からなくなってしまった。
原文は「To say Good bye is to die a little.」、
村上春樹訳では「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」。こっちのほうが正確。
さよならを言うのは、少しの間、相手の日常の中から消えることという意味。
また会う時までなのか、死後生までなのかは分からない。

野口整体ってなんだろう

気は心と体をつなぐもの

 最近、出版関係の仕事をしている女性二人とお会いして話をする機会があった。一人は30代後半、もう一人は50代前半である。

 その時、話の流れで「整体協会の代表者は世襲で、指導者も世襲が多い」という話をしたら、一人には驚かれ、もう一人には笑われてしまった。「そ、そんなに変かな…?」と私の方こそびっくりしてしまった。二人とも前衛的な仕事をしているわけではなく、ごく普通の感覚の持主だ。

 野口晴哉先生が亡くなる直前、最高段位の10段位を出したのは故・臼井栄子先生おひとりだったと聞いている。こうした経緯などをみても、野口先生が自身の死後、世襲を望んでいたとは私には思えないのだが、会員を含め、組織の中で世襲という体制を望む人が多いために、そのようになっていったのではないかと思う。

 だから、あまり変だとも思わなかったのだが、それは私が外部の人間で、自分とは直接関係ないことだと思っていたからかもしれない。やはり一般には「整体協会ってそうなんだ」ではなく「野口整体ってそうなんだ」という見方になるので、そうなると私も無関係ではなくなってしまう。野口整体の特殊性を、こういうところからも感じる人がいるかもしれないな…とも思った。

 また、二人に「体の構えを覚えるための型の練習がある」と言ったら、これも茶道や武道なんかの稽古みたいだと驚かれた。やはり「野口整体はふつうの整体と何が違うのか」ということを、相手にわかる言葉で話をする必要があるんだなと思う。

 そういう場合、私が一番伝えなければと思うのは、「気は心と体をつなぐもの」、つまり心と体の両面に関与するのが整体だということだ。

 やはり、何が原因でこうなっているのか、そして病院で治療を受けるとしたらどういう問題があるのかまでを一連のものとして理解するには、自分の心のはたらきを含めて、実感を持って理解する必要があると思う。

 

 

私の死生観試論

死という治癒

 私の手元に『癒しを生きた人々 近代知のオルタナティブ』(専修大学出版)という本がある。これは、明治~昭和初期の近代化過程で起こった岡田式正坐法(修養法)、森田療法心理療法)、大本教新興宗教)、マクロビオティック(食餌療法)、野口整体(言わずと知れた)の創始者と成立過程、時代背景などを章立てでまとめた本で、こういうテーマでは参考文献として挙げられることも多い。

 この本を初めて読んだのはもうかなり昔のことで、その後も何回か読んでいるが、最近「二章 霊―大本と鎮魂帰神」(弓山達也)を何気なく読み返した。すると、植芝守平(合気道創始者)が父の病気の相談で出口王仁三郎に会っている時、植芝の父が亡くなった、というところがあり、註によると、植芝守平は当時を回想し「亡くなったということは、(病気が)治ったことでしょう」と言ったという。

 私はこの植芝守平の言葉にはっとした。今までなぜ気がつかなったのだろう。実は、私も整体の先生が亡くなった後、がんで死んだのではなく「先生は死によって治癒した」と思うようになったのだ。「やはりそうか!」という思いだった。

 今のところ、確信をもってそうだと言えるのは私の整体の先生だけで、違う場合もあるだろう。しかし、病症というものの本質を考えると、かなり普遍的に言えることなのではないかと思っている。

 先生は直腸がんだったが、野口晴哉先生は「心に受けたショックと直腸癌」について次のように述べている。

心の怪我、打撲といったような、ふいに何か言われたことが痛みに感じられていつまでも残り、他日の病気の基になる。いま、直腸癌が流行しておりますが、ドキッとするようなことを言われた時、信頼をガタっと裏切られたような後になる。その後はドンドン物理的にそういう方向に進んでいく。それをいくら取り消したって同じである。だから直腸癌になった人は「どんなことが原因か」と言って追究していくと、たいていそういう原因にぶつかる。

(人間の構造『月刊全生』)

 

 野口先生は心の打撲によって部分が全体から分離し、秩序が破綻する方向へ向かう力が働く時、直腸がんになると言っている。経緯は省略するが、先生の場合はこの内容のそのままだった。その上先生は、その打撲がどういうことかを自覚していたし、そこから抜け出せない自分の潜在意識にも気づいていた。

