アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

冬土用の入り

 先日の活元会に、私の師匠の本を読んだという人が来てくれた。図書館で読んだとのことで、どこなのかは分からないけれど、収蔵して頂いているとはうれしい限りである。

 こういうことがあるとつい勢いづいてしまって、活元会の前説としてはやや難しい、整体についての突っ込んだ話をしてしまった。この日の参加者には理解してもらえたけれどちょっと反省。活元会では私も一緒に活元運動をするなど、個人指導とは違う楽しさがある。大事に育てていきたい。

 活元運動は「やりたいようにやらせておく」という考えの人もいるが、私は活元運動は進歩するものであること、必要な運動が出ているかどうか、質はどうか…など、伝えていかなければならないことがあると思っている。

 自分で感覚的にそれを捉えることも大切だが、指導する側が活元運動の質を見きわめることが不可欠であり、その観察と誘導の仕方は整体の師匠が遺してくれた遺産なので伝承していかなければと思う。

 また今、オミクロン株が流行り出しているので、会場の施設が閉館するのではないかと心配だったのだが、そういう事態にはならなかった。濃厚接触者に対するPCR検査も対象を絞っているし、隔離期間も短くなっているようで、行政の感染症対策が変わってきているのだろう。

 ご都合主義的な感じは嫌だがそれが流れであり、感染者がいたとしても、ある段階で感染症対策は終わらせるものなのだ。ウイルスは人間と共生する(死なせない)方向で変異(適応)していくし、ウイルスを根絶することはできないのだから。

 ファイザーはオミクロン株に適合するワクチンが三月に出る予定と発表したが、それまでにはひと段落するのではないだろうか。mRNAワクチンは三週間程で変異株の適合ワクチンができると言った話はどうなったのかというツッコミは入れたいところだが、もういいか…。とにかくまずは正常な感覚を取り戻すことである。

 まだまだ寒い日は続くが、日が長くなってきた。今日から土用の入り(1/17~2/3)であり、暦の上でも季節変化の過程が始まる。五行説では土用の時期は脾が働き五臓を養うと言われている(中国医学では、冬は腎、というように季節ごと中心となる臓が変わる)。

 コロナの問題が起きてから、私は脾臓(免疫と血液の正常性を保つ)に関心を持っているのだけれど、中医学では四季の変わり目に当たる土用の時期は脾がリーダーとなって健康を保つと考えているのだ。

 がんばる脾臓を助けるためにも、水を飲むこと。食べ過ぎにも注意してほしい。

 そして熟睡。せめて床に入る30分前には明かりを暗くして、スマホは見ないようにして、頭を休め心を静めること。神経疲労は大敵である。

初春

 正月だというのに、私はココアパウダーとカカオ72%のクーベルチュールチョコでつくるホットチョコレートに凝っていて、毎日飲んでいた。ま、いいかと思いながら。

 毎年不思議に感じるのは、年末になると山のようにタコが売りだされることである。我が郷里ではお正月にタコを食べる習慣がない(うちだけかな?)のだ。こういう節句もの?は地域差が出るので、それはそれで面白いのだけど。

 でも初詣の帰り、たこ焼き食べたな…。店構え、店主の風体、小汚さ、どれをとってもかなりの昭和感でありながら狙っていないというお店があって、そこのたこ焼きを初めて食べた。これがお店と店主からは想像できないような、ふんわりした品の良い口当たりで、さすが長年にわたる人気店なだけはある。昔、大阪の下町ではたこ焼きが一個から買える(バラ売り)という話を聞いたことがあるが、ここは5個(200円)から買うことができる。

 そういうわけで、古式ゆかしいお正月を過ごしたわけではないが、のどかなお正月だった。

 しかし、年明け早々感染の第六波が来た…。沖縄、山口、広島で米軍基地のクラスターが拡散して問題になっている。でも、家の近くの米軍住宅地(神奈川県)では年末から日本人居住区域立ち入り禁止令(Off limits)が出ていたようで、アメリカ人家族の姿はすでにない。横須賀は分からないが、小田急線沿線の基地は意外と対応が早かったと思う。あまり不安にならないでほしい。

