アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

体癖・開閉型9種について

 先日、ある若い男性の初回の指導を行ったのだが、その人から野口整体に興味を持ったきっかけは体癖だという話を聞いて少々驚いている。

少し前に、活元運動の会にも体癖から野口整体に興味を持ったという若い人が来たことがあるが、今、若い人の中で体癖に興味を持つ人が増えているのだろうか?

 野口晴哉存命の頃は、あの電通本社で体量配分計(体重がどのような配分で足裏にかかるかを計測する)と体癖関連の展示などが行われたことがあったようで、月刊全生でそれについての記事を読んだことがあるが、そんなに今、体癖が注目されているという話もあまりきいたことがない。偶然なのだろうか…?でも、嬉しいことである。

 その人に「自分は何種だと思う?」と聞いてみたら、「1種」と言うので「ええっ」と言ってしまった…。私の見解とは大きく離れていたので出てしまったのだが、申し訳なかった。

 初回の指導でまだはっきりしたことは言えないのだが、身体的な特徴などから私には9種があるように思えたが、本人は「そうかな…と思うところもあるけど、わからない」とのこと。

 どういうわけか9種というのはあまり自分では分からないことが多く、私も実はそうだった。私も師匠の最初の指導で9種体癖があると言われたが、「そう思えるところもあるけれど、中心的な体癖が9種とはわからなかった」というのが正直なところだった。

 野口晴哉も「9種については講義しにくい」と言っており、9種は他の体癖からは理解しにくいところがある上に、9種には言葉で説明するのが面倒くさいというところもあるのだと思う。そういう9種だから体癖のような人間を理解するための観点が必要だったとも言えるけれど。

 私の整体の師匠が若い時使っていた講義ノートには、「兄の場合 9種傾向が1・6種に変化」と書いてある。先生の兄上は、ノーベル賞受賞者を輩出した教室で理論物理学を専攻していたが喘息の持病があり、野口晴哉の指導を受けていた。それで野口晴哉からそう言われたと先生から聞いたことがある。

 9種が感情を内攻させるとどうも6種的になってくるようで、そうなっている9種が多いために自覚も難しいのではないかと思っている。特に9種のある男性は6種化傾向がよく見られるように思う。

 私自身体癖として前後型もあるけれど、やはり以前は6種的な傾向があって、今も体調を崩すとそういう傾向が出てくる。

 もちろん他の体癖でも呼吸器を悪くすることはあるし、そうなれば6種的な傾向は出てくるのだが、9種が自然を失っていると(骨盤の弾力が失われていると)そうなる傾向が強い、ということである。

 体癖というのはそこが難しく、体が良い状態ではない時に表れている体癖的特徴は現象的なもので、指導で変わって来るならそれは体癖とは言えないのだ。

 体癖は現れ方も整っている時とそうでない時は違ってくるし、自覚の有無でも変って来る。そして何よりも大人になること、つまり心の成長によって体癖という自分の主観の世界を広げ、さらには超えていくことが必要だ。

 それはまず、自分の自然として体癖を理解していくことから始まる。そして本気で生きないと体癖ははっきり表れてこない。体癖丸出しで全力で何かに取り組み、本音を認めることが体癖以前の問題としてある。体癖に関心を持つ人には類型的な観方だけではない、発達的な観点をぜひ持っていてほしい。

 

 今日は通りがかりに見かけた薄紫色のバラが何だか気になって衝動買いしてしまったのだが、後で品種を調べてみたら「ノヴァーリス」という名前だった。

 ノヴァーリスはドイツロマン派の詩人で、ユングやシュタイナーの文章で名前は見かけたことがあるが、よくは知らなかった。『青い花』という作品があり、どうもそこからつけられた名前のようだ。はかなげで幻想的な雰囲気の花だが、じつは丈夫で育てやすいとのこと。見た目だけでは分からないのは人間も一緒かも。
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