 私が毎晩のように先生を観るようになって4~5か月ほど経った頃から活元運動が戻ってきていたし、亡くなる半年前までは、激しい痛みと症状と引き換えに、頭の緊張が弛み体の弾力が戻るのを繰り返していた。大真面目な顔で「今朝、朝立ちしとった!」と顔を見るなり言われて面食らったこともある(がんである人に、熟睡と健康の証である朝立ちが起こるのは稀なこと)。こういう状態は、体という意味ではがんと共存できる状態と言えるだろう。

 しかし、先生の全体性、魂を含めたレベルではどうだっただろう。先生は体から離れた次元に向い始めていたのではないだろうか。

 私は、体から心が離れた状態(麻痺・鈍り)を打開し、統合を取り戻そうとする働きが病症なのだと考えている。だから、生きている状態で統合できなければ、死によって統合しようとするのだと思う。治癒とは心と体、意識と無意識が統合性を取り戻すということで、それは生と死両方の場合があるということだ。

 死が治癒のもう一つの在り方だとすると、先生が最期の日に病院のベッドで右肺を弛める姿勢を無意識にとっていたのも自然なことだと思える。

 こういうことは一般化することはできないし、野口整体という枠組みからもはみ出しているかもしれない。それにいろんな水準の話がごちゃごちゃになっていて、あまりうまく説明できていないとも思う。でも、今思っていることを正直に書いてみた。自然な死とは何かを考える上で、参考になればと思う。

 

技術を使う心 5

技術を使う心

野口晴哉

『月刊全生』昭和40年5月号 広島講習伝授会記録

 病人になった人が病気を治そう治そうと思っている間は治りはしません。にらめっこしていて、それを無くそうとしたって、それは無理です。にらめっこしている程に相手は大きくなる。注意を集める程に大きくなる。時計の音だって注意しなければ聞えないけれど、注意すれば眠りを妨げられる程耳やかましい。

 だから病気だって、こういう徴候はここがわるいんだ、背骨が曲ってる、腰が曲ってると、いちいち気にして追っかけていたら、一生病気の続きですよ。完全無欠の状態なんて空想の中にしかない。探せば必ずアラがある。だから病人というのは病気と対立しているが故に、他の人が感じられないような何でもないことを病気として感じられる。注意が集まっているからです。だから病気を治そうと一生懸命な人程、健康になろうと一生懸命に努力している人達程健全でない。遠ざかっている。囚われている。

 だから病人はくどくどやかましくて、一寸動いても胸がドキドキしましたなんていうでしょう。普通の人だってそんなドキドキは沢山にあります。けれどもそんなこと忘れてしまっている。病人だけドキドキしたことを大切に思っている。注意する程にそれが過大に感じる。

 だから病気に注意し、健康になろうと努力し、病気と闘おうと思うような意識的な集中があまり行なわれゝば逆効果のもとである。だから治療する人に対して忠実な、又衛生の書物に忠実な病人というものは、健康になる機会を自づから放棄しているといえる。整体操法でもそうなんですよ。「まだこゝが曲っている」「今朝起きたら腰が痛かったから、腰が曲っているんじゃないでしょうか」なんていってやってくる人が沢山にある。それは異常に対しては敏感であるが、自分で治る力を持っていることを忘れてしまっている。それを教えなくてはいけない。

 正してやることが親切ではなくて、体は自分で調っていくことを教えなくてはいけない。まァどんなことでも過敏になればそうなる。私はオーディオといって、レコードの音を再生することに興味を持っておりますが、人間の耳というのは一万二千サイクル以上は殆んど聞こえない。せいぜい聞こえても二万迄であるが、二万とか一万八千とかいう音はあってもなくても同じようなものです。

 それにも拘わらず、その音が出るか出ないかでは費用でいえば何百万円という差がありますのに、その大がかりな設備を求め凝っている。自分でも時々可笑しくなりますが、こういう勢で病人が病気にこったら、何でも病気の材料になるんだろうナと可笑しいのであります。

   

 誰もいろいろな欠点を持ちながら生きていけるのは、それを乗り超える心や体のはたらきがあるからです。

 その乗り超える心や体のはたらきを開拓しないで、病気に気を奪われて、それを治すことに一生懸命になっているとしたならば、どんな努力したとて、それは整体指導とはいえない。やはりそれを乗り超える力を、心の中から、体の中から喚び起こさなくてはならない。

