アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

モモとWhat's Going onと

 先日、TVで3人の研究者がエンデのモモについて語る番組を見た。私の子どものころからの愛読書が、来るべき世界を考える上でのテーマとなるのは何となくうれしい。

 この日の朝には、福岡の三連水車のある地域の紀行番組を見た。その中で、250年間、代々農業を続けてきた家に、川が氾濫して流れてきた土は大事にして田んぼに入れろという言伝えがあると言っていた。

 そのご当主は、実際に数年前水害に遭ったが、土砂を田に入れたら三年で米の収穫量が戻ったと言う。

 まるで古代エジプトのナイル河氾濫を利用した農業みたいだが、本来、川が運ぶ土砂は山の肥沃な土なのだ。母なる河の氾濫という破壊の後には耕作地の再生があったから、人間が農業を続けてこれた面があるのだろう。こうして荒ぶる自然の力と共生していたのだ。

 私は熱海の土砂災害を思った。本当に、何という違いだろう。熱海の土砂にはそういう生命感がない。無機的で、破壊の跡しかないように見える。今も現場の報道を見ると、言いようのない無残さを感じる。そしてあの土砂の灰色は、モモに出てくる灰色の男たちの集団を思い起こさせる。

 そういえば熱海に住んでいた頃、廃棄物処理施設に行く時があった。処理施設の隣にはなんと市民の火葬場があって、どういう感覚なのかと思ったものだ。

 それはともかく、私は熱海で処理施設を見て、ゴミを集積所に出す人は、一度は当地の処理施設に行くべきだと思うようになった。

 廃棄物がどんどん放り込まれる焼却炉は巨大な穴のようになっていて、虚無が大きな口を開けているように見える。そこでは何もかもが意味や目的を失う。物質的豊かさの終末地点のような恐ろしさがある。

 子どもではなく、大人こそあのブラックホールに社会科見学しにいくべきだと思う。

 オリンピックといい、パンデミックといい、いろんなことが末期的で、隠されてきたこと、見ないようにしてきたことが、実態をさらけ出しはじめている。しかも熱海の土砂のように、再生不能な感じしかない。

 きっと今、できることは、しっかりと見ること、目をそらさないことなんだろう。

 昔昔、1971年にマーヴィン・ゲイベトナム反戦をテーマにして書いた「What's Going on」という曲がある。

 What's Going onは「どうなってるの?」というような意味だが、私は今、ニュースを見ていると本当にそう思う。この曲は今の時代にも何だか合っているような気がする。

 本当のところどうなっているのかを、何が起きているのかをしっかり見て、誰が、どんなことを言ったのかも、集団心理の恐ろしさも、名もない庶民の一人として、覚えておこうと思う。そして、パンデミックというものの実態を見届けておきたい。