アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

修験僧に会う 1

 先日、前回(一人称の背骨)で書いた、長い間会いに行けなかった人に会うことができた。この人は、修験道の僧である。私は以前から修験道に関心があって、それは祖父の影響によっている。

 私の祖父は大工の棟梁だったが、ごく若い時に御幣を切る役割を引き継いだ(戦前、大工の組の中でこの係をする人は決まっており、受け継いだ人が次の後継者を決めていた)ことと、秋葉山が火防(ひぶせ)の神であること(大工と防火は関係が深い)ことから、秋葉山系の修験道の行をやるようになった。

 それに祖父は生い立ちに恵まれず、自分でも「世の中を斜めに見ていた」と言っていたから、そういう自分を超えようという動機もあったのだと思う。そして、後には方角や家相を観たり、人の相談に乗ったりするようにもなった。

 私はこの祖父と関係が深く、小学校一年生の時には、気の観方を教わったこともある。一緒に散歩をしている時、祖父は不意にある家の二階を指して、「お前はあの家の二階が黒くなっているのが分かるか」と私に聞いた。

 その時、私は本当にそれが黒く見えたので、「うん。黒く見える」と答えると、祖父は「そうか、お前には見えるのか。ものはそうやって観るんだぞ」と言った。私はこのことを、ずっと忘れなかった。そして、整体を始めて、これが「気を観る」ということなのだと知った。

 祖父は、退院することのできる人のお見舞いには決して行かず、祖父が「そろそろだな」と言って出かけるとその人は数日のうちに亡くなった。また私の母は子どものころ、祖父の弟が死んだ日に会いに来て、祖父が話をしているのを聞いたことがあるという。祖父は自分の世界観を持っている人だった。

 昔の日本では、こういう「気の世界」が日常の裏側にあって、それほど超常現象のように受け取られてはいなかったのだと思う。

 私は整体の道に入る少し前から、田辺から熊野本宮まで中辺路(熊野古道)を歩いたり、高野山や吉野に行ったりしていたが、祖父が修験道は女子供には無縁の世界だという考えだったこともあって、実際に入り込むことはなかった。

 しかし、整体の先生を通じて吉野の修験道の本家の方と知り合うことができ、会うことが叶ったのだ(ただし私の先生が関心を持っていたのは「禅」で修験道ではない)。

今回、この方と6時間以上(内、一時間半は先生にお経をあげて下さった)も過ごさせていただくことになって、その人の仰ったことで一番心に残っているのは「何のために行をするのか、ということが大切だ」ということだった。つづく・・・

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建前の時の御幣



一人称の背骨

 活元運動の前に基本の運動をやるようになって数日が経ち、私はなぜ平均化体操をやっているのかな・・・と思い始めた。

 整体馬鹿の不純な動機としては、「野口整体をやってきた(と思っている)自分」を客観視したい、というのがあるかもしれない。活元運動というのは、やはり私にとっては「聖域」※であって、たとえ孫の平均化体操といえども!ここは安易につなげるのは嫌だと思っていたのが本音だし、整体の先生の影響もあるかと思う。

 でも、やってみると、活元運動そのものが影響を受けることが分かってきた。基本の運動は随意運動だけれども、深部(骨)に届くはたらきがあるのだろう。それは、私が活元運動の会を捉えなおすことにつながっている。

 

 そして昨日は基本の運動の後、右手の小指に軽い痛みと痺れを感じ、その後親指にも感じた。整体では手に現われる変化に注目するのだが、小指は多分、今月の月経が二日遅れたことに関わっていて、今、終わりに向かっているのでそれが出ているのだと思う。

 親指については、整体の先生が若い時の講義ノートに次のように書いてあった(愉気によって手に現われる変化についての記述)。

 

 自分の考えで、体の全体、筋肉(手や足)が自由に動かないような時に親指が動く。

 

 これは「こうしよう」という意志が、背骨に伝わって運動にならない状態(鈍っている)にある人が、愉気に感応すると親指が動く、という意味なのだと思う。

 実は昨日、先生が亡くなったことを伝えようと思いながらしていなかった人に電話した。そのことがきっかけで、5年前に会って、一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていながら、行動できずお会いできなかった人とお会いしてお話ができる運びとなった。

 これにはちょっと感動していて、親指に異常感が出てきたのは、動けなかった、行動できなかった自分がちょっと動き出した・・・ということではないか?「心でも体でも、異常を異常と感ずれば治る」!そう思いたい・・・。

 

 ずっと以前に、ジョン・レノンがインタビューで「一人称の曲(Iで歌う曲)が好きだ」と言っているのを読んだことがあって、それが印象に残っている。

 この表現で言えば、「私の背骨」という一人称の背骨、単なる解剖学的な「脊椎」ではなくて、私の心と体の中枢としての背骨が、どのような状態にあるのかを意識化するということかな。

