アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

魂と死、病症の意味〜シュタイナーがやってきた

 前回、野口晴哉著作全集の贈り物が届いた話をしたが、その包みの中には、シュタイナーの本が一冊入っていた。『シュタイナーのカルマ論』(春秋社)という本だ。

 うっ、カルマときたか…。送り主は結構直球だ。野口晴哉著作全集は初めてではないので、この本から着手することにした。健康と病気についても多くの内容があり興味深い。

 私は、野口晴哉ユングの本を読むと、ものすごく眠くなってしまう時がある。そういう時、ガマンしないでちょっと寝てしまうのだが、その後読み直すと、不思議と寝る前より内容が明瞭に入ってきたりする。やはり一段深いところで理解する必要があるのだろう。シュタイナーにもそういうところがあるように思う。

 だからゆっくり進むことになるし、読めない時もあるので、まだ全部読めていないが、思ったことを書いておきたい。

 現代を生きる人は、医療の力が及ばないことが元で死に至ると漠然と思っていることが多い。

 また、医療が発展すれば、感染症生活習慣病も、精神疾患も治せるし、予防もできると思っている。健康保持も医療の力、果ては老化も治療できる、死もなくなる…と期待する人もいる。

 もちろん、助かる命が助からなかったということはある。野口晴哉も、戦前、子どもの麻しんが「命定め」と言われ、正しい処置をされず死ぬに任せていた時代、自然経過を教えて多くの子どもを死から守った(自然経過は放っておくことではなく、観察と機に応じた処置、操法愉気などを含む)。しかし、死というのはそれだけではないはずだ。

 どうしてこういう思い込みが一般化したのかと考えてみると、1つには近代科学がある。もう1つは魂の存在を認めるか、どう捉えるかということがあるだろう。

 魂の側から見た生と死、病症、治癒の意味を学ぶ上で、私の手元にやってきたこの本は、かなり学ぶところは多い。

 ことに、私の師匠が亡くなる前日に見せた、呼吸器の治癒過程で取る独特の姿勢、その自然治癒力の表れの後に訪れた死について、理解がより明確になったと思う。

 まだ半分しか読めていないけれど、直球を投げてきた彼の人に、ありがとう!と言っておきたい。