アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

眠ることと「死」

 少し前に、やっと会うことが叶った修験僧について書いたが、先日、その人の行う御護摩(※)にお招きいただき、参加させて頂いた。通常、御護摩は月末なのだが、今月は偶然、私の整体の先生の月命日に行なわれることとなったのだった。

 参加するのは初めてだったが、隣に座った方が古参の方で、お作法などを親切に教えて下さった。南朝※の歴史のある吉野の修験だからなのか、その修験僧のお人柄故なのかは分からないが、穏やかな、優しい御護摩だと感じた。

 修験というと、もうちょっと荒々しい(火渡りなどのような)雰囲気を想像していた私は意外だった。かといって荘厳さがないわけではなく、御護摩は粛々と行われ、僧の読経を聴いていると、自ずと瞑想的(禅的)な意識に導かれていった。

 御護摩が終わると、回向(えこう)※という儀礼が始まる。そこで供養の意味で、修験僧は私の先生の名を入れて下さった。

護摩 不動明王愛染明王などを本尊とし、火炉のある護摩壇を設け、護摩木を焚いて、災難を除き、幸福をもたらし,悪魔を屈服させるよう祈願する。火は迷いを焼きつくす力を意味する。

南朝 南北朝時代に、大和国吉野を中心に存立した朝廷。吉野朝とも呼ばれ、1336年から1392年まで56年あまり存続した。 

※回向 仏教において、自己が仏道を修めた善い行いや功徳を、すべての人々の悟りのために振り向けることをいう。転じて仏事法要を営んで死者を追善することも意味する。

 その日の儀がすべて終わった後、修験僧は「眠るということは死ぬ練習をしているのだ」というお話をして下さり、それが心に残った。

 私は小学校四年(10才位)の頃、学校になじめなかった時がある。当時私は、起きていても空想にふけり、眠ると夢ばかり見ていて、夢と現実の境が分からなくなりかけていた。精神科を受診していたら何か診断がついたかもしれない。私は親にも学校の先生にも自分の苦しみを訴えることができず、孤立し、憔悴していった。

 その頃、ちょうど私の祖父(秋葉山に行っていた祖父)が私の家で数日を過ごすことがあり、祖父は私の異変を観てとった。そして私をじっと見て「お前は夜眠れないだろう」と言い、私は黙ってうなずいた。すると祖父は「じいちゃんは寝る前に手を合わせて、神さんに『このまま死んでも良いです』と言って、全部お任せしてから眠る。そして目が覚めたら『ありがとうございます』と言う。お前もそうやって、全部をお任せして、寝るようにしろ」と言った。

 私は何よりも、何も言わなくとも祖父が私の苦しみを観て取り、分かってくれたことがうれしく、子どもながらに涙が出そうだった。そして私はその後、寝る前に祖父の言った通りにするようになり、心理的な危機を抜け出すことができたのだった(この出来事を両親に話したことはない)。修験僧のお話は私に祖父とのことを思い出させてくれた。

 野口先生は、

潑剌と生くる者にのみ深い眠りがある。

生ききった者にだけ安らかな死がある。

という一文を文末に置かれることがあるが、眠りというのは死の体験に近いのだと思う。

 癌で亡くなった私の叔父は、終末医療で痛みを抑えるためのモルヒネを多用するのを嫌がった。死に瀕していた叔父は、意識が不明瞭になることと、このまま目が覚めないかもしれないという恐怖が、痛みよりも先に立っていたのだろう。

  整体の先生がもう最期だという電話が入って病院に駆け付けた時(まだ医師による死亡の確定はしていなかった)、その最期の顔は「何もない」、無心の顔だった。死とは荘厳なものなのだ、とその時初めて知った。

 この文章を書くために「護摩」の意味を調べていたら「実際に護摩壇に向って行うのを外護摩というのに対し、精神的な意味で、みずからを護摩壇と化し、仏の智慧の火をもって心の迷いを焚くことを内護摩という。」とあった。あの先生の顔は、「内護摩」が終わった後の顔だったのかもしれない。

工夫や執着や憎しみや悩みを眠りの中に持ち込んではいけない。天心にかえって眠ることである。

(丈夫な体を作る方法 野口晴哉『風声明語』全生社)

  整体の教えには、健康に生きること、健康に死ぬこと、両方についての智慧が込められている、と思う。