アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

命日

 先日、整体の師匠の命日を迎え、当時のことを思い返していた。私は亡くなる二年半前から先生の身体を毎日観始めたが、その時から身体を観ている時は師匠と思うのはやめよう、と決めたことを思い出した。あの時から、私の本当の独立が始まったんだな…と思う。でも不思議なことに、私は弟子だった時よりも今の方がいつも一緒にいるような気がしている。

 先生が亡くなった後、私は世界の見え方が変わった気がしたが、それは私が見るものを先生も常に一緒に見ているという感覚になったからだと思う。

 それでも命日になると、悲しいわけではなくても少々気持ちが過去に向かうもので、翌日もちょっとぼんやりしていたのだが、公共施設の古書リサイクルコーナーの前を通りかかった時、懐かしの『こどものとも』(福音館書店)が目に飛び込んできた。それも1960年代の復刻版が10冊ぐらい、珍しいものも含まれていた。

 私はその昔、児童書とヨーロッパのおもちゃを扱う店で働いていたことがあったので、それがレアものだと分かったのだが、ほとんどの人はただの子供向け冊子と思うだろう。状態の良いものを言えないぐらいの廉価で手に入れてしまった。

 串田孫一『ひとりでやまへいったケン』、クロード・岡本『てじなしとこねこ』などは初めて見たが、現在発売されていないのが残念なほど良い絵本である。クロード・岡本というのはまだ10代の画家で、当時かなり話題になった作品のようだ。しかし現在、活動していないという。

高値で売れたりするのかな…。

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 そして宮脇公実画の『あかずきん』。狼の顔が恐くてそのページを開けない子がいるという話を聞いたことがあるが、噂にたがわぬ怖い顔である…。まあ、本当に悪いやつはこんな分かりやすい「悪い顔」はしていないのだが、いかにも悪の権化という顔だ。絵が怖すぎたのか、現在絶版。

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 串田孫一は背表紙に「絵本は母親の芸術であると言われるが、父親の芸術でもある」という一文を寄せ、「もっともっと父親の絵本が生まれることを、子どもとともに切望します」と結んでいる。手に入れた10冊みな名作ぞろいで、当時の作者たちの児童書に対する熱量が伺えるいい出物だった。

 しかし心が今、ここになければ、いいものがあっても目に入らず、存在しないのと同じことになる。これも先生からの教育的指導、かもしれない。