 2020年4月7日、最初に緊急事態宣言が出た時、首都圏で雪が降ったのが印象的だった。そして今日、また首都圏では雪が積もっている。雪の白さには浮世離れした清浄さがあって、騒々しい俗世が鎮まり、浄められていくような気がする。それは私の願望なのかもしれないが。

 これからしばらくの間、オミクロン株は拡大していくとは思うが、対抗措置をとるよりも、過ぎ去るのを待つ東洋的静かさを保ちたい。そして、水を飲むこと。2月初めまでは、一口でもいいから水を飲むようにしてほしい(温かい飲み物以外に)。まだ寒くて飲みにくかったら、お風呂で湯船に浸かっている時、体に沁みとおるよう一口ずつゆっくり飲むのがいいだろう。水道の水でかまわない。

 そういえばお正月、私は野生のミツバを摘んでお雑煮に入れた。整体の師匠は名古屋の人で、名古屋の雑煮はすまし汁に餅と青菜(もち菜)のみだと言っていたのを思い出し、真似てみたのだ。尾張徳川の武家風なのだろうか。

 今のミツバは瑞々しく小さな葉だが、味も香りもしっかりとしており、これは次の季節の準備を万端整えて待っている姿なのだと思った。人間の身体も来る季節の準備に入っていくことを、水を一口飲んで、思い起こしてほしい。

ひとり言

春になると何故花がこのように美しく、晴れ晴れと咲くのだろうか。

冬になると真白い雪で、何故この地が清められるのであろうか。

寒いからである、暖かいからである、と答える人もあるが、それだけではこれらが美しく、清らかな理由にならない。

すべては心にある。

雲の悠々としているのでも、心にあるのである。

野口晴哉『風声明語』

 

年末にまた脾臓と出くわす

 2019年後半ぐらいから、私は新型コロナウイルスの問題が起きてから脾臓に関心を持ち、シュタイナーの脾臓についての考えや、中国医学での「脾」の機能、野口整体での「脾臓と胸椎七番」について勉強していた。今年の1月、2月にはこのブログでもそのことを書いたことがある。

 しかしここにきて、また脾臓というテーマが浮上してきた。きっかけは脾臓を摘出した人と、mRNAワクチンを打った後、経過が思わしくない人の背骨の変化の仕方が似ていると分かったことで、脾臓とCOVID-19、そして脾臓とmRNAワクチンについて勉強し始めている。

 新型コロナウイルスについての新たな知見に目を通す中で、印象に残ったのは土地の病気(風土病的な)と新型コロナウイルスに対する抵抗力の関係だった。

 最近、日本で重症化率や死亡率が低い理由として、日本人の6~7割位の人が持っている白血球の型が関与している可能性があるというニュースがあった。

 以前から言われていたが、これまでに感染したコロナウイルスの記憶を、新型コロナウイルスに対して応用し抵抗しているという説で、その白血球の型が特定されたということのようだ。

 その他にも、「扁桃」という口の奥の左右にあるリンパ組織の中に、新型コロナウイルスと戦える能力(交叉免疫)をすでに獲得している免疫細胞が存在することも分かっている。

 日本人は乳幼児の頃に90%以上の人が感染する(無症状)、EBウイルスを撃退する免疫細胞に似た特徴を持っているそうだ。

 アメリカのEBウイルス感染率は20%とのことで、このEBウイルス感染の有無も交叉免疫と関わっていると考えられている。

 また、アフリカのウガンダでは、マラリア感染の既往がある人はCOVID-19の重症化率が低いという研究結果がある(以上、久留米大学医学部免疫学講座 HPより)。

 アフリカのマラリアはアジアのマラリアと異なり、地域によっては人口調整圧になっていた程、より致死性の高い伝染病ではあるが、多くの子どもが小学校ぐらいまでに感染すると言われる。

 確かにアフリカでは新型コロナウイルス重症化の問題が大きくなっていないようで、そこには平均年齢の若さだけではない背景があるということだ。

 それにしても、アフリカ大陸の中では先進地域の南アフリカでオミクロン株などが出てくるのは皮肉なことである…。WHOはアフリカでのワクチン接種を進めようとしているが、地元ではあまり需要がないらしい。

