アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

体の適応と心の停滞

 お彼岸に活けた白い菊とリンドウが、まだ元気に咲いている。涼しくなってきたせいか。地場野菜のサツマイモをかぼちゃの煮物の要領で煮てみると、驚くほどおいしい。今はもう秋、である。

 以前に今年はインフルエンザが復活するという予測について書いたが、どうやら今年の夏も昨年同様、南半球でインフルエンザの流行はなく、新型コロナウイルス独り勝ちだったようだ。

 例年通りだと、北半球の冬も同様という予測になるのだが、それは今、勢いを潜めている新型コロナウイルスが秋冬に復活するかも、ということである。ちょっと残念な予測だが仕方がない。

 それはそうと、実は今、私はあまり体調が良くない。やたらに眠くて何となく食べてしまい、意欲がわかない。何だか不安げな方向に空想が向きやすい。秋のキンモクセイアレルギー症状も強めだ。

こういう時、「秋だから」と片付けたくなるが、季節の変化に適応できなくなるのはなぜか。そこにストレス、感情の停滞があるからである!

 そういう時、心の中はたいてい漠然としていて、雲がかかったようになっているので分かりにくい上に、自分でもあんまりそのことを認めたくなかったりするのだが、実際私はそうだった…。あの電話からだ、と思い当たった。

 やっぱりこういうことに注意を向けるのは私の師匠の影響で、一般に野口整体の本だと「季節の体の手当て」とか、季節の変化と体の適応のことが書いてあることが多い。

 そもそも、生きて、動いて、変化する体に注意を向けることが第一段階として必要なので、それはそれで意味のあることなのだが、自分の内的時間(生命時間)と外的時間(時計や暦の時間)の流れがずれてしまう(適応がうまくいかなくなる)のは心に停滞があるからなので、整える上ではそこが一番焦点になるのだ。

 それにしても、ちょっと気づくのに時間がかかってしまったなあと反省。ブログも書くのが遅くなってしまったし。言い訳だけど…。

 でも、気づくこともなく、自分の心をはっきりさせることもないまま、どんよりした体だけを何とかしようとしてもうまくいかない。人の指導をする立場だからって分からないことはある、気づいた所から始めよう…ととりあえず自分を慰めて、体を調整してみることにする。


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