アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

「生活している人間」と新型コロナウイルス

 先日、近くのおいしいパン屋さんで会計をしていたら、ご近所さんらしき女性が「マスク忘れちゃったんだけどいいかな…?」と入ってきた。お客は私一人で、お店の人は私の顔を見てきまり悪そうな顔をしたが、マスク越しに私が笑ったのが分かったようで「いいよ」と言った。なんだか私もほっとした。

 慢性的なあきらめで、「何て息苦しい世界なんだろう」とさえ思わなくなりつつあったが、以前の「普通」が垣間見えたような気がした。

 もうすぐ一都三県の緊急事態宣言が明けるという。7日と21日とでは何がどう違うのだろう…。あんまり効果がないから打ち切るのだろうか。よく分からないが、とにかくそういうことらしい。

 今のところ、身近にCOVID-19発症という人はいないけれど、私の知人が抑うつ症で長期休職することになった。

 こういう時、「コロナうつ」と言われてしまうことが多いのだが、この人の場合は、仕事や家庭内のストレスなど、過去から現在に至る複合的な背景があって、そこに新型コロナウイルス禍が起きた事で、心身の立て直しができなくなる状態へ陥ってしまったようだ。

 身体症状として腰痛があり、鍼治療を受けていたそうだが、それが心理的な辛さや苦しみ、つまりストレスとのつながりが長い間分からなかったようだ。

 COVID-19発症者も、「コロナうつ」患者も、大雑把にある一つの共通項で括っているだけで、人間を意味している言葉ではない。そのことは、胆に銘じておきたいと思う。

 

 話は変わるが、最近、宮本浩次の『ROMANCE』をまた聴いてみたのだが、このアルバムの中に、私が「懐かしい」と感じる曲は「First Love」(宇多田ヒカル)だけだということにはたと気づいた。知っている曲だけれど懐かしくはない。

 松田聖子の曲もあるけれど、私が小学校低学年の頃の楽曲で、流れているのを聴いていただけだったのだろう。嫌いだったわけではないのだが…。

 少し前に読んだインタビューで、甲本ヒロトが12、3才の時に突然音楽が「聴こえてきた」「自分の中に入ってきた」という話をしていて、甲本ヒロトは頭がおかしくなりそうなぐらいの衝撃だったという。

やっぱりそれを境に音楽にはまっていった人だから、そういう衝撃もあろうかと思うが、音楽体験として「自分の中に入って来る」という感じは分かると思った。

それと、自分のその時の感情と楽曲と結びついていないと「懐かしい」とは感じないのだと思う。

「First Love」は、あの小室哲哉プロデュースの楽曲がどこにいってもかかっていた時代に私が感じていたウンザリ感と、宇多田ヒカルが登場して、それを一人で一気に終わらせた爽快感が懐かしく感じる要因ではないかと思われる(なんて失礼なんだろう)。

やっぱり「あー、あったね」というだけではなく、追憶というのがないと「懐かしい」とは言えない。

 でも、あんまり自分の思い入れがない曲だから『ROMANCE』というカバーアルバムを楽しめたのだろう。むしろこれから、新型コロナの時を思い出す、懐かしいアルバムになっていくような気がする。コロナ禍が過去になって、そう思える時が早く来るといいのに。

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黄昏時ラベンダー。春に咲くラベンダーがあると知らなかった。