 マラリアがアフリカの風土病であるように、EBウイルス、またいくつかの風邪症状を起こすコロナウイルスは、おそらく日本の風土病的なものである。こうしたウイルスに感染する経験が、新型コロナウイルスに対する抵抗力ともなっていることは忘れてはならないだろう。

 それと、やはり免疫というのは、このウイルスにはこの抗体と特定して対抗するのではなく、ざっくりと多様な相手に応用できる方が適応的なのだ。

 もうすぐ2021年が終わる。抗生物質もワクチンもなく、ウイルスの分離さえできなかったスペインインフルエンザの時代でも、大体三年でパンデミックが収束している。それを踏まえると、このパンデミックは2022年で収束するのかもしれない。でもその後、どんな世界になるのだろう?

 漠然とした不安はあるけれど、今、あんまり暗いことは考えたくないし、言いたくない。それよりも、このコロナ禍で見えてきたこと、感じたこと、経験したことは次の世界を生きるために必要な事だったと思っている。

 何はともあれ、良いお年を。昔の人のように、年越しには新しい魂(たま)を得て再生しましょう。

言葉を発する時

 先日、活元会の後に大安売りのかぶを買った。葉と茎を煮びたしにして、かぶのクリームシチューを作り、残ったかぶは一日干して、セミドライにしてから冷凍に。

 これにミートソーススパゲッティというけっこうなボリュームの夕飯を食べた後、ふとあるブログのことを思った。記事を書いているのは、ある身体技法の指導的な立場に立つため、真面目に取り組んでいる若い男性(多分)である。

 この人は所属する会のあり方や今後の身の処し方などで思い悩んでいて、おそらく私のような通りがかりの他人は読者として想定されていないのだが、つい読んでしまうのだ。少し前には質問までしてしまった。

 最初はこの人の野口整体について触れた記事に「困っちゃうな」と思うようなことが書いてあったのがきっかけだったのだが、もはや私の興味はそこではなく、この人の悶々力にある。

 こういう日記のようなブログというのは不思議な面白さがあって、全然知らない、会ったこともない人が、今自分が感じていることと同じようなことを書いていたり、興味を持っていたりというのも面白いし、知らない世界を垣間見たり、新しいことに出会ったりもする。

 個人の生活や心の中をのぞくのが大好物の私には、本当に興味深いものである。そして、自分のことを重ねてみたり、昔のことを思い出したりしている。

 少し前にはフリースクールを始めようとしている人の記事を読んで、整体の勉強を始めた頃に関わっていた、不登校の子どもの学習援助ボランティアのことを思い出した。

 整体とは全く別のつながりで関わるようになったのだが、偶然、主宰者が整体の師匠の指導を受けていたことがある人で、気のつながりの不思議さに驚いたものである。

 当時、私は主宰者に「なぜ学校に行けなくなるのか」を聞いてみたことがあるが、いじめなど明確なきっかけを答える子は少なくて、多くの場合、「何となく」と言うことが多いのだと言った。実際のところどうなのかは別だが、子どもの実感としては嘘をついているわけではないだろう。

 その頃、私はある中学生(時々不登校)の女の子と出会った。その子は自分の心を表現する言葉を持たず、「お腹が痛い」とか、身体的な表現しかできない子だった。

 私と会う少し前に、この子の母が家を出て父と二人暮らしになり、一人でいることが多くなった。彼女はかなり年上の男性と会ったりするようになって、年齢にそぐわない、色っぽいおしゃれ?をするようになり、困った父親が相談に来たのだった。(それ以上のことはなく、万引きなどもしない)

 当時の私、そして多くの大人は「この子は寂しいからそういうことをするのだろう」と思う。しかし、この子の実感としては「寂しいこと」と自分の行動はつながっていない。「寂しい」という気持ちも「仕方がない」と蓋をしていたかもしれないし、今思うといなくなったママの真似をしていたのかもしれない。そもそも自分がなぜそうするのか、分からないのだ。

 でも、先日読んだブログでは、あるお題について子どもと哲学的対話をする活動(フリースクール)があると言う。私はできるのかな…?と思ったが、できるようだ。その中で、辛い時は「話さなくてもいい」所に目が行った。

