アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

占いの意味

 占いというのは好き嫌いが分かれるものだと思うが、普段占いをつよく「全否定」する人の中には、実は占いに自分が影響されてしまうのを恐れている…という人も結構いる。本当は占いを認めているのだろう。

 逆に、占い大好きで、ドクターショッピングならぬ占い師ショッピングをしている人の方が、本当には占いを信じていないということもあるのではないだろうか。 

 かの野口晴哉は、「占ってもらおうとする時は、自分がすでに占っているのです」と言った。そういう時は、たいてい自分の中に「言ってほしいこと」や「答え」がすでに潜在していて、それを言ってくれそうな人を無意識に「選んでしまう」ということだろう。

 私は有料の占いをしてもらったことはないけれど、占ってもらったことは何度かある。どういうわけか三回とも手相占いだった。

 最初は20代前半で、東海道線のボックス席に向かい合わせで座った初老のインド人(男性)だった。

長い移動をしていた時で、乗客も少なく、日本やインドのことについて話をしているうちに、その人はふいに「ちょっと手を見せて」と言った。

 手のひらを見せると、その人は手に触れることなく観察し、「あなたは今、いろんなことが思うようにならない時期にいるが、30歳を過ぎると自分のやりたいことができるようになる。」と流暢な日本語で言った。

 当時、私は迷っている時だったので、彼の言葉には驚いたが、未来はよくなる、と言ってくれたことで気持ちが明るくなった。この人は、手相を見る前に何かを直感して、占ってくれたような感じだった。

 次は20代後半に入る頃で、中国のチベット圏を旅行した帰りの、長距離バスの中だった。

 そのバスは、故障はするわ道に迷うわ、本当に最悪だったのだが、後部座席でチベット僧(サキャ派)とお供の小僧と隣り合わせになり、その長い待ち時間にぽつりぽつりと話をするようになった。

 乗客が文句を言い騒がしいバスの中、静かを保っている高齢の僧と小僧の二人組はなんだか浮世離れしているように見えた。本当に、ここは東洋という風情だった。

 その時、一緒にいた日本人の友人が、チベット僧の中には占いができる僧がいるのを知っていて、彼女に頼まれてそのお願いをする通訳(中国語)をしたのだが、流れで私も占ってもらうことになった。

 その僧は私の手相を見て笑いもせずに「好い手相だ」と言った。そして「社会や他の人のために働く仕事をしなさい」と言い、例として教師や公務員などを勧めてくれた。ただ手相を見せただけで、質問は何もしなかったのに、そう言ったのが不思議だった。

こういう時、喜捨をするのが一般的なのだが、その僧は受け取らなかった。別れ際にどうしてもと言って受け取ってもらったのだが、後で詳しい人に、チベット僧とあまり親しげにすると当局にマークされると注意された。僧はそのことを知っていて、気を使ったのかもしれない。

 そして最後は、整体を始め、弟子になって半年ほど過ぎた時のことだ。師匠の指導を受けていた、手相を見ることができるという女性と話す機会があり、ついでに占ってくれたのだ。その人は「良い手相ですね」と言い、なんと「(あなたは)整体で頂点に立つでしょう」と言った。

 ここまで書いた三回の内、インド人の占いはほぼ当り、チベット僧の占いは「他の人のために働く仕事」をするという意味では、半分ほど当たっている。最後の女性の占いは、現状「野口整体の頂点」には遥か遠く及ばない地点にいるが、まだ結果は出ていないということにしておきたい(超希望的観測)。

 しかし、そういうこととは関係なく、私の心の中には、この三人の占いが温かい思い出として残っている。それはこの三人が、私の人生が良くなっていくことを願い、そうなっていくと信じてくれたからだと思う。迷いの多かった私にとって、それが一番必要なことだったのだろう。

 コロナ禍で、占いやスピリチュアルなことを求める人が増えていると言う。現代の占い師さんたちが、迷いと不安の中にある人に、良い空想が浮かぶようなメッセージを伝えてくれることを願っている。