アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

女性の体と心の成長

 女性の体と心の成長

 私は、はてなの「野口整体を愉しむ」

shigeseitai2.hatenadiary.jp

という野口晴哉先生の講義内容を紹介するブログを読んでいるのだが、このところ、お題として夫人操法が取り上げられていた。

 その中にこんなくだりがあった。

 女は、力のあるうちに、そういう「化月」をしたほうが良い。男は七十でも八十でも「回春」処置はすべきだと思いますが、女は若さが残っているうち、まあ五十になったらそういう事(化月)をとったほうが、その後ずーっと長生きする、丈夫になる。

 そうは言っても、それを理解するのは大変なんですよ。みんな若いほうがいいと思っている。

 こういう発言をする野口先生も勇気があるが、このブログの管理者も勇気があると思う。女を敵に回すのが怖くないのだろうか?

・・・というのは冗談で、これは野口晴哉先生の、女性の深層心理と心の成熟を踏まえた観点だと思った。

 野口先生の『女である時期』(全生社)という名著があるが、このタイトルは月経がある期間における女性の体と心を端的に表現している。月経が終わると同時に、女である時期が終わる、と多くの女性が思うし、体の面からもそう言える部分が多い。

 しかし、それはある意味、生物的な自然に支配されている時期、とも言えるのではないだろうか。本当に、ある種の他者性を感じるくらい、性の力が女性の身心を支配する力は強い。

 それに、女性というのは「自分を見てほしい」という注意の要求が強くて、自分に自信がなくなるとそれが強くなる。そういう心理の大本に、体が「女である時期」にある、という事情があって、本能的欲求ともつながっているわけだ。

 一概には言えないが、更年期に女性の病気やがんが多くなる背景には、女としての要素が失われていくことが自分の自信喪失につながって、かくれた「注意の要求」が影響していることがある。しかもそれは、精神的に若い時のままの人が多く、「愛されたい」、「認められたい」要求の強い傾向がある。

 その一方で、夫の方は活躍の場や人間関係が広がる充実した時期に入っていったりすると、妻が病を得る・・・ということが起きる場合があるのだ。一言で言うと「嫉妬」、自分の存在感が失われていくように感じる、という問題である。そしてそれが夫を苦しめる方向に向かうこともある。

 今は、女性のいつまでも若く美しくありたいという欲望も、ある程度実現できる技術が進んでいる。しかしそれは、更年期を過ぎても心理的に「女である時期」を終わらせることができない、という人間の自然とは離れた方向を向くことにもつながるのだ。

 私は、乳がんの末期で妊娠したが、子どもの心音が聴こえなくなって掻爬した女性に出会ったことがある。彼女は妊娠を奇跡と喜び、一縷の望みをかけていた。

 掻爬の直後、彼女は出産直後のように、冷たい水が小指に沁みると私に訴えた。彼女は混乱し、生と死の区分まであいまいになっていた。

 まだ40代半ばで、女の体に起こりうる悲しみと苦しみのすべてが、彼女の身に起きているかのように見えた。そして彼女は私とは違う方向を向き始め、もう後戻りはできなかった。

 その半年後位に彼女は終末期で入院し、私は最期と思い、会いに行った。

 彼女は「野口整体を勉強したい」と言った。そして自分がなぜこうなったのか、よく分かると言ったのだった。その後、奇跡的に退院したが、その半年後、彼女は子どもたちを遺して自宅で亡くなった。

 私はあの時のことを、彼女のことを忘れることができない。彼女といると、自分と相手との境が薄れていくようだった。

 初めて会った時、私はずっとずっと以前から、この人を知っているような気がした。私と彼女は体癖も共通していて、似た者同士だったのだろう。

 少々、私が会った人のことを一般化しすぎているかもしれないので、それは割り引いてほしいのだが、とにかく女である時期をすっきり終わらせ、感情の整理ができるようになって、自分の心を明瞭にするというのが、この時期の女性の課題なのではないかと私は思っている。

 また女性が皆、化月操法をする必要があるという意ではなく、こうした野口先生の講義内容から、主体的に女である時期を卒業する姿勢を学ぶという点に意味がある、ということも押えておいてほしい。

 それにしても野口先生は、人間が自分以外の人間の身心に関与することの限界に迫った人なんだな・・・と思う。

 今回はshigeseitai2さんにお題を頂きました。ありがとう。