アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

食べる

 冷蔵庫に中途半端に残ったビーフシチューのルーとカレー粉があったので、この二つを合わせて強引に牛すじカレーを作ってみたところ、それなりの仕上がりになった。普通のカレーというよりスープカレーという感じだが、残り物活用のチャレンジ料理がうまくいくと嬉しいものである。

 前回、新嘗祭の前日に明治神宮にお参りしたことを書いたが、実はあの後もご利益があって、別の人に551蓬莱の豚まんを頂いた。TVなどで見聞きするだけで食べたことがなく、「食べてみたいな」とは思っていたのだが、噂にたがわずおいしかった。初豚まん(肉まんではない)まで叶ったとなると、これは…。

 昔、図書館でキノコ図鑑を読んだことがあって、その著者は「明治神宮で松茸を採ったことがある」と書いていた。場所は絶対言えないけれど入れない領域ではないという。

 あんな都心で松茸を採る人がいるなんてほとんど神秘だと思ったが、観える人には観えるのだ。それに神域の森は広く木も大きいからあり得ることだと思う。

 まあ、こういう風に延々と食べ物の話を書いてしまうのは、私がもともと食べ物に注意が集まりやすい・関心が強い人だからであって、野口整体の体癖論で言う左右型3種体癖がある、ということでもある。

 左右型3種と言うと、野口整体の世界では低評価というか、特に指導する立場にあっては「三文下がる」位の感じである。

 これは野口晴哉が食べ過ぎをよく注意したからで、生来食べるのも料理も大好きな3種族は、今も昔も指導でお叱りを受ける場面が多いことによる(多分)。

 ともかく来年、機会があったら明治神宮新嘗祭の前日参り、あるいは松茸狩りをお勧めしたい。

 そして、食べ過ぎが良くないのはすべての人に当てはまる!整体的な食べ過ぎというのは単なる量ではなくて、味がよく分からないまま漠然と食べているとか、心理的な不満や寂しさを充たそうとして食べている、なども含まれる。

 やはり同化・異化(吸収と排泄)が大切で、何を、どのぐらい食べるかはこうした体の過程を確かめてみることが必要だ。食べたい、おいしいと思っても、体は「これじゃない」ということもある。

 それはそうと、先日、野口整体を愉しむはてな)というブログで、このブログに張ったリンク先の記事について述べてあった。

 この記事を書いたころ、アメリカとヨーロッパが少々集団ヒステリー的になっているように感じ、漠然とした不安の中で書いたところもあったので、読んだ人に何が言いたいのか分かりにくいなと思っていたのだが、flyingpooh氏に汲み取って頂けたことが嬉しかった。

 まあ、福岡伸一氏などの記事によると、もともとアメリカでは結核などのワクチン接種の強制力は日本よりはるかに強いそうだし、ドイツでも、ワクチンの集団接種をしないシュタイナー教育の園や学校で水疱瘡などが流行ると、地域の人々と度々軋轢が起こっているのだそうだ。

 やはりワクチンは近代西洋医学の武器であり、感染症と闘う、少なくとも支配しようとする強い対立姿勢が西洋の基本にあるのだろう。地震などの自然災害に対する受け止め方とも共通している。

ワクチン接種率は相当に高くなっているけれども、やはり日本には「収まるのを待つ」という自然に対する受動性が、まだ多少残っているように思う。

 オミクロン株なるものが出てきてワクチン・検査パッケージの前提が崩れかけているし、今後の感染状況次第でどうなるかは分からないけれど。

 ともかく、アメリカ・ヨーロッパの方には、太らないこと・食べ過ぎないことをお勧めしたい。これは呼吸器のはたらきを良く保つという整体的な考えでもあると同時に、肥満はコロナ重症化の最大要因として世界的に認知された西洋医学の知見、でもある。

 私も気をつけよう…。