アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

そういえば命日

 先月、指導をしている人から何度か症状についてのメール相談があった。整体の師が亡くなったのは5月16日だったのだが、その時火葬場がいっぱいで、1週間ほど待たなければならなかった。葬儀屋さん曰く「5月は亡くなる方が多い」とのことで、一般的に良い季節だとされている時期ではあるが、体の変動が起きやすい時期でもあるのだ。

 これまで5月半ばになると、師匠を偲んだ記事などを書いていたが、今年は忙しさに紛れてそれをしなかった。そうしたら、である。命日を過ぎた頃から何だか気が沈むような感じになって来て、18日頃にたまたま亡くなった後の辛い時期を思い起こすようなことがあり、涙が止まらないという状態になってしまった。

 なんだかおかしい…と思っていたら、偶然見た自死遺族のサイトに命日反応という記事があって、これだ!と思った。こういう時、昔の人は法事をちゃんとやらないからだ、などと言ったのだろう。

 実際にはその頃になると無意識に心が過去に引っ張られ、感情が呼び起されることがあるということなのだと思う。大切なのは何か儀礼的なことをすることで過去に向かっている、つまりちょっと退行している心を今、ここに向かわせることなのだ。そして整理できていない感情も思い起こして浄化しておく方が良い。

 今年は新しい生活が始まり、それに適応しようとするあまり内面的な変動に対する気づきがおろそかになっていたようだ。

 命日というのは、亡くなった人のためだけにあるのではなく、この世に生きる人のためでもあるのだろう。こういう現象は皆に起こるわけではなく、そういう人もいるということなのだが。

 先生が亡くなった後、私はしばらく抑うつ状態になっていた。このブログを書き始めたこと自体その治療のためであり、本当に脱したと自信が持てるまでに3年程かかっている。自分でも情けないと思ったこともあるが、それが現状なのだから仕方がなかった。でも、私は大きな喪失を経験する前の自分より、今の自分の方がずっと好きだ。

 今年は命日に特に何もしなかったけれど、来年はやはりきちんと死を偲ぶことにしよう。