アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

もうひとつの世界

他界論と霊学 

 私は学生の頃から民俗学に興味があるのだが、それは15才の時の祖父の葬儀がきっかけだった。

 大工の棟梁だった祖父の葬儀は、もちろん長男が取りしきったのだが、この時、長女だけが行うとされている葬送儀礼を行ったという話を聞いた。それは海につながる川に髪の毛と、何か(忘れてしまった)を一緒に流すというもので、葬儀の陰でこっそり、誰にも見られぬよう行われた。

 それは祖父の強い希望だったようで、この地域の人皆が行うわけではない。でも昔は皆やったことなのかもしれないし、もしかすると祖父が関わっていた秋葉山の修験的な葬送儀礼なのかもしれない。

 私は祖父が亡くなった時行った葬送儀礼がどういう意味だったのか、強く関心を持つようになった。そして、今生きているこの世のほかに、もう一つの世界があることについて、もっと知りたかった。

 民俗学的には「他界論」と言うのだが、それは海や山といった自然界、神の領域のことでもある。祖父の地元は黒潮文化圏に属し、神社やお寺の正門が南(海の方)を向いていることが多いが、これは黒潮文化圏では死後の世界は海にあるという信仰があるためで、海から黒潮に乗ってやってきた人々の出自(ルーツ)を物語っているといわれている。

 以前、吉野の修験僧のことを書いたが、その人の先代の菩提寺は当時私が住んでいたところの近くにあったのでお墓参りに行ったことがあった。そこは曹洞宗のお寺で、門は矢張り南向き、先代のお寺は海に面した斜面にあって、海のかなたを望んでいるようだった。

 なぜ修験の大先達が、曹洞宗の、しかも海のすぐ近くのお寺を選んだのかは分からないそうだが、曹洞禅と修験というのは意外と関係があるし、折口信夫などが言うように、日本の古代宗教は、海と山との間(関係性)に根源的な何かがあるように思う。川はその通路であり、水は命の流れとも言える。

 しかし、大学などの学問的研究というのは、あくまで客観的にそのようなことを研究するのであって、実際にそういう信仰や世界観を持つということではないのが不満だった。私は祖父が持っていた信仰と世界観そのものを知りたいし、近づきたかった。今にして思うと、私にとっては民俗学が霊学のようなものだったのだろう。

 その祖父が、地震や何か非常事態が起きた時、「自分だけ助かろうとするな」と教えてくれたことがある。私が小学生になって、学校で初めて防災訓練というものに参加した時のことだが、自分さえよければいいという気持ちで人を押しのけて逃げたり、食べ物などを独り占めしようとする人は、生き残れないと言われた。

 この時教えてもらったことは、私の心の奥深くにまで刷り込まれていて、東日本大震災の時、スーパーに行って買い占めで空になった棚を見た時もこの言葉を思い出した。最近もまた、どういう関係があるのか分からないが、お米の棚が空になっているのを見て、暗い気持ちになった。

 今回新型コロナウイルスの発生地となった中国は、まだ普通選挙が行われたことはなく、科学技術と資本主義化だけが過剰に早く進んだものの、民主主義や人権、人々の意識など近代化途上のこともまだ多い。

 昔、私は雲南省の山奥で少数民族のおばあさんに会ったことがある。当時、内陸部にも急激な変化の波が訪れていたが、まだその部族は昔からの母系社会と通い婚を続けていた。
 家長であるその人は、日本のような囲炉裏の傍にじっと坐っていた。中国語(共通語)はできないようで、その家の娘の許に通ってくる夫(彼?)は、「この人は話をしようとしないんだ」と言った。でも、私が正坐で手をついて礼をすると、一言も言葉を発さず、笑わなかった女性がにっこり笑った。
 その時私は、この人は太古の意識のまま現代を生きていて、この心のまま死のうとしているのだと思った。あの人ももう亡くなっただろう。日本もそうだったが、共産圏だった中国はそれ以上に自分たちの根っこを切り捨ててしまっている。

  自然に対する畏敬の念なしに、効果だけを求めて密輸した動植物を処方するのではもう伝統医学ではない。これは整体も同様で、裡の自然や生命に対する礼を失ったら、もう効果などないし、命脈は絶たれるのだと思う。

 中東地域も、オイルマネーは潤沢にあっても「フェラーリは好きだが民主主義は嫌い」と言われる地域で、宗教対立の中心地だ。過激な原理主義と貧富の差、伝統と自由などいろんなアンバランスがある。

 このような、人間と自然、伝統と近代、貧困と富、個と全体など、様々な対立と関係性の乱れが生じている象徴的な場所で、まず不安という集団心理があり、それから感染症が起き、世界中に広まっている…というのも、何か意味があるのだと思う。野口先生も集団心理と感染症の大流行には密接な関係があると言う。おそらくウイルスだけの問題ではないのだ。

 野口先生が生きた近現代は、本当に戦争と感染症、そして近代科学の時代だったけれど、新型コロナウイルスのニュースを見ていると、問題は何も解決していないし変わってもいないことを思い知らされる。

 

 余談だが、野口先生は太平洋戦争中、「三脈をみる(註)」ことを会員に教えたそうで、東日本大震災の時、私も整体の先生にやり方を教わった。

  近い未来に起こる生命の危機を、潜在意識は知っていて、それが体に顕れるというのは不思議なことだけれど、まず自分が「大丈夫」を確保するための良い方法だ。新型コロナウイルスには直接効果はないけれど、非常事態が起きた時のために覚えておくといいかもしれない。

(註)三脈の法 

親指と中指を下顎骨の下にある左右の動脈に当て、もう片方の手で、首に当てている方の手首の動脈(親指寄り)に指を当てる。

何でもなければ、この三か所の脈は一致しているが、脈がばらばらに打っている時は身の危険が迫っている。どうすればいいのかはその時の自分の勘と判断によるしかないが、とりあえずその場を離れ逃げること。

元は諸葛孔明が用いたという古代中国の方法。江戸時代から医師などには知られていたという。

黒潮文化圏

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石器時代から、黒潮の流れに沿った人と文化の交流があり、宗教・生活文化などに共通性がみられる。この文化圏を黒潮文化圏という。