 もしかすると、その場にいる人が、自分の発話を待っている、自分に注意を集めているということに、かくれた意味があるのかもしれない。

 そして、空気や同調ではない言葉を発してもいいのだという体験。そして、問いかけられて考えたり、言葉を発したりすることで、自分の存在感、自分の輪郭がはっきりしてくる。

 また、お題があることで、自分のことを直接話さなくても良いのもいいかもしれないし、自分の考えではない、どこかで誰かが言った言葉を発してしまった時の違和感を感じるのだって、必要だ。

 こういう取り組みがあるということは知らなかったけれど、ブログを書いたりすることも、それと似ているように思った。書くことで自分の言葉を獲得し、発話する練習をしているようだ。

 私が好きで読んでいるのはみな、一人になって書いているブログである。家族がいる人も、あるコミュニティに参加している人であっても、個人に立ち戻って書いている、言葉を発している。

 言葉にすることで、自分の心を改めて理解できるようになることもあるし、外界の受け取り方が変わることもある。言葉を発し、それを受け取る人がいるというのは、文字や音声だけではない何かが媒介している。やはりすごいことである。あんまりちゃんとした言葉になっていないけれど。

言葉

人間は言葉で考え、又、考えを伝える。

言葉を伝えるのではなく、心を伝える。

心を伝えようとする心が、言葉を生んだ。

しかし心が通らねば、言葉は通らない。

野口晴哉(『偶感集』)

 

黒歴史が思い出に変わる

 少し前に、椿が咲き始めているのを見かけた。例年、年が明けてからの藪椿も、もう咲き始めている。冬至が近づくにつれてやはり冬らしくなってきたと思っていたが、今年は冬の終わりが早いのだろうか。椿の花はいいものであるが、ちょっと気になった。

 そして先日。ある整体指導者のブログを読んでいたら、私の師匠の名前が出てきて驚いた。先生の名前が一字違っていたけれど(笑)、亡くなって三年がたった今も先生の名前を肯定的に出してくれるというのは嬉しい。

 東北の震災があった年に行われた整体関連のイベントについての話の中で出て来たのだが、これは先生の中でも私の中でも黒歴史となった残念なイベントだった。

 このイベントの後、先生は気力が低下して疲れが抜けなくなり、見かねて私が背中に愉気(手当て)をしたのだが、手を当てると背中に真っ黒な穴が開いているように感じた。私が先生にそう伝えると、先生は「そうか…分からんかった」とだけ言った。

 その後しばらくして、先のブログを書いている指導者が先生の道場を訪れた。この指導者も問題のイベントに参加しており、先生は来訪した指導者にその時の思いをぶつけたのだが、その中で「弟子に背中に穴が開いていると言われた。言われるまで気づかなかった」という話をしていた。私は先生がそういう話をするとは…と意外に思い、驚いたことを憶えている。先生は自分の感情的な話を人にあまりしなかったからだ。

 それはイベントのことのみならず、その後先生が体調を崩していく兆しだったのだが、それは置いておこう。先生は、この指導者に信頼できる何かを感じていたのだと思う。今回、この指導者が先生の名前を出してくれたことで、その当時のことが動画を見ているように思い出され、懐かしかった。

 これまでは何分黒歴史だと思っていたのであまり思い出すこともなかった。だから確かな記憶ではないが、野口晴哉が生誕百年を迎える前年、その記念イベントをしようという企画が先生に持ち込まれて、その後震災が起きたのだった。

 当時、先生は二冊目の著書出版に取り組んでいる最中で、私もそれに深く関わっていた。それで、イベントの準備段階で相容れない点が浮き上がってきた時、先生にこういう企画に参加することをどう思うか聞かれたが、私は「やめた方が良いと思います」と答えた。

 しかし当初、この企画に参加した数人の指導者は珍しく?まとまって盛り上がってスタートを切り、しかも野口晴哉を直接知る指導者は先生しかおらず、神輿に乗せられるような形で参加することになったのだった。

「人間は、負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。」という有名な言葉があるが、私はこのイベント当日のことを思い出すと必ずこの言葉を思い出す。結局私もこの黒歴史イベントに関わってしまったのだが、先生も私も、こういう気持ちだった。

