最近、はてなやnoteなどで野口整体についての記事を読んでいて、えー、そうかなと思うところ、勉強になるところ、発見その他様々思うところがあった。
まだそれについて何か言えるまでには至っていなくて、お腹の中に容れてある状態だ。言葉になって出てきたら、書いてみたい。
ところで前回書いた熱海の災害のことだが、報道によると、沢になっているところに土を入れたために、水の流れを盛り土が堰き止めたことが要因の一つだという指摘があるという。
水の流れと言えば、熱海に住んでいる時、庭に地下水の流れを使った小さな滝があった。
しかし、この水の流れが新しく造成された下の土地に流れ込むという苦情があり、水道局が調べに来たことがある。
この滝は水を引いたわけではなく、もともと家ができる前からあった流れで、古い排水路に流れるようになっていた。そのため苦情を言った人の土地に流れ込んではいなかったのだが、新しい下水道に入るようにする工事(おそらくそんな感じの)を市役所が行った。
しかし、その後も雨が降ると、やはりどうしても同じ所を水が流れる…という嘆きを苦情を言った本人から聞いた。
私の住んでいた家の隣は高い盛り土をしてあったが、雨が降るとその高い盛り土から水が勢いよく流れていて、その工事もしたが水は止まらなかったそうだ。
以前、土地を観る人が「水というのは流れる所が決まっていて、長い時間には必ず元通りになる。水の流れを変えることはできない」と言っているのを聞いたことがあるが、野口晴哉も、確か1974年頃の多摩川の洪水で、同じようなことを言っていた。
人間が水の流れを変えようとしても、水量が上がり勢いづけば、元の通り道を通るのだ…という話だったと思う。
熱海にはもともと崖や沢が多く、坂が多いというか、ほぼ全て坂である。また今回、土石流が流れた筋も普段は地下を流れている川だ。
水脈も多く、伊豆山神社に住む龍というのは、芦ノ湖から熱海に至る水脈とも言われている。
人間の体のエネルギーも、こういう水流のエネルギーと同じで、ないと生きていけないが、過剰でも困るし、堰き止められていると破壊エネルギーにもなる。そして決まった経路を通って放出の方向へ向かう。
体癖というのは、「エネルギーが体の中でどういう経路をとるか」を研究したものということもできる。
熱海に住み始めた頃、私はこの滝と沢の水音が気になった時期があつた。
それも自分では漠然としていたのだが、ある土地を観る人に水の流れる音というのは不安になるものだということを教えられ、「怖くないか」と聞かれたのだ。
それでようやく、よく眠れないことと水の音がつながり、自覚したのだった。
その人は「水がどこから流れてくるか、源を辿って見てくるといい」と教えてくれたので、私は納得できるところまで源をたどってみた。すると不思議なことに、その日の夜から水の流れる音が気にならなくなった。
これは潜在意識の話で、私には、漠とした把握できないエネルギーの存在が自分を支配する、源を辿ってその正体を見ると支配力がなくなる…ということの、共時的なメタファーのように思えた。
水は次第に集まって、流れとなる。その源からは、常にこんこんと水が湧きだしている。
人間の生命もそのようなエネルギーとして見ることで、体の緊張と弛緩が観えてくる。これも野口整体の観方のひとつである。