アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

体と向き合う

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 ところで、新年早々、あんまりいい話ではないけれど書いておきたいことがある。

 お正月に実家に帰って古い知人に会い、彼が昨年受けた腰椎の手術の話を聞く機会があった。この人は整体とはまったく縁のない人だが、スマホで見せられたレントゲン写真には、腰椎3・4番の間と4・5番の間、そして5番と仙骨の間にボルトが計6本刺さっているのがはっきり映っていた。手術を受けたことは知っていたが、想像以上のすごさに内心驚いた。

 脊椎狭窄症の手術とのことだが、術後の状態が思わしくないという話だった。手術をすれば以前のようになると思って手術をすることにしたのだが、そうはならなかったのだ。ものすごく痛くて動けないということもないが下肢に痺れがずっと残り、指にもしびれが出ていたし、歩行時の足の動き方がおかしくなっている。腿の太さも左右ではっきり違っている上に、その人全体が硬く、小さくなっていた。もちろん痛みも完全になくなるわけではなかった。

 手術をやってしまった後では、もう元に戻ることはできない。こういう時、本当にどう言ったらいいのか分からなくて困ってしまうのだが、手術以外の選択肢があるという情報も多少入っていたのに、こういう手術を選んでしまった当時の彼の心理状態というのは、普段とは違った(特殊な心理状態にあった)のではないかと思われるところがあった。

 もちろん手術前に私が引き受けたところで、すぐ脊椎狭窄症を完治することなどできないが、術前より彼の身体が悪くなったことが痛ましく、その前後の事情を詳しく聞く時間もなくて、苦い思いだけが残った。

 私のような整体馬鹿には信じ難いことが、一応は医師と患者の合意の上で行なわれていることが、すぐには受け入れられなかった。多分、彼の手術は医学的には「成功」ということになるのかもしれないが、整体的には「毀れた」と言うしかない(原因は加齢とされており、「痛みの程度は狭窄の程度と必ずしも一致しない」ことは医学的にも認められている)。

 ただ、こういうことがあった時、病院や医師を批判するだけでは何も変わらないと私は思う。それよりも、個々人が体、病症、痛みというものにどう処するかという態度を大きな変動がない時から培っていく方が大切だと思うのだ。それにはまず、自分の体を感じる、向き合うことを身につける必要がある。

 この人は50代後半で、これまで一度も大病をしたことも手術をしたこともなく、体を動かすことが好きで、水泳などもよくやっていた。しかし体と向き合うということはほとんど知らないで来た人だ。

 自分の体と向き合うことは競技スポーツの身体訓練とは違う方向にある。体を「動かす」のは頭(意識)→体という方向で、体を意識的に支配する力を高めていくことを目的としている。体を感じる・向き合うというのは体→頭(意識)という方向で、これは今の状態をまず受け入れ、体の自律性を信頼するという受容的な態度だ。

 この体から上がってくることを敏感に感じとったり、どのように捉えるかという身心の基礎が、失われつつあるのではないか。そこから教えていかないと、野口整体そのものが伝わらなくなるのではないかとも思った。こういうことは私の整体の先生もしばしば言っていたが、整体では痛み、病症というものを含めて体と向き合うのだから、避けては通れぬ問題だと改めて思う。