アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

人間の内界と外界との調和

人間の内と外

  今日、お散歩している時、ヨモギとフキを摘むことができた。どちらもまだやわらかく、瑞々しい。私の体には、新型コロナウイルスで一躍有名になったセンザンコウの鱗よりずっと良さそうだ。

 マスクをしないで歩いている人はほとんどいない中(私はしないけれど)、高校生ぐらいの男の子が3~4人、マスクなしで、一人で元気にランニングしていて、お!いいなあ…と思う一方、気の毒にもなった。きっとクラブ活動ができないのだ。

 でも、野草摘みなんかをすると、自分と世界の一体感や、生かされているという感じが改まったような気がする。私もやっぱり新型コロナウイルスの影響を受けていたらしい。

 家に帰ってから、早速フキを煮て夕飯のおかずに、ヨモギは少し蒸してから干して、後日ヨモギパンとお茶を作ることにした。亡くなった整体の先生も、山菜が好きだったな…と思いながら、フキの下ごしらえをしていると、先生の身体を観ていた時、よく「同化作用と異化作用」の異常を感じていたことを思い出した。

 亡くなる二年半前、私が危険を直感したのは、先生が肩で呼吸するのを見た時だった。あの頃、先生には、受け入れがたいことに対する強い拒絶と抵抗できない状態が同時にあって、混乱し、解毒ができない(中毒している)状態もあった。

 そして先生は夕食時に「味が分からない」というようになり、その一方で不快感には過敏になっていた。これは私の観方で、野口整体の統一見解ではないのだけれど、私は味覚(おいしい・まずい)が、体内で同化・異化のどちらの方向にいくかを決める第一段階なのだと思う。

 それに、先生は食べ物に「気が集まっていない・密度がない」ことにも、以前に増して過敏に反応するようになった。これは体癖的なものだろう。しかし、そういう中でも、山菜は食べたがっていた。

 私には、先生の免疫系は、このような状態と自己破壊ギリギリの線で戦っているように思えた。あれほどの痛みと下痢、出血があったのは、自分の皮膚を剥ぐように、腸壁の異常細胞をはぎ取っていたのだと思う。トイレから先生の苦痛の呻き声が聞こえると、最初は涙が出たが、きっぱり泣くのはやめた。私は、先生というより先生の免疫系に愉気をしていたようなものだった。

 しかし、最後の半年は、肩も動かなくなり、首で息をしているような状態で、次第に骨盤部ではなく胸椎部に手が行ってしまうようになった。癌は痛くないと言うが、先生の場合は死の間際まで耐え難いほどの痛みがあった。そして、身体は枯れていくのに、気だけが研ぎ澄まされていくようだった。

 死亡診断書には「直腸がんによる腸閉塞」と書かれたと思うが、入院した時の医師の説明では「腸閉塞による感染症で肺炎が起きていて、右肺は真っ白、左は一部に白くないところがある程度で敗血症になりかけている。肺に転移の可能性もある」と聞いた。直接には敗血症が引き金だったのではないかとも思う。

 先生のことを、またこうして思い返しているのは、シュタイナーのアントロポゾフィー人智学)に基づく生理学や身体観の講義内容を読み始めているからで、シュタイナーの言うことには腑に落ちるところがある。

 読み始めているといっても、インターネットで手に入る翻訳(『秘されたる人体生理』の前半部など)などで著作にはまだ当たっていないのだが、実際の治療法ではなく、外界と内界との関係から見る身体観に興味を持っている。

 シュタイナーは「脾臓」について興味深いことを言っていて、外界から取り入れた栄養物の持つ固有のリズム(性質)を、人間の生体内のリズムに変換し、人間本性に適った物質として血液に取り込む臓器だと言う(肝臓、膵臓、胃などの消化器系全体もだが、脾臓はその中心らしい)。

 中国医学では脾のはたらきを「食べた物を水穀の精微という気に転換し血液にする」と言い、シュタイナーの観方と似ている(wikiなどでは、「脾」は脾臓ではなく膵臓のはたらきだと書いてあるが、気で観る身体と解剖学的身体の違いを踏まえていないのかもしれない。間違っていたらご教示ください)。

 以前、西洋医学では脾臓は切除しても問題ない臓器とされていたけれど、近年、切除すると感染症が重症化するなど免疫のはたらきに大きく関わっていること、血液の正常性を保つ大きな役割があると言われている。

 整体操法では胸椎七番から免疫系、血液の正常性などを観るが、癌も七番に変化が表れる。先生の場合も、亡くなる5年ほど前、最初に私が異常に気付いたのは、七番の棘突起に触れた時だった。

 野口先生はより広い範囲での異常状態が変化するところから「胸椎七番はミラクルだ」と講義の中で言っている。そして、K医師という人の話として胸椎七番は脾臓を支配していると言いつつ、「脾臓ではないと思う」とも言っている(K医師は血液をろ過する臓器だと言った、とある。この資料ができた1968年頃は、まだ脾臓は重要視されていなかったかもしれない)。

 まあ、このK医師というのは、解剖して取り出したものを「硬結ではないか」と野口先生に見せたという、あまり気の感覚がなさそうな人なので、「Kさんの意味する脾臓ではない」ということかもしれない。実際、他の講義では脾臓を支配していると言うこともある。

 シュタイナーは脾臓のリズム調整力を整えるために、食事の量を減らして回数を増やす(いわゆる猫喰い)を勧めている。実は、私は先生に「猫喰い」を勧めたことがあるのだが、指導日は朝食をしっかり食べて昼は食べないのが習慣で、それは叶わなかった。でも、もうちょっと強く推せばよかったかな…と思ってしまった。

 また、新型コロナウイルスも、もし本当にセンザンコウであれば経口で人間の体内に入ったと言われている(コロナウイルスによるMERSもヒトコブラクダの肉を食べて感染したという)。もしかしたら、人間の脾臓のはたらきは今、異常状態にあるのかもしれないと思う。最初に嗅覚・味覚の異常が起こる人がいるというのも気になる。

 ちょっと長くなったが、辛い体験だったとはいえ、整体指導者の体をつぶさに観たのは貴重な体験でもあったわけで、野口先生の観点もさらに勉強しながら、人間の内と外の調和について深めていきたいと思っている(あ!「体癖は人間の内と外をつなぐ着手の処である」だった…。今思い出した)。

(補)シュタイナーは脾臓膵臓・肝臓を、栄養物を血液に同化させるための一つの系だと考えている。物質のレベルでは、外界にあるたんぱく質も人間の体を構成するたんぱく質も同じだが、霊的なレベルではそれぞれに本来の性・リズムがあるので、それを変換し、人間に同化するのだと言う。脾臓は外界の栄養物が最初に通過する臓器だとしている。

(補)SARSウイルスの感染は呼吸器感染が最も多いが、SARSでは下痢も多く起こり、便の中にはウイルスが排出される。新型コロナウイルスSARSのウイルスは遺伝子が近いと言われている。