 今思うと、野口晴哉が生誕百年を迎えた年に震災が起きるというのも不思議と言えば不思議だし、何か集合的な心(エネルギー)に抗えなかったようにも思える。

 この流れの中で、難航していた某出版社との企画は頓挫し、私は最後まで担当編集者と打開策を探ったが、打ち切られた。その後、自費出版のような形で別の出版社から出ることになった。これも当時は辛かったな…。

 でも、件の指導者が、他の指導者とは違う角度で整体を語ろうとしていたと理解していてくれたこと、そして今でも先生のことを憶えていてくれたことがただ嬉しかった。

 何だか黒歴史が普通の思い出になったような気がする。ようやく経過できたような…。何よりそれを心から有難く思っている。やっぱり、仕方がない(なかった)、という言葉が出てくるうちは、まだ潜在意識の中では終わってないんだなあ、と思った。

食べる

 冷蔵庫に中途半端に残ったビーフシチューのルーとカレー粉があったので、この二つを合わせて強引に牛すじカレーを作ってみたところ、それなりの仕上がりになった。普通のカレーというよりスープカレーという感じだが、残り物活用のチャレンジ料理がうまくいくと嬉しいものである。

 前回、新嘗祭の前日に明治神宮にお参りしたことを書いたが、実はあの後もご利益があって、別の人に551蓬莱の豚まんを頂いた。TVなどで見聞きするだけで食べたことがなく、「食べてみたいな」とは思っていたのだが、噂にたがわずおいしかった。初豚まん(肉まんではない)まで叶ったとなると、これは…。

 昔、図書館でキノコ図鑑を読んだことがあって、その著者は「明治神宮で松茸を採ったことがある」と書いていた。場所は絶対言えないけれど入れない領域ではないという。

 あんな都心で松茸を採る人がいるなんてほとんど神秘だと思ったが、観える人には観えるのだ。それに神域の森は広く木も大きいからあり得ることだと思う。

 まあ、こういう風に延々と食べ物の話を書いてしまうのは、私がもともと食べ物に注意が集まりやすい・関心が強い人だからであって、野口整体の体癖論で言う左右型3種体癖がある、ということでもある。

 左右型3種と言うと、野口整体の世界では低評価というか、特に指導する立場にあっては「三文下がる」位の感じである。

 これは野口晴哉が食べ過ぎをよく注意したからで、生来食べるのも料理も大好きな3種族は、今も昔も指導でお叱りを受ける場面が多いことによる(多分)。

 ともかく来年、機会があったら明治神宮新嘗祭の前日参り、あるいは松茸狩りをお勧めしたい。

 そして、食べ過ぎが良くないのはすべての人に当てはまる!整体的な食べ過ぎというのは単なる量ではなくて、味がよく分からないまま漠然と食べているとか、心理的な不満や寂しさを充たそうとして食べている、なども含まれる。

 やはり同化・異化(吸収と排泄)が大切で、何を、どのぐらい食べるかはこうした体の過程を確かめてみることが必要だ。食べたい、おいしいと思っても、体は「これじゃない」ということもある。

 それはそうと、先日、野口整体を愉しむはてな)というブログで、このブログに張ったリンク先の記事について述べてあった。

 この記事を書いたころ、アメリカとヨーロッパが少々集団ヒステリー的になっているように感じ、漠然とした不安の中で書いたところもあったので、読んだ人に何が言いたいのか分かりにくいなと思っていたのだが、flyingpooh氏に汲み取って頂けたことが嬉しかった。

 まあ、福岡伸一氏などの記事によると、もともとアメリカでは結核などのワクチン接種の強制力は日本よりはるかに強いそうだし、ドイツでも、ワクチンの集団接種をしないシュタイナー教育の園や学校で水疱瘡などが流行ると、地域の人々と度々軋轢が起こっているのだそうだ。

 やはりワクチンは近代西洋医学の武器であり、感染症と闘う、少なくとも支配しようとする強い対立姿勢が西洋の基本にあるのだろう。地震などの自然災害に対する受け止め方とも共通している。

ワクチン接種率は相当に高くなっているけれども、やはり日本には「収まるのを待つ」という自然に対する受動性が、まだ多少残っているように思う。

 オミクロン株なるものが出てきてワクチン・検査パッケージの前提が崩れかけているし、今後の感染状況次第でどうなるかは分からないけれど。

 ともかく、アメリカ・ヨーロッパの方には、太らないこと・食べ過ぎないことをお勧めしたい。これは呼吸器のはたらきを良く保つという整体的な考えでもあると同時に、肥満はコロナ重症化の最大要因として世界的に認知された西洋医学の知見、でもある。