 この「意識化」というところに、基本の運動の魅力があるように思う(今の自分にとって、という限定付き)。一人称の背骨の動きを感じることで、自分が何かを気にして、何かを怖れて動けないことに気づくようになる。天心を、自然を失っている自分に気づく。

 こういう時、想起するのはやっぱり野口晴哉大先生。引用して終わろう。

 

・・・私が無心とか天心とか言っていますが、赤ちゃんにそんなものは求めないのです。・・・大人が天心になるのは大変なことです。それがもし赤ちゃんと同じ天心になったとしたならば、大人は俗心を超えてきたのですから、鍛錬されぬいた天心です。だから赤ちゃんの天心には自然を観ないが、大人の天心には私は自然を観るのです。自然というものに私は、そういう鍛錬しぬいた一点というか、何かそういうものを観ているのです。だから大人が無心になれば、根性の悪い人が天心になれば、それは見事なものです。

…人間の体で一番健康状態に関連があるのは体の弾力であります。つまり体や心に弾力を持っていないと体の自然の状態といえないのです。硬張って、歳をとって死ぬのも当然だけれども、生きていくという面からいうと、硬張っていくのは正常ではないのです。それで体の弾力を、或いは心の弾力というものをどのような状態でも持ち続けるということに於いて鍛錬という問題が出てくるのです。大人になって天心を保つのは鍛錬が要る。いろいろな問題があって、自然の気持ちを保てないような状態のときにでも尚保ち続けるというのはやはり鍛錬です。

野口晴哉「大人の天心」月刊全生)

 

※活元運動を誘導して本物と感じる運動が出ると、これは本当にその人個人のもの、その人の奥底から発動し中枢が動いているという「畏れ」に似たものを感じる。聖域とはそういう意味でもある。

 

基本の運動→活元運動  

 

 ここ数日、活元運動(普段からほぼ毎日)をする前に、平均化体操の基本の運動をやっている。自分で言うのも何だが、私は活元運動の訓練は長い間行っているし、それなりの水準にあるので、活元運動とその体感を「ものさし」にして基本の運動を観察してみようと思っている。だから一般化して「良い悪い」を言うことはできないけれど、私が最初の三日間で思ったことを書いておこうと思う。

 基本の運動→活元運動を最初に行なった日は、その後すぐに寝たのだけれど、横になってから胸椎五番(D5)の痛みを感じた。D5が硬くなったのは数時間前、電話での母とのやりとりでカチンときたのを我慢したからだ。でも痛みを感じるものの、呼吸が楽になっていくのが分かった。

 二日目、この日は一日中気を張り詰めて動いた日で、特に疲れていた。

 基本の運動→活元運動を行うと、脚の運動が良く出て、「こんなに脚が疲れていたのか」とその時やっと自覚した(精神的緊張を脚の疲れとして感じるのは体癖習性)。まだ早い時間だったけど、眠くなってすぐ寝てしまい、その後のことは全く分からないぐらい熟睡した(でもちょっと寝すぎた)。

 三日目、動きの中で緊張が弛緩に移る時に注意しながら基本の運動をし、活元運動に入る。昨日はちょっと注意力が落ちていたので、この日は集注するようにした。

 活元運動は自分の中心軸がはっきりしていて、「動中静」という感じがする。肩の動きが大きく、胸が拡がるように感じた。このところ文章をよく書いているからかもしれない。

 その後、しばらくして布団に入ると、呼吸が深くなっているのをよりはっきりと感じた。次の日目が覚めると、肩が弛んで下りていることと呼吸が深いことに気がついた。眠りも深く、目覚めも良かった。自分の内側が静かで「大人」になったような気がする(もう、いい年だけど)。

 三日間限定で言うと、この基本の運動には「呼吸が深くなる」という特徴がある。私のこの三日間の偏り疲労が呼吸器絡みだったからかな?でも、なにか呼吸にはたらきかける作用があるように思う。

 

 

平均化体操の基本の運動を活元運動の前にやってみる

 先日参加できなかったこともあり、平均化体操の基本の運動は、台所に立った時などに時々練習していたが、今日になって、ふと「平均化体操の基本の運動は、活元運動の前にやるとどうなるんだろう」と思った。

 平均化体操の基本の運動(名前があると思う)は「緊張」と「弛緩」で言えば緊張の方向にある運動という感じがしていたので、これまで活元運動とはあまり結び付かなかった※が、実験してみることにした。

 活元運動に入る前なので、立姿はやめて坐姿でやってみた。我ながらちょっと上手になったかな?という気がする。それと腰椎がこの運動でどう動くかも、触って確かめてみた。

「上がる」と「下がる」で言えば「上がる」の方、やはり緊張の方向だと思う。ただ、この辺りは先生に聞いてみないと正確なことは分からないし、自分で自分の腰椎を触ってみてのことなので、今度誰かに触らせてもらわないとはっきりとは言えない。

