アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

発達障害を考える

 最近、「発達障害」という言葉が一般に知られるようになってきたが、最近その発生率は増加傾向にあるといわれている。

 子どもの発達というのは全体が均等に発達するのではなく、身体的には運動系・中枢神経系・皮膚・内臓、心理的にも社会性や認知的能力というように、年齢的に、またその子独自の系統的なピークを持っている。

 だから、その時々に発達の滞りがあれば、それが「発達障害」として残るし、広範に言えばほぼすべての人に、何らかの「発達障害」があると言える。

 また、子どものある時点だけを見て、「発達障害」と断定し、その後変化していく可能性が見えなくなることもあるかと思う。

 子どもはことに変化が大きく、正常と異常の区分が特に難しいとは思うが、一時的に問題があっても乗り超えられれば「正常」で、乗り超えられなければ「障害」、と私は考えている。その乗り超える力に先天的な障害があることが、障害児ということなのだと思う。

 前置きが長くなったが、私の姪(小学生)には発達障害があり、現在、特別支援学級に通っている。私はこの子から多くを学び、心の中に降りていく通路を開くという面では、この子の存在によって、一段「底が抜けた」ように思う。

 お母さんという立場にある人にはやや厳しい内容になるかもしれないが、この子の出生からのことをきれいごと抜きに書いてみたい。また、これは全く個別のケースであって、一般化はしないようにお願いしたい。

 

 姪が嫂のお腹に宿ったのは、私に整体の観察をする眼がぼちぼちできてきた頃のことだった。よい知らせではあったが、その3、4か月前に流産したと聞いていたので、私は「まだ早いのでは」という不安がよぎった。

 当時、40代で乳がんのステージ4という人が師匠の指導に通い始め、私は彼女と親しく話をする間柄になり、彼女は間もなく妊娠したのだった。

 言葉は悪いが、妊娠というのは得体が知れないところがあって、健康だから妊娠するというわけではない。その人の場合、初期に胎児の心音が聴こえなくなっても、母体の骨盤の力がないために流れることもなかった(病院で掻爬した)。

 しかし、本人にとって、その子は最後の希望の光だったので、そのショックは周囲の想像と本人の意識をはるかに超えていて、彼女は混乱し、指導にも来なくなったのだった。そんな辛い出来事の後で、私は余計に不安を感じたのかもしれない。

 しかし、お祝いに家族で集まって食事をすることになって、食事の後、ふと嫂の後ろ姿を見た時、私は愕然とした。嫂と言っても私より若い彼女が、妊娠しているのにも関わらず腰が下がっていたのだった。流産から体(骨盤)が戻っていないのが一目瞭然だった。

 妊娠の経過も思わしくなく、早く生まれた後、ガラス越しに新生児室にいる姪を見た。弱々しい、というのが第一印象で、赤ん坊特有の、全身から発する光のようなものがなかった。あれは赤ん坊が自分に注意を集めようとする気なのだと思うが、それが弱かったのだ。

 私はそれ以前にも、第一子は師匠の個人指導を受けたが、第二子は個人指導を受けずに妊娠・出産した女性が新生児を連れてきた時に、姪が生まれた直後と同じことを感じたことがある。その後、保育園に入り、その子は自閉症であることが分かった。

 その後、一歳になる少し前に姪に再会した時もそれは変わらず、反応が弱かった。そして、私の母からお座りが早くからできるようになった、歯が早くに生えたという話を聞いた。

 整体では歯が早く生えることを注意するけれど、それは一般に思われている以上の意味がある。

 姪は股関節の発達が遅く、二才ぐらいまで歩けなかったが、その他の面でも指摘されることがあり、こども病院で検査を受けることになった。

 そこで分かったことは遺伝子異常と脳圧の問題だった。そして保育園で発達の遅れが指摘され、言葉の訓練なども受けるようになった。

 気づくのが早かった私は、検査を受ける前、兄と電話で姪のことで言い争い、検査の後の対応も部分的でピントがずれているように思え、そのことで自分の両親ともしっくりいかなくなった時がある。

 フェルデンクライスに学び、動きから脳のはたらきを変える発達障害の子どものための身体技法を開発したアナット・バニエルは、発達障害の子を「Special Needs(特別な支援を必要としている子)」と呼ぶ。

 その子が何を必要としているのかを理解することは、すべての子どもに必要なことで、発達の遅れが見えたら一日も早くそれに応えなければならない。

 しかし両親、また両祖父母が心から発達障害を受け入れ、理解するというのは、「言うは易く行うは難し」という言葉そのものだということも、私は身を以て思い知られることになった。

  また、野口先生は、両親、祖父母を含めた潜在意識の問題を説く一方、子どもが生まれることには、個人を超えた宇宙の意志がはたらいているとも言う。私は姪を通じて、それは別々のことではなく、つながっていることなのだと知った。

 長くなったが、すべての子どもとお母さんにとって、妊娠と出産、子育ては幸せな時間であってほしい。整体の智慧がそれに役立つことを願ってやまない。

(補)哺乳類の育児行動は、子どものにおいや動き、反応など、子ども側が発する感覚刺激によって促される面があり、子どもの反応が弱いと育児行動が十分に促されず、母親が仔を食べたり放棄したりすることもある。人間にもそういう面があり、子どもが持っている注意を集める力、また要求がはっきりしていることは、母親のマザーリングを促し、安心感や充足感を母子で共有することにつながる。