 私も気をつけよう…。

死と病症の向こうに

 先日、初めて明治神宮にお参りする機会があった。大きな森を歩いていると、どんぐりが沢山落ちていて、芳しい、懐かしい匂いがした。

 その日は宮中行事新嘗祭の前日で、境内にはたくさんの野菜や米などの農作物が奉納されており、巨大なコンニャクイモなど日本全国から集まるお供物を見ることができた。

 新嘗祭に限らず、農耕儀礼は、消費者には農作物は単なる物ではないという気持ちにさせるし、生産者には誇りを持たせるものだと思う。

 明治神宮の御苑と広い森を歩いて、神宮内のレストランでカレーを食べたら、想定外のおいしさだった。

そして、知人の板前さんに、鰻の白焼きと、ちりめんじゃこをふんわりと炊いたもの、のらぼう菜の茎のきんぴらを頂いた。さっそく食のご利益があったようだ。

 この板前さんは、店の生ごみを肥料にして育てた野菜を使い、良い材料でたんねんな仕事をする人なので、作るものはおいしくて気が充ちている。

 この人は夏ごろ、自分が尊敬している70代前半の神道家が病に倒れたことで、何とかできないかと私に連絡してきたことがあった。

 しかし話を聞くともう死が近い状態で、私は「できることはないし、生かす手立てを考えたりしないほうがいい」と言ったのだった。翌月、その人は亡くなった。

 その人の奥さんは物質主義的な?人で、その人が関心を持つことに否定的だったこともあってか、神道家が倒れる前に頼んできた仕事を断ってしまったことが心残りのようだった。折悪く休業期間中で、その仕事を受ければ補償金を貰うことができなかったのだ。

 話を聞いた後、私は「誰かを亡くすと、人に会うって大事だと思うでしょう?」と言った。なぜか口からそういう言葉が出て来たのだ。

 実は板前さんは最近、もう一人昔から世話になっていた人を亡くしたとのことで、「ああ…、葬式の時、本当にそう思った」と言った。

 誰かが死ななければ、そういうことを実感することはあまりないが、ただ長いこと会っていないというのとは全く違う実感があるものだ。

 また板前さんは、参加している勉強会の先生も三か月前に脳梗塞で倒れて意識不明になり、最近復活したのだそうで、その日の夜、お祝いをするのだと言っていた。

 この板前さんは、現実や人に影響を及ぼすパワーとか強さを持つ人に惹かれる人なので、すごい!と信じていた人が亡くなったり病気になったりするのを見て、自分が頼みとしていたものが揺らいだところもあったのだと思う。

 シュタイナーは「年老いて亡くなった人の心魂は、その心魂のほうに私たちを引きつけます。若くして亡くなった人は、私たちの方に引き寄せられます」と言った。(『精神科学から見た死後の生』)

 それは、年老いて亡くなった人は遺された人間に死や霊性についての理解を深めさせ、若くして亡くなった人は再生や生きることについての理解を深めさせるということだろうか。

「不知、生まれ死ぬる人、いづかたより来りていづかたへか去る」という方丈記の有名な言葉があるが、この「いづかた(どこか)」は同じ場所を意味する。

 そこから私たちを見ている眼があるから、この世で誰かと出会い、心を通わせる意味や大切さが分かって来るということがある。本当はいつも、一期一会なのだ。

 今回、良かったな…と思ったのは、この人の死というものに対する忌避観や恐れが和らいだように思ったことである。

 この人は魚をさばく仕事は午前中に全部終わらせてしまうという血や死穢に対する不浄感が強い人であり、痛みや病症に対する不安、死の忌避感も強かった。それがちょっと穏やかに、受容的になったような気がする。

 この板前さんは60代男性である。心の発達は、生きている間、ずっと続いていくのだな…と思った。

 新型コロナウィルス渦の中で、人間が学ぶべきことのひとつに、死や病症に対する恐怖、忌避感の問題があるのではないだろうか。
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