アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

潜在意識に降りていく「通路」としての病症

意識と無意識を再統合する試みとしての病症

 私は、指導の申し込みを受ける時、通院しているという人にはどんな薬を飲んでいるかを質問することにしている。今は、本当に薬を飲むことや手術に対する感覚が変わってきており、薬の話をするのが難しく感じる時もある。

 私が特に疑問を感じるのは、身体症状の訴え(器質異常のない不定愁訴的な)に、向精神薬に分類される薬がすぐに処方されることである。

 実は、私も今から20年ぐらい前に、某県立総合病院の「心療内科」を受診したことがある。私の場合、検査しても器質異常はどこにもなく、私の腰と下肢の痛みは「気のせい」であるという診断だった。

 後に、整体の先生に、「その時、気のせいだと言われた」という話をしたら、「そのとおりだよ。なんでも病気は気のせいだ」と笑っていた。

まあそれはともかく、当時、私がまだ若かったせいもあるかとは思うが、こういう場合に薬(ことに向精神薬)を処方するということはなかった。

 病症には、ストレスという心理的なはたらきが大きな要因となることが一般に広く理解されるようになるのはいいことだが、ストレスである「不安」や「落ち込み」を向精神薬でコントロールすることが治療法、という流れには非常に危険を感じる。

 それに、飲む側が「治療薬」と思い、向精神薬という理解がないまま飲んでいることもあって、今はwebでも薬の情報は開示されているのだし、整体とは関係なく、薬は体にいいわけではないという知識を持つべきだと思う。

 やはり整体を本当に、身をもって理解するためには、痛みと病症に対する受け取り方が変化していくことが最も重要なのだと思う。それは潜在意識のはたらきを、身体感覚で感受しその意味を意識化する必要がある。

 

 私の知人に整体指導者の娘がいる。母親が整体と出会い、整体的子育てがしたい、という一心で産んだ末っ子がその人だった。

 しかし子育てを通して、母はいよいよ整体にのめり込み、整体指導者となった。その人は母親の関心が整体に集注していくことで不満と不安がつよくなり、物心つくころには重いアトピー性皮膚炎になっていた。

 思春期になれば治る、体が大人になれば治るという、母による整体の通説?に反し、その人のアトピーはがんとして治らなかった。これは母親に対する反発が相当あってのことだろうと思うし、私が体を見せてもらった時も幼さが色濃く残る体で、注意の要求が充たされずに育ったことが伺えた。

この人の母は、整体指導といっても体の側面だけで、潜在意識の方面は、あまり関心がなかったようだ。

 そして整体指導者であった母は癌になり、末期になってから病院に入ることを説得し、病院で亡くなったと聞いている。彼女の整体に対する反発は頂点に達し、貴重な資料のすべてはゴミにしたという・・・。

 そんな彼女が整体に目を開かれていったのが、亡くなった整体の先生の個人指導を通じてだった。彼女のアトピーは、彼女の強い感情と葛藤を表出し、調整するという意味があり、彼女はアトピーの激しい症状を通路として、潜在意識に降りて行ったのだった。

 アトピーは更年期に入ると次第に鎮静化するという説もあり、皮膚疾患のいきおいとしての側面を見落としてはならない、と先生から教わった。

 整体指導は体から心へという働きかけが中心ではあるが、心理的側面を自覚するための指導が、これからの野口整体の存在意義であると私は思っている。