アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

不思議な出来事

 ちょっとオカルトっぽい話なのだが、初めての経験だったので書いてしまった。今回は抵抗のない方のみ読んでいただきたい。

 

 このところ指導をしている人の父親が終末期にあることについて書いていたが、その人から父親の状態が変わってきたというメールが来た。

 私はこの人の父親に会ったことはないが、いろいろと性質や体の特徴などの話を聞いていたからか、初めて話を聞いた時から漠然と「満月前後に亡くなるだろう」、そして「泌尿器系の働きが止まったらまもなく亡くなるだろう」と思っていた。

 潮の満ち引きと人間の体は共鳴していることはよく知られており、昔は西洋医学の病院や助産院には旧暦や潮の干満表があったそうである。

 しかし、長い間病院で体の状態を管理される状態を経て亡くなる方はそうばかりとは言えないようで、出産も昔ほど潮の干満に一致しなくなってきているという話を、自然分娩を行う助産師から聞いたことがある。

 ちなみに整体の師匠が亡くなったのは新月の日で、満潮の2時間程前だった。そして指導をしている人の父親は満月の二日前の夜、干潮の20分程前に亡くなった。

 私はその夜、その人(指導をしている人)に遠隔愉気をしていた。遠隔愉気というのは体に触れることのできない、遠くにいる人に気をおくる(愉気)するということである。

 私の直接の師匠はあまりやらなかったのだが、野口晴哉は指導者になるための講義の中で遠隔愉気の練習をすることを勧めている。私は師匠の体調が悪くなり始めてから、時々密かに師匠に遠隔愉気を行うようになり(身体も毎日観ていたがそれとは別に)、師匠が亡くなった後もたまに行うようになっていた。

 遠隔愉気をする時は、相手の姿をはっきりとイメージしてから行うのだが、最初はできていたのに、途中から以前写真で見せてもらった、その人の母親が出てきてその人の姿が見えなくなってしまった。お母さんが訴えるような目で私を見つめながら、正面に立っているのだ。それがしばらく続いたので遠隔愉気を中断し、どういうことだろう?と思った。

 その日は何となくそういう気になったのでお水とお灯明、お香をあげて、その後寝てしまったのだが、朝起きると父親が亡くなったというメールが来ていた。

 亡くなったのは私が遠隔愉気をしていた30分ぐらい後だった。そして私は、お母さんはお父さんが亡くなると伝えたかったんだ…と思ったのだった。私が思っていたのより数日早く訪れた死だった。

 その日の夕方、私は真っ白な小輪の撫子と薄紫のエゾ菊を活け、ささやかにご冥福をお祈りすることにした。

 指導をしている人にこのことを話そうかどうか迷ったのだが、怖がられたり引いたりされると困るので話さずに終わるのではないかと思う。自分も確信を持って話す自信がない。

 でも、不思議なことは起こってしまうものなのだ。それが現実かどうかは、多分私が決めていいことなのだと思う。

 それから私は掘ったばかりの里芋で芋っこ汁(芋煮の岩手県版)を一所懸命に作った。前から一度東北の芋煮を食べてみたいと思っていて作ってみたのだが、いきいきした根野菜の味が「私は生きている」という実感を呼び起こしてくれた。

 遠隔愉気もいいけれど、体を基とすることはやっぱり大切なのだ。気に非常に敏感で、神経過敏と言えるようなところもあり、体の基礎作りに努力を重ねた私の師匠は、生の実感こそを大切にしていたのだと思った。