アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

活元運動をやってみよう

活元運動について

 野口整体には活元運動という有名な行法がある。野口晴哉先生は晩年、活元運動を中心にした指導に移ろうとしていたと聞いている。
 整体に理解や関心のある人でも活元運動をやらない(または出ない)という人がいたり、逆にやみくもに活元運動をやっている人がいたりして、あまり理解と普及が進んでいるとは言えない状況にある。

 やっぱり活元運動は、本人が活元運動をどのように理解しているかが本当に大切で、野口整体における活元運動として行うから活元運動になる、というものだ。
 単に、変性意識状態で身体運動を誘発するとか、ひとりでに動く不思議な運動というものは、活元運動以外にもあるし、以前紹介した『霊療術聖典』にあったように、霊動法という活元運動の大本となった行法は、現代よりも昭和初期あたりの方が普及していたぐらいなのだ。
 また、実際の指導においても、活元運動は、あまり干渉せずやりたいようにやらせておけばいいという考え方が強い傾向にあるが、活元運動はただ動いているというだけでは本当に出ているとはいえない。
 体も心もひとつになって活元運動に入るというのは、経験しないとどういうものか分からないので、意識して動かそうとしていないのに動いているとなれば、活元運動が出た!になってしまうのだろう。それだと、早晩「これって何なんだろう」というぐらいの認識で、質の向上にまでは踏み込めない。
 このブログでは、普段言い難いことも書こうと思っているので書くのだが、多くの場合は、頭がぽかんとしない、頭が抜けない状態でやっていて、その範疇を出るのが難しい。
 しかし、本人が「これでいいのだろうか、本当に出ているのだろうか」などと考えていると、活元運動はますます不自然になったり動かなくなったりしてしまう。それぐらい心の状態に密着した微妙なもので、ちゃんと出ていないとか、あまり指摘しても逆効果になってしまう。やっぱり一番いいのは、個人指導を受けることだと思うし、質というものがあることをぜひ知ってほしい。
 しかし、それでもやはり、どんな活元運動でも、やらないよりやるほうがいい。活元運動の本当の意味というのは、意識が自分のすべてではないということを体感することにあって、その心理的な作用というのは計り知れないものがある。
 もちろん脱力とか、錐体外路系の訓練という目的はあるから、運動そのものの進歩も大切だが、潜在意識、無意識の実在とそのはたらきを体感するには活元運動が一番いいと思う。
 潜在意識や無意識は、ややもするとトラウマやコンプレックス、抑圧感場など、暗い衝動や情念がフォーカスされやすい。活用法としても、毎日、寝る前に「○○…」と言いなさいとか、引き寄せなさいとかいうもので、本心では半信半疑になってしまうものが多い。
 活元運動を通じて、本来、潜在意識や無意識というものは、「生きる」という方向に向かっていく、良くなっていくはたらきなのだということを知り、それが自分の本体として活動していることを知るというのは、他にないことだと思う。
 そして病症観も、体が何か意味のあることをやろうとしている、という見方に変わっていく。活元運動で治そうとか、よくしよう、というのではなく、生命のはたらきそのものに対する信頼ができていくのだ。野口先生いちばんの願いは、きっとそこにあったのだと思う。
 活元運動、ぜひやってみましょう!