アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

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天皇制と、大学の先生について思うこと

 先日、学生の時のゼミのK先生が、女性天皇肯定派の論客としてTVに出たり、女性天皇についての著書まで出したりしているのを知って驚いてしまった。

 先生の専攻は日本の上代文学(記紀神話万葉集風土記など)で、皇室典範(法律)が専門というわけではないのだが、現実に女性天皇が存在したことや、男系長子というのは中国の影響で、もともと女性が祭祀(宗教)的役割を担うのが日本古代の姿であったことを基にしての発言のようだ。

 天皇制の基盤は、稲作を中心とした農業(農耕祭祀)にあり、先生にはその起源についての著書もある。

 そして万世一系男系天皇の伝統は、後宮だとか時代とともに移り変わる豪族やら権力者の思惑だとか、いろんなものが基盤になって続いてきた。

 また、天皇が人間ではなく現人神であり、早い段階から実際の政治から遠ざかったことも天皇制が続いた大きな理由だろう。キリスト教圏ではありえないことだ。

 こういう基となる前提が、今は失われたり変化したりしているということも、考えなければならないだろう。

 それにしても、私が学生の頃は、上代文学専攻自体が少なかったし、神道天皇制、民俗学に興味があるなどというのは変人だった。(私はその一人)

 しかし今はどうだろう。ニュースは天皇制の話題でもちきりとなり、若い人が神社に行く。時代は変わったものだ。何となく、自分は勝ち組だと思いたい人が右傾?していたり、興味の持ち方が?な危うさもあるが…。

 天皇制の問題が今、日本で一番大切だとは思わないけれど、そういう中で先生が相変わらず元気に発言しているのは、何だか嬉しかった。教え子というのは、先生がいつまでも変わらないでいることを期待してしまうものらしい。

 K先生は背が高くやせ型で、「体が弱い」とか言いながら、何かあるとつい、何を!と頑張って論戦に参加してしまう人で、面白い人である。

 私の好みとしては、大学の先生は人格者より「おたく」の方が良いと思うし、純粋に、堂々と万年青年でいてほしい。これは皮肉でもなんでもなく、子どもではないが若い人にとって、そういう人との出会いこそが必要だと思うのだ。

 だいたい自分の興味やテーマもはっきりしていない学生ほど、大学の先生は自分の専門領域のことしか分からないとか、「そんな研究、何の役に立つんだ」とか、世間や一般常識を知っているようなことを言うものだ。

 そういう輩には、そんならお前は世間の専門家になっちまえ!とぶっ飛ばす先生が、大学生の年齢ならいてもいいのである。

 無心になれること、純粋な気持ちで向き合える何かを見つけることというのは、本当は大学に残らず社会に出る人にこそ、さらには学歴問わず大切なのであって、それは自分の心を守る手段、また成長しつづける道になると私は思っている。

 

 K先生はレジュメの突っ込みも結構厳しかったが、ひたむきで、純粋に研究に向き合う人だった。いい研究者、いい先生であったと思う。

 女性天皇については、私も見ることなく死ぬかとは思うが、先生にはまだまだ頑張ってほしい。