 乗り超える力があれば失敗はない。乗り超えられないから失敗なのです。乗り超えられゝば、それは成功への基礎なのです。病気だってそうなんです。乗り超えられゝば健康への道なのです。

 だから乗り超えられる力があったら、いくら壊れようが病気ではない。つまずこうと失敗したのではない。こうすれば失敗するということがわかったのだから、失敗が一つ減ったことになる。ただ乗り超える自覚のない者がクヨクヨしているだけです。だから私達はその人達のヘナヘナな気持の中から、それ等を乗り超えていく心や体の力を喚び起こし、認め出していく。そうしてその使い方を教えていく。

 どうぞ整体指導をそういうように御会得頂いて、あゝ押す、こう押すと、押す場所を憶えることにあまりムキにならないで、そういう技術を通して心や体の使い方をお伝え頂きたい。では之で―。

年上の友だちを亡くして思うこと

持ちのいい顔、悪い顔 

 数日前、昔の友人が亡くなったという連絡が入った。それもヒマラヤ(ネパール)の、富士山山頂ぐらいの場所でトレッキング中、あっという間に亡くなってしまった。

 もう長いこと会っておらず、連絡も途絶えていたのだが、私はこの人が大好きだった。私より年上の女性で、人を受け入れる器が大きい人だった。

 Hさん、としておこう。Hさんは京都の人で、たしか日本舞踊か神楽舞を長くやっていた関係で、舞台の衣装や小道具の仕事をしていた。都おどりの仕事を長年していたので、芸妓たちと接することも多かったようだ。出版社でも仕事をすると言っていたが、ちょっと不思議な人だった。

 Hさんと出会った頃、彼女は私の顔を見て「あんた、ええ顔やナ。美人ゆうのとは違うけど、これは持ちのええ顔やで。」と言った。持ちの良い顔?当時、私は若かったので、どういうことなのか聞いてみると、いわゆる美人という種族は「持ちが良くない」、長持ちしない人が多いのだという。

 その点、私の顔は年齢がいってもあまり変わらない「長持ちする顔」で、芸者や役者もそういう顔の方が長く仕事ができるということだった。

 私はまだそういう観点で顔を捉えたことがなかったので、「うーん、なるほど!」と感じ入り、なんだかうれしくなった。「美人ゆうのとは違うけど」という言葉は切り捨ててしまうのだから、勝手なものである。

 整体を始めた後、私は美容整形を行う医師と親しくなったのだが、彼曰く、「美容整形はもともと美人の人がやるもの」なのだそうだ。確かに私が美容整形するとしても、どこから着手すれば美人になるのか思いつかない。しかしもともと美人ならば「ここを治せば完璧」というのが分かりやすいし、変化も大きいのだろう。それで気に病んでしまうことにもなるのかもしれない。

 この話を聞いて、私はHさんが「持ちのいい顔」と言ってくれたことを思い出し、「やっぱり持ちのいい顔の方がいいなあ」と思ったのだった。

 Hさんと出会った場所は中国西南部にある雲南省昆明市、そこも富士山七合目ぐらいの高地だった。足が強くて、健康そのものに見える人だったけれど、私は彼女がちょっと苦しそうに胸を押さえるのを目にしたことがある。心配になって「大丈夫?」と聞くと、彼女は「時々こうなんねん」と言っていたから、もともとの素質があって、今回亡くなることに至ったのかもしれない。

 彼女は当時からネパールが好きで、ヒマラヤで亡くなるというのは、彼女らしいような気もする。「無心」というか、独特の澄んだ心の持主で、虚空蔵というか、天空とつながっているような気がした。料理上手で優しく、女性らしい人だったけれど、裡にはどこか女離れしたところもある人だった。

 Hさんは享年67歳。早いと言えば早いけれど、彼女のことだから、まっさらな心で、新たな次元へ旅立っただろう。葬儀は神道で行うとのことで、神道の持つ清明さは、彼女に似合うと思った。

 でも、やっぱりこの世から彼女がいなくなるのは寂しくて、何だか、良い人から先に連れていかれてしまうような気持にもなった。すぐ近くにいて、いつでも会えた頃、私は自分を開くことで相手とつながるというのができなかったから、彼女に甘えたいのに甘えられないような気がいつもしていた。もっともっと、話がしたかった。彼女のことを知りたかった。

 今ならそうできるのに、彼女はもういない。後悔しない生き方をするには、開かれた自分でいることが大切なんだな、と思った。