感受性を高度ならしむる
野口晴哉先生は、大人が自分のための潜在意識教育として、また潜在意識を理解する最初の一歩として「自分との対話」を説いた。それは、野口氏自身が裡の自然を取り戻し、全生するために行ってきた過程である。
野口先生自身、二歳で養子に出され九歳で実家に戻された成育歴を持つ。幼い時に罹ったジフテリアが元でかすれ声しか出ず、言いたいことが言えなかった。先生は「僕は九つの時、自殺しようと思ったことがある」と言う(『朴歯の下駄』野口昭子)。
15、6歳の頃には肺結核の三期となった。先生はそのことについて、潜在意識教育の講座の中で、育てた恩を着せるばかりの親が嫌いだったことを述懐している。
また、自分は何もない中で育ったから、予備の予備までないと心配になる、とも言う(『潜在意識教育』)。先生は次のように語っている(月刊全生)。
…なぜ自分を主張するのだろうか。自分を主張していないと消えてしまいそうで不安なのです。自分の生きていることに自信が持てないのです。…体の中で注意を集める要求があり、その要求が充たされないと不安になり、注意を集めるための行動を起こします。その注意の要求を充たすためには、怪我をすることや病気をするということが大変便利な方法なのです。
…私も子供の頃は弱い方で、よく病気をしました。しかし病気になるのは卑怯だ、仮病はやめようと思いました。病気は自分でなろうと思えばいつでもなれる。痛いとか、痒いとか言っているうちに熱が出てくる。他の人たちは知らないから、熱が出てきたから病気だと思う。病気を必要とする自分の心を観ていますと、仮病が分かるのです。そこで仮病はやめたのです。
…対話の問題を解決するのは、相手を観るということから始めなくてはならない。それには自分と対話して、自分の本当の欲求、いま本当に欲しているもの、得ようとしている処のものをまず明確にしていくことです。
私の師も、生い立ちには恵まれなかった。家が貧しかったわけではないが、母親が姑との対立の中、中絶しようとしたこと。子どもの時に怪我をして、寝ているときに母親が自分のそばにこようとすると、父親が行かなくていい、と言ったという話を聞いたことがある。先生の腿には、その時のえぐれたような大きな傷跡があった。医者の処置も悪いのも相まって、非常に経過が悪かったのだそうだ。
先生が晩年がんになり、それが死につながったことと、この成育歴は無縁とは言えないと思う。しかし、先生は野口師の潜在意識教育に目を開かれ、そういう自分と対話すること、無心を鍛錬し自分の感受性の歪みを超えることで、整体指導者になる修行を行ってきた。そういう先生に、野口先生は「あれは求めているんだ」と言ったという。
先生は整体指導者と認められる段位を取る際の試験で、「整体指導の目的とは何か?」という問題に、「感受性を高度ならしむる」と回答して合格したと聞いた。
自分の持って生まれた体癖的感受性、そして育っていく中で形成されていく感受性。仏教などでは、生命体は、自分にとって意味のある物だけでつくられた世界の中で生きているのだという。
その意味のある・ないを決めるのが感受性というものだ。感受性は、生命体が反応と行動によって外界に適応し、生命体にとっての意味や価値のあるものに注意を向ける中心となっている。情動はそのはたらきそのものだ。
動物は、その種に先天的に具わる感受性に従って生きる割合が高いが、人間は後天的な部分がかなり多い。それは、人間がほかの動物に比べて、未熟児に近い状態で生まれるからかもしれない。同時に、自分の感受性を自覚し、変えていくことができるのは、人間の特徴だと言えるだろう。
この生まれつきと成育歴による感受性は、人の「宿命」のようなものだ。それを超えていくのが「感受性を高度ならしむる」ことなのだと思う。
私は、先生は死の間際まで自身の「宿命」に挑戦したのだと確信している。