感受性と体の状況
私はブログなどを読んでいる時、その人が自分の体のこと(症状とか癖・特徴、感じ方など)について書いていると、つい興味を持ってしまう。それで、先日、あるブログを読んでいたら「眼が赤くなる」ことについての記事があり、全然会ったこともないし整体とも関係のない人なのだが、ちょっと気になっている。
眼に来る時は、今はアレルギー(花粉症の類)、肝臓の変動も考えられるのだが、その他にかゆいとか痛いとか、かすむとか目やにが出るとかそういう症状は書かれていないのでよく分からない。
なぜこの人について書いてみようと思ったかと言うと、先月末に読んだ野口晴哉の講義録に「頭が疲れていると緑色に注意が引かれるようになり、緑を見ると休まる」という記述があったからだ。
(これは、体癖論で前後型5種は緑色に快感がある、というのとは違う角度で、その時の体の状況で目に入ってくる色が違うという話。)
この人は写真家の顔も持っていて、普段の生活で、目に映る風景を切り取ったと思われる写真もしばしばアップしている。
作品として良い悪いということでは決してなく、あきらかに素人ではない人の写真であり、作品として素敵なものが多いと思う。また、撮影者が撮ろうとしたものと、私が言うことは違うことも大いにあるだろう。
つまり、私の整体に偏した視点という限定つきで読んでほしいのだが、ここ数か月間、ブログで拝見した範囲の写真には、画面の中に植物相(叢のような)が入っていることが多かった。ある一つの植物に焦点をあてているのではなく、緑のマッスというか、風景のような写真だ。
写真の中にはいろんな緑色があった。透明感がある緑、水分をふくんで滴り落ちそうな緑、ちょっと夏疲れしたような、秋色がかった緑。私には、この人が「緑という色彩」を撮ろうとしているように思えた。
そう思っている矢先に、講義録を読んで「これは…!」と思ったのだが、最近になって「眼が赤くなる」と書いているのを読み「この人はやっぱり頭が疲れている」と納得したのだった。
それ以上のことは分からないのだけれど、写真を撮るにしても、やっぱり対象を選んでいるのだから、体の状況、無意識の要求とひとつであるのは自然なことだ。
それに、撮る人に要求があるから、印象的な美しい緑を捉えることができるのだし、それを写真で表現できるのが、写真家であるということなのだろう。
少し前に、自死をした知人の女性写真家のことを書いたが、彼女は自分の写真を見て、ただ美的に鑑賞するのではなく、疑問や違和感、動揺までを感じてほしいと言っていた。
今思うと、彼女が使った戦前の古い大きなカメラは、昔の日本人があの世から現代の日本を見ている眼のように思える。彼女はそれを写真で表現しようとしていたのかもしれない。
ちょっと話がそれてしまったが、頭の疲れというのは、全身的な影響が大きいし、対処法もなくマクラにしたのでは申し訳ないので、野口晴哉『整体入門』(156頁)に掲載されている体操を紹介しよう。
これは細かく言うと頸椎2番を刺激して脳の血行を調整するのだが、親指が筋肉の硬い所に当たるようにすれば、だいたい当たる。うまくいくと、首・頭のみならずみぞおちまで弛む。
頭の疲れをとる体操
1 手指を組んで後頭部に手のひら側を当て、すこしうつむき加減になる。親指を上頸(後頭部のすぐ下)に少し圧を加えるように当てる(押さない)。
2 そこに親指を当てながら、顔を上げ(少し上を向く)、五秒そのまま、その後戻す。これを3、4回繰り返す。指に力を入れなくても、上を向くと自ずと圧がかかる。
3 腹式呼吸をする。(おへその下に手を当てて、ゆっくり静かに息をする)
※頸椎は動きやすく、敏感な処なので、指圧のように押したりしてはいけない。顔を上げる、うつむくという首の動きだけで圧がかかる、弛む、という刺激が加わるのがよい。
眼の異常感と歯の痛みにも効果あり。風邪をひいた際、眼に異常感がある時は、肝臓が疲れているので、食べる量を減らす。
風邪でなくても、眼に異常がある時は食べ過ぎ(食の乱れ)に注意する方が良い。
最後に、野口先生から一言。
個性の自覚
どんな生活方法も、健康法も、
適うということがなければ効果を齎らすものではない。
一切の養生、衛生の問題は、
自分自身で自分の特徴や欠点を、
体の面でも、心の使い方の面でも、
ハッキリ知っておくということが大切である。
(『風声明語2』野口晴哉)