アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

黒歴史が思い出に変わる

 少し前に、椿が咲き始めているのを見かけた。例年、年が明けてからの藪椿も、もう咲き始めている。冬至が近づくにつれてやはり冬らしくなってきたと思っていたが、今年は冬の終わりが早いのだろうか。椿の花はいいものであるが、ちょっと気になった。

 そして先日。ある整体指導者のブログを読んでいたら、私の師匠の名前が出てきて驚いた。先生の名前が一字違っていたけれど(笑)、亡くなって三年がたった今も先生の名前を肯定的に出してくれるというのは嬉しい。

 東北の震災があった年に行われた整体関連のイベントについての話の中で出て来たのだが、これは先生の中でも私の中でも黒歴史となった残念なイベントだった。

 このイベントの後、先生は気力が低下して疲れが抜けなくなり、見かねて私が背中に愉気(手当て)をしたのだが、手を当てると背中に真っ黒な穴が開いているように感じた。私が先生にそう伝えると、先生は「そうか…分からんかった」とだけ言った。

 その後しばらくして、先のブログを書いている指導者が先生の道場を訪れた。この指導者も問題のイベントに参加しており、先生は来訪した指導者にその時の思いをぶつけたのだが、その中で「弟子に背中に穴が開いていると言われた。言われるまで気づかなかった」という話をしていた。私は先生がそういう話をするとは…と意外に思い、驚いたことを憶えている。先生は自分の感情的な話を人にあまりしなかったからだ。

 それはイベントのことのみならず、その後先生が体調を崩していく兆しだったのだが、それは置いておこう。先生は、この指導者に信頼できる何かを感じていたのだと思う。今回、この指導者が先生の名前を出してくれたことで、その当時のことが動画を見ているように思い出され、懐かしかった。

 これまでは何分黒歴史だと思っていたのであまり思い出すこともなかった。だから確かな記憶ではないが、野口晴哉が生誕百年を迎える前年、その記念イベントをしようという企画が先生に持ち込まれて、その後震災が起きたのだった。

 当時、先生は二冊目の著書出版に取り組んでいる最中で、私もそれに深く関わっていた。それで、イベントの準備段階で相容れない点が浮き上がってきた時、先生にこういう企画に参加することをどう思うか聞かれたが、私は「やめた方が良いと思います」と答えた。

 しかし当初、この企画に参加した数人の指導者は珍しく?まとまって盛り上がってスタートを切り、しかも野口晴哉を直接知る指導者は先生しかおらず、神輿に乗せられるような形で参加することになったのだった。

「人間は、負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。」という有名な言葉があるが、私はこのイベント当日のことを思い出すと必ずこの言葉を思い出す。結局私もこの黒歴史イベントに関わってしまったのだが、先生も私も、こういう気持ちだった。

 今思うと、野口晴哉が生誕百年を迎えた年に震災が起きるというのも不思議と言えば不思議だし、何か集合的な心(エネルギー)に抗えなかったようにも思える。

 この流れの中で、難航していた某出版社との企画は頓挫し、私は最後まで担当編集者と打開策を探ったが、打ち切られた。その後、自費出版のような形で別の出版社から出ることになった。これも当時は辛かったな…。

 でも、件の指導者が、他の指導者とは違う角度で整体を語ろうとしていたと理解していてくれたこと、そして今でも先生のことを憶えていてくれたことがただ嬉しかった。

 何だか黒歴史が普通の思い出になったような気がする。ようやく経過できたような…。何よりそれを心から有難く思っている。やっぱり、仕方がない(なかった)、という言葉が出てくるうちは、まだ潜在意識の中では終わってないんだなあ、と思った。