その後、活元運動に入ってみると、リズムもいいし、切れがいい。動きが軽いような気がする。「明るい運動」という感じだ。終わった後のすっきり感もいい。

 最初、ちょっと意外だったけれども、よく考えてみたら本来、活元運動は背骨、特に腰椎の運動なので、そこが動けば活元運動にいい影響があるのはそんなに不思議でもない。でも私は基本の運動の中にあるなにかが、ちゃんと捉えられていないような気がした。活元運動にいい影響があったところから推測すると、すでにやっているのだけれど意識化できていないのだと思う。

 多分それは、緊張から弛緩に移る「間」で、上手になればもっと緊張と弛緩がはっきりしてくるのではないかと思うけれど、まだよく分からない。ちょっと動きにばかり気をとられていたかな・・・と思った。もうちょっと練習してみよう。

 ※一般に活元運動は、愉気で「弛緩(弛む)」の方向に誘導することが多い。

 

 

活元運動の意味

 私がなぜ活元運動の前に行なう体操を考え始めたかというと、私が整体の先生から学んだ個人指導のあり方と関係がある。

 私の整体の先生は、若い頃はやっていたようだが、後年、活元運動の会をやっていなかった(奥様が今から15年程前から始めた)。その代り、個人指導の中で活元運動が大きな役割を占めるようになっていった。

 大雑把に言うと、全体に愉気を基本として、身体から(気を通して)心情を読む観察、心理療法的な対話、骨盤部を中心にした操法を通じて、活元運動が闊達に出る身心に導き、腰が入る状態で終わる、というのが先生の個人指導の型だった(もちろんこれ以外の形もあったが、およそ)。

 身心共に深く関与して活元運動を誘導する先生の指導によって、私は活元運動の本物の領域と質というものを知ることができたが、先生にも悩みがないわけではなかった。そうやって相手に深く関わり活元運動を誘導することで、「活元運動は先生が出るようにしてくれるもの」と思うようになってしまう傾向があったのだ。それは活元運動の本来の精神からは外れた理解だった。それで、先生は晩年、身体感覚を高めることと、瞑想的な意識を深めること、無心・天心を活元運動の目的としてよく話すようになっていた。

 私は先生の個人指導を受け継ぐことは早々に確信していたが、活元運動の会はどのようなあり方がいいのか、については、あまり理想を持っていなかった。

 しかし、平均化体操の会の一週間ほど前にあった個人指導で、私は「先生(私のこと)がいてくれるから安心して活元運動ができるし、誘導してくれないとできない」と言われてしまった。その人は「一人でやると運動が出るのが怖い」とも言った。私ははっとして言葉に詰まってしまった。

 その人には腰椎の軸がないし、頭が過敏で身体感覚が鈍く、身心の統合性は低い方だから、必要な活元運動が出るようにするにはかなり関与しなくてはならない。でもそうすることで、その人と活元運動の関係が本来のあり方から離れてしまうことがあるのだ。私の個人指導は先生の型を踏襲しようとしているから、進歩といえるかもしれないけれど、先生と同じ課題にぶつかったと思った。

 そして、私は「活元運動の会をやろう。自分にとって意味があると思える指導のあり方を考えよう」と思った。それで、「出待ち」をしている間に、自分が途中で投げ出してしまった、身体感覚を高めるための体操を考えようと思いついたのだった。

 

 私はちょっと前に「どうやら私は平均化体操に動かされているようだ」と書いたけれど、ここまで書いてみて、それは「自分の課題がはっきりしてきた」ということなのだと思った。まだちゃんとできるわけでもないのに、なぜそうなったのかまだよく分からないのだが、そういう気がするのだ。

 先生が亡くなるという、私にとっての非常事態と言える「時」が底にあるのかもしれないし、これからどうなるか分からないから、まだ誰にも話す気にはなれない。でもこの頃、よい空想ができるようになってきたと思う。

 

活元運動のための体操 再開  

 

 昨日、長く通っている人が個人指導に来たので、私は「活元運動の前にする体操」をもう一度教えてみることにした。

 この体操は、前屈みで鍬を持ち、畑を耕すおばあちゃんが、うーんと腰を伸ばして休息する時の姿をヒントに考えたものだ(何て単純素朴なんだろう)。

 だから立姿が最初の形なのだが、今回はまず坐姿で、頸椎、胸椎と徐々に力を抜きながら体を後ろにそらせ、腰椎三番に体重を乗せるようにしていった。うまくいくと仙椎部まで降ろせるが、この人は腰椎三番までだった。

 でもずっと以前に教えた時には、最初の頸椎が硬くて後ろにそらせることができなかったのに、今回、背骨がしなやかになっているのが分かって嬉しかった。生理的湾曲の曲線も自然に流れるようになることが確認できた。これは以前、分からなかったことだ。

