アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

頭のアレルギーと体のアレルギー

アレルギーと感受性 

 秋になって、暑いのもひと段落すると、重症ではないけれど、私はアレルギー症状が始まる。整体をやってるのに?と言われると困るのだが、私にはキンモクセイ金木犀)アレルギーがあるのだ。

 ここで御大、野口晴哉先生に登場いただくのだが、先生は外国人たちとの座談会で、アレルギーについて次のように述べている。

ハイニ―(米国人) この人たち(友達)は二人とも、部屋に猫がいると顔が腫れちゃって、目玉が赤くなったりするんです。

先生 アレルギーというのは過敏な、感じ過ぎるという状態です。

…鈍いのよりはいいです。

アレルギー性には、体のアレルギーと頭のアレルギーの二つの場合があります。頭で空想すると、ちょうどレモンを見ると唾が出やすくなるように、空想すると体に過敏に作用しやすいというようなのが頭のアレルギーです。

…体のアレルギーの人が活元運動をすると、一時過敏(アレルギー反応)が濃くなります。それから良くなります。

(活元運動について聞くⅡ 在日外国人座談会『月刊全生』より)

  私の場合、体と頭どちらかというと、体のアレルギーの方だと思うが、私はこのアレルギーが始まった時のことを覚えている。まだ4歳位だったが、強い印象が残っているのだ。

 私の兄(一歳半上)が通っていた幼稚園の門の脇に大きなキンモクセイの木があって、花が咲く時期にその前を通ると、いつもくしゃみをしていた。

 母はそれを見てよく笑っていたのだが、私は「くしゃみが可愛いのだ」と思い、ある時、自分もやってみようとキンモクセイの花の塊に顔を突っ込んだのだった。強烈な匂いで鼻の奥がつーんと痛くなり、くしゃみが出た。

 その後、私は家にあったキンモクセイの香りのトイレの芳香剤でその実験を繰り返し、キンモクセイの匂いがすると、すぐ鼻がかゆくなり、くしゃみが出るようになった。

 それが体の記憶として残り、アレルギーになってしまったのだが、それはおそらく兄に対する「嫉妬」、母に対する注意の要求が絡んでいたからだろう。私の生まれつき持っている(体癖的)感受性が強く反応することなので、体に入ってしまったのだ。

 こう書いてみると体のアレルギーと頭のアレルギーの中間とも言えなくもないかな…。私の場合、野口先生の言う通り、整体を始めてから今の時期のアレルギー反応(過敏)が濃くなり、この記憶を思い出したのだが、ここまで記憶が再生できたのにアレルギー反応が起こらない体にはなっていない。潜在意識教育というのは本当に難しい。

 心の闇?をこうして日に当てて、体を調整しながらいまだにお付き合いしているのが現状ではあるが、その時々の身心の状況によってアレルギー反応は強くなったり弱くなったりし、反応の経過も変化するので、開き直ってバロメーターとして活用している。

 私の整体の師匠には、理論物理学専攻の優秀な兄上がいたのだが、その人には喘息があった。この人が野口先生の指導を受けた時、野口先生は「この人は喘息を必要としている」と、私の師匠に言ったという。こういう時、症状が出ている時それを納めたりすることはできるが、喘息が起こらない体にするのは難しい。

 その人のほぼ同期で同じ研究室にいた研究者が二人、ノーベル物理学賞を取ったのだが、私の先生は受賞のニュースを聞いた時、「兄貴もノーベル賞を取りたいと言っとったなあ」としみじみ言った。

 その時先生は「何を大風呂敷拡げとんじゃ?」と思ったそうだが、兄上は本当にそういう研究が生まれる場にいたのだ。母との関係という問題もあったそうだが、そういう場にいながら、自分には手が届かなかったことも、喘息、またその後の大病の背景にあったのだろう。

 兄上は若くして亡くなったが、亡くなる2、3年前から喘息がなくなったという。先生も亡くなる年の春、恒例の花粉症がほとんどなかった。

 そう思うと、私のアレルギーも、なんだかいとおしい。