アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

大晦日

 今日は一日 本を読んで過ごした とても寒い日だった

RCサクセションにこんな始まりの曲があったが、今日はなんだか本当に寒いと感じる日だった。

 やっとこさ起きてから、前の晩からやるぞと決めていたりんごのキャラメリゼを作る。私はカラメルソースというのが長い間うまく作れず、苦みと香りのない、べっこう飴みたいな味になってしまうのが常だった。

しかしグラニュー糖をさらさらと鍋に入れてそのまま火にかけて焦がしていくやり方を知ってようやくうまく作れるようになったのだが、今回もこの方式で洗双糖という国産のブラウンシュガーを使ってカラメルを作り(りんごから出るので水分は入れない)、そこにいちょう切りにしたりんごとバターを投入して炒め煮にする。やっぱりうまくできた!

 本当に簡単で、コンポートより大人の味だ。冷凍のパイシートで包めばアップルパイ、バターと小麦粉と砂糖でそぼろを作り、振りかけて焼けば英国式アップルクランブルになり、冷凍保存もできる。りんごが家に沢山あってもてあまし気味な時はぜひ試していただきたい。醤油のような色になるまでカラメルを焦がすのがポイントで、キャラメリゼなんていうおフランス語の名前に恥じないおいしさである。

 まあ、こんなことをしている間に今年の大みそかは過ぎていったのだが、今のような時代、静かに年が越せるというのはありがたいことだ。自分としてもよく頑張った、よく生き延びたと振り返って思う。

 先日、タモリが来年はどういう時代になるかと聞かれて「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と答えたというのが話題になっていたが、この人は穏やかに鋭い人だ。コロナ禍が終わるからと言って明るい気持ちになれないし、世界的にも先が見えないことばかりなのだから。太平洋戦争前もこんな時代の空気だったのかな、と思ったりもする。

 でも、不思議なことに過去に戻りたいとも思わない。昭和や平成の方が良い時代だったとも思っていない。これはどういうことなのだろう。引返すことのできない、なにか大きな岐路に立っているということなのだろうか。私個人がそうだということもあるし、人間全体がそうなのかもしれない。

 今年は年を取ったというより若返ったような気がする不思議な一年だった。他者の目からは「いや、年取ってますよ」と言われるのかもしれないが、自分の感じとしてはそういう気がしないのだ。いや、コロナ禍が始まってからそうなっている気がしないでもない。この三年は蛹の時期だったのだろうか。来年は生まれ変わったりして…。

 何はともあれ、もうすぐ年が明ける。良いお年を。