脊椎の生理的湾曲の線は背骨の弾力を表わしている(と、私は思う)。これは整体の先生は同意してくれたが、野口先生が生理的湾曲について述べている資料というのはまだ見たことがない。探してみようかな。

 立姿でもやってもらった。力を抜きながら体をそらせ、膝を曲げ下体で体が倒れないようにしっかり支えるようにする。この方が体重がぐっと腰椎三番に乗って、下体に力が入るのが分かるという。ただ、以前の経験から、背後の身体感覚がない人や下体で体を支えられない人、不安が強い人は、立姿で後ろに体をそらせるのを怖がることがあるので、気をつけようと思う。

 今回の反省点としては、私が手で触れて介助する部分がかなり多くなってしまったことだ。もうちょっと言葉で感覚と動きをリードしていけるようにならないと、人数が増えた時難しいと思う。私はもともと「さわり魔」で、手で触れるのが好きなため、すぐ体に触って教える方に行きがちなので、これは気をつけよう(整体の先生によると、手で触ってものを捉えようとするのは体癖習性なのだそうだ)。

 そして、次の指導まで自分でもこの運動を続けてもらうことにした。活元運動に対する効果は次回分かるかもしれない。

 呼吸と骨盤の動き(開閉と前後)の体操は、全身呼吸を教えるのにはいいのだけれど、活元運動の前に行なうことでの効果は、もうちょっと自分で研究する必要があると思う。また、ある人に「なんかHっぽい」と言われたことがあるので、ほかの人にも要確認(その人個人の問題に違いない)。

 うーん、書いてみるとなんだかちょっと馬鹿っぽくて、平均化体操の先生に見せるのは無理かな・・・。でも何とか、自分が使えるものにはしたい。

腰椎三番の心理

②私が体操を考えていた頃

 こんなことから、私は活元運動の会が「もうちょっと何とかならないかな」という思いを以前から持っていた。それには身体感覚に注意を集めて、自分の体の状態を把握する内観的(体の中に降りていく瞑想的)な要素を教えていくことが必要なのではないかと思った。その中でも腰椎を捉える感覚は基本となる。

 それに今、脊椎の生理的湾曲※が少ない人、また腰椎の身体感覚がない人が増えている。骨盤を起こすことがない、または腰の感覚がない人が多いし、邪気の吐出が難しいくらいに呼吸が浅かったり、重心も高く、頭が過敏になりがちだ。体重を足腰に乗せ支えることを知らない人がいるし、正坐ができても腰に上体を据えられない人が多い。

 これは一言でいえば身体的に発達していないということなのだが、整体を教える土壌である身体が、野口先生が生きていた時とはこのように変わってきているのだ。

 でも、感じられなければ自覚のしようがない。それで私は、活元運動の会で行う、腰椎の身体感覚を持てるようにするための体操を考えていた。私が某整体指導者から野口晴胤氏の体操の話を聞いたのはちょうどその頃で、これは私が興味を持ったもう一つの理由でもあった。

 最初に私が考えた体操はちょっと脱力系?で、坐姿か立姿で上体を少しずつ反らせ、体重を腰椎に乗せていく単純なもので、次に呼吸と骨盤を中心にしたものも考えた。教えたこともあったが、やった人の感想はなかなかで、中学以来の便秘が治ったという人もいた(ただしこれは副次的効果)。

 でも、野口先生が説く行法ではなく、自分で考えたことを教えているというところで、先輩の批判を買ってしまった。先生の考えとしても、お前がもっと脊髄行気法をしっかりやって、ちゃんと教えられるようになってからにしろということだった。「L3やわい」くせに長いものに巻かれることができない私を心配してのことだったかもしれないが、私の体操設計はそれきりになってしまったのだった。

 そういう自分のことを振り返って平均化体操のことを思うと、探究を続けた先生は強いな・・・と思う。これも腰椎三番の違いかな。私は身を引いてしまうのだ。前々回「孫だから何?」なんて書いてしまったが、これでは「お前のL3こそ何だ!」である。やっぱり出した気は帰ってくる・・・。

 もう一回、活元運動の前にやる体操を考えてみよう。機会があったらそれを先生に見てもらおうかな?とふと思ったら、少し気が晴れてきた。

 

 平均化体操の教室から人が出て来た。終わったようだが、出待ちをしていても先生は見えないので、部屋に入ってお詫びをして、帰ることにした。私はこういう情けない時、「心でも体でも、異常を異常と感じれば治るのです」という言葉を思い出して気を取り直すことにしている。来月は、参加できますように・・・。

※脊椎の生理的湾曲 下図のように、脊椎は成長とともにゆるいS字を描くようになる。直立二足歩行はこれによって可能となっている。L3のLは腰椎(lumbar 1~5椎)のこと。

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