アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

自然の摂理―多様性と共生

 昔々、小学五年生だった頃、私は生き物が好きで、飼育係として教室でメダカの飼育をやるようになった。

 ちょうどその頃、食物連鎖のことを知り、子どもながらに感銘を受けたこともあり、私は池で自然に生えた水草を取ってきて、メダカ、小さなタニシのような巻貝、水草についていたミジンコのような微生物で、餌もエアーも要らない完結した水槽を作ることにした。

 それはみごと完成し、水を変えなくても水は澄んだままで、ガラスに藻が生えることもなく、餌をやる必要もなく、メダカが過剰に増えてしまうことも減ることもなかった。

 当時、私はクラスの友人関係につまづき、やや不適応気味だったこともあり、ひまさえあれば、一人でじっと水槽を見つめているのが好きだった。それは私にとって一つの生命体、一つの宇宙のようなものだった。

 飽きることなく見つめている内に担任の先生がこの水槽の秘密に気付き、これをもっと大きな水槽でやってみよう、と言った。最初は自分一人の秘密の世界が奪われてしまうような気がしたが、もっと大きな水槽でやってみたいという欲も出てきて、先生の提案を受け入れることにした。

 そしてその大きな水槽は玄関ホールに置かれるようになった。エアーは入れられてしまったが、それ以外は元の状態を保つことができたので、私はそれなりに満足することができた。

 こうして、水槽は私一人の世界ではなくなってしまったが、それから私はクラスの子たちと親しく交わることができるようになっていったのだった。

 こういう生態系が完結している水槽のことを「アクアリウム」と言うのだが、そのことを知ったのは、大学生になってコンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』を読んでからである。ローレンツも子どもの頃アクアリウムをつくり、何時間でもじっと見つめていたそうだ。そして、それが自然観察者としての基礎になり、大人になり、学者になった今もアクアリウムを眺めていると述べている。

 私は本を読みながら子どもの時のメダカの水槽を思い出し、感慨深かった。私の場合は、アクアリウム心理的な治癒効果もあったと思う。そして、コンラート・ローレンツのように偉大な生物学者になったわけではないが、私は今も自然を観察するのが好きである。

 こういう元変な子(今もか?)である私が、今、不思議だと思っているのは、この新型コロナウイルスの変異の仕方だ。

 漠然と風土と宿主(人間)に適応していく方向で変異が起こるのだと思っていたが、新型コロナウイルスは世界各地の違う場所(たとえばイギリスと南アフリカ)で、同じような変異を起こしているという。東京でも、世界で八例しかない変異が発見され、海外由来ではなく、日本で変異したとみられている(NHKニュース)。

 こういう傾向は、科学的には「それが適応的な変異だから」と説明されているが、それだけなのだろうか。また、変異株の置き換わりの速さは驚くばかりだ。

 昔、今西錦司という人はダーウィン進化論に異議を唱え、「進化は個体が起こす適応的な突然変異から始まるのではなく、ある一定の集団が一斉に変化する」と考えた。そこには「種の意志」のような主体性があって、その方向に変化することを選ぶのだと言う(ものすごくざっくり言ってしまったが、違っていたらご教示ください)。

 今西錦司はウイルスの変異について言っていたわけではないが、私は新型コロナウイルスの変異を見ていると、今西の言ったことを考えてしまう。

 もしかすると、新型コロナウイルスという種にも意志(集合的無意識のような)があって、かなり広範囲で情報共有できているのではないだろうか?ある程度、実験的な変異をした後、ラムダ系変異がいける!と分かったら集団的に変異を起こすのでは?なんて、ちょっとSF的というか、そういうことまで想像してしまった。やっぱり変異というのは不思議な現象だ。

 ただ生命というのは、生の方向(種の存続)に向かおうとするもので、ウイルスでも高等生物でもそれは変わらないのだから、少なくとも「生(種の存続)」にむかう意志はウイルスにもあり、だからこそ適応し、変異を繰り返す、ということは言えるのではないだろうか。しかも複雑な高等生物より、早くそれができるのだ。

 ともかく今、人間ができることは、体内という内なる自然の状態を整え、保つことである。体の中も、一つのアクアリウムのようなもので、腸内だけでなく体内のあらゆるところにバクテリア叢(細菌叢)があり、その多様性と免疫系のはたらきとのバランスは、体全体の調和と密接に関わっている。脳の健康、うつなどの精神疾患と腸内の細菌叢の多様性についてもつながりが研究されている。細胞のミトコンドリアまでも、元は他の生物を取り込んだのだそうだ。

 体の自然は殺菌・消毒によって保たれているわけではないことも、覚えておいてほしい。