アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

病院食と伝統文化

 少し前に脾臓の観方(アントロポゾフィー医学・中国医学野口整体・西洋医学)について書いたが、私は現代人の体の問題を考える上で脾臓に注目していて、COVID-19にも関係があるのではと思っているため、少しずつ勉強している。

 この脾臓の資料を探している中で、『お茶の水医学雑誌(東京医科歯科大2014)』のPDFに行き当たり、脾臓の勉強とともに「世界の病院食・病後食」(丸山道生)という興味深い論文を読むことができた。

 去年の春頃、ベルギーの美大に留学中の日本人学生でCOVID-19を発症し、入院した人のブログを読んだのだが、その中に、入院中の食事がこってりラザニアや丸ごと一個のリンゴ、パルメザンチーズをどっさりかけたサラダなど、軽症者とは言え食べにくいメニューで、閉口しているという記事があった。

 その時は異国で病気になった時の不安を思い出して、「おかゆが食べたい」と訴える留学生に同情したのだが、この論文によると、病院食というのは非常に地域色が濃いもので、日本では消化器外科術後に重湯・三分・五分・七分・全粥・(軟飯),常食と 6~7段階もお米のお粥が出されているが、これは日本だけの慣習だそうだ(丸山医師は「科学的根拠に乏しい」と指摘)。

 病院食の世界では、近代西洋医学の病院という場であっても、伝統文化が堂々と生き残っており、ヨーロッパや中東などではハーブティー(使う植物に地域差がある)、韓国では水キムチ(唐辛子が入る以前の古いキムチで健康に良いとされている)が出されている。もともと食養生の伝統が強い東アジアはそれが如実に表れているようだ。

 その他、西ヨーロッパではあまり病人食という概念がなく、イギリスでは大腸の手術後一日目から、コーヒーやサンドイッチなどの常食が出され、スウェーデンなども量を減らしただけでほぼ常食だ。

 アメリカは内容が最も科学的で、術後食には流動食から通常食の間に四段階ある。しかし、なぜか手術直後からコーラやレモンライムソーダが出されるのがアメリカ的だ(ヨーロッパにはない)。

 概観すると、病後食中には近代医学以前の伝統医学(ユナニ(イスラム)医学・中国医学アーユルヴェーダ・民間療法など)の考えがほぼそのまま生きていると言っていいだろう。

カロリーや栄養素を計算する栄養士は世界中の病院にいるだろうに、実際の食事はかなり伝統文化に寄ってしまうというのが面白い。

 ちなみに野口整体では、体調が悪い時に「じゃ、体に負担かけないようにお粥にしなさい」と言うことはない。しかし、昔はお粥が日常食だったと言うし、ベルギーで一人ぼっちで入院した若い留学生が、「お粥が食べたい!」と思うのは、日本人の集合的無意識的な心の表れだったのかもしれない(大げさかな?)。

 だから、「弱っているからお粥にしなければ」という受け身な心ではなくて、「お粥が食べたい!」という要求を感じたなら、お粥ももちろん体に必要な食べ物だ。

 多くの場合、体調の良くない時に「食べたい」と思うものには意味があり、体が必要としている場合が多く、体調を崩した時に食べたくなるものは、個人によってだいたい何種類か決まっているので、それを普段から探求しておいて、体を整えるのに活用するよう指導する。

(私の場合は大豆(製品一般)、はちみつ、柑橘類、鶏レバーなどがある。質の良いものを選ぶことが大切。また、時と場合によってこれ!というのが変わることも多いので、あくまで「今、感じている要求」を中心とする)

 また、多くの動物は怪我や体調の悪い時に食べなくなるが、食欲がないこと=症状とは考えない。実際には、栄養を摂ろうとして余分に食べることの害が大きいからだ。

 こうした野口整体の考えというのは、一般的な常識とはズレていることも多くて、眉を顰められてしまうこともある。

 しかし、世界各地に病人食の常識というものがあり、相違があることを知ると、体調の悪い時はこういうものを食べなければならない、という固定観念が薄まるかな…と思った。脾臓についてはまた今度。

(補)病院食の文化圏

 論文の中で丸山医師は流動食の文化圏を「西洋肉湯文化圏(肉のスープ)」と「東洋穀物湯文化圏(穀物の重湯)」 と名づけている。

 さらに東洋穀物湯文化圏は北方・中間・南方の3地区に分けられ、北方には中国東北部から韓国北部までの雑穀(粟)湯文化圏、中間には日本、中国南部、タイ・インドネシアなどの東南アジア諸国が入り、米湯文化圏。南方はインド・バングラデシュにみられる大麦を使った大麦湯文化圏がある。

 そして、東アジアの病人の食事は、北は雑穀(粟)の「畑の病人食」、南は稲作の 「水田の病人食」があると言う。

 これは中国の二つの古代文明黄河文明の主食が粟で、長江文明の主食が米であったことを考えると非常に興味深く、日本人のルーツにも深く関わっている。