アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

裡の自然と治癒 2

ラオスの思い出 2

 北上して中国国境に近づくと、山岳民族が多くなってくる。私はベトナム戦争時代に「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれた地域に入った。ここは戦争中、アヘン(阿片・opium)の一大産地だったところで、まだその当時、その影響が残っていた。

その地域では、もともと伝統医療がしっかりとあったのだが、アヘンが大量生産されるようになって、人々が体調を崩すとアヘンを吸うようになってしまったのだ(もともとアヘンを吸う習慣のある地域だが、そこまでのことはなかった)。

 このような事情で、当時は日本の医療援助が入っており、旅行者に使わない薬(マラリア予防薬や鎮痛剤など)の寄付を呼び掛けていた。

 私は現地のゲストハウス(民宿)で一人のドイツ人男性と知り合った。彼はカイロプラクティックとハーブ療法などを行う人で、医療援助のため現地に入っていたのだった。

 私は日本とは違う、ドイツの合理的?なやり方に驚いた。東洋医学の先生を派遣するという援助もあったのかもしれないが、あまり聞いたことがなかった。しかし実際には、医療器材も薬も不要な、手技療法の方が役に立つのだという(その頃、村では電気も夕方5時から9時までしか使えなかった)。

 治療家の彼は、伝統医療が根絶やしにされ、アヘンを吸うことしか知らない山岳民族の現状を嘆き、「ここには治療がないんだ」と言った。彼は西洋の技術を使うより、伝統医療を復活させる方がいいと言い、そういう活動をしている団体があるという。

 私は次の日、その団体の活動場所に行ってみることにした。あいにくスタッフは外に出ており、資料と写真の展示を見るだけになったが、心を打つものがあった。

 山岳民族の多くは、仏教とは違う独自の自然崇拝的世界観を持ち、かつてはその世界観に基づく伝統医療をシャーマンが行っていたし、一般の人々にも健康のための伝統智があった。

 伝統医療を取り戻すことは、彼らが伝統的な世界観を取り戻すことなのだ。問題はアヘンを吸うことではなく、芥子(原料)畑を作るために森を失い、かつて持っていた自然との一体感を失ったことにあるのではないだろうか。

 これは後になって学んだことだが、河合隼雄氏は、自然を神としてきた伝統を持つ日本人にとって、自然環境の破壊は伝統的な世界観と宗教性を失うことを意味しており、意識と内なる自然(無意識)との分離と心の荒廃をもたらしているという。

 これと同じことが、ラオスの山岳民族にも起きていたのだと思う。

 その村は静かで、朝しか開かない小さな市場には、一人の精神を病んだ男が住み着いていた。電化製品はないけれど、市場に来る人には、少しずつ皆で負担して、その男を養う豊かさがあった(私がラオスで見かけた浮浪者はその人と、後二、三人だけ)。

 そんな穏やかで美しい村でも、伝統医療が失われているという現実があることを知ったのは、良い経験だった。

 その後、私は整体を勉強するようになり、野口晴哉先生が戦時中、疎開先で医師と電気治療をする人に出会った時の話を著書で読んだ。

 その二人は「薬も機械もないから仕事ができない」と言ったが、野口先生は「自分は手があればどこにいっても仕事ができる」と言った、という内容だ。私はラオスで会った、ドイツ人の彼のことを思い出した。

 あの時、彼は「アヘンで痛みを止めるのは治癒ではない」と言った。鎮痛剤をすぐ服用する日本人も、「裡の自然」を取り戻すことが治癒なのだということを、忘れてはならないと思う。そして野口整体が、日本人の心の伝統につながる智であることを、より多くの人に知ってほしいと思う。