アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

キャベツの乳酸発酵漬け

 時々行くオーガニック野菜のお店で、キャベツの大安売りがあり、去年から始めた発酵漬けを作ることにした。

 これは「浮かし漬け」という手法のロシア式の漬物で、塩・水・野菜、野菜についている乳酸菌のみで作る。

 作り方はロシア式だけれど、青梗菜や白菜、大根菜などは東洋的な味わいに、キャベツやセロリ、玉ねぎなどは洋風の味わいになり、ルーツによる個性が発揮されるのが面白い。

 また、水耕栽培のセロリなどは、発酵が進むと溶けてしまうが、有機無農薬のセロリはそうならないなど、野菜の底力を見せつけられる。トルコではトマトで発酵漬けを作り、伝統的調味料にもなっているそうだ。

 時間が経つにつれて乳酸発酵が進み、乳酸菌によって旨味が深まる。漬け汁も、肉や魚介の下ごしらえに使うと臭いが取れ旨味が増す。

 料理研究家の荻野恭子さんによる基本のレシピでは

好みの野菜 500(食べやすい大きさに切る。ブレンドしても良い)

漬け汁  水3カップ、粗塩大さじ1 1/2 (水1カップ:塩小さじ1)

 これを蓋つき容器(ジップロックでよい)に入れて、三日ぐらい置き(夏はもっと早い)、漬け汁が白く濁って来るのを待つ。白く濁ったら発酵しているので、冷蔵庫へ。味見して好みの発酵度合いにすると良い。

密閉してしまうと、発酵する時に液が噴出したりするので、少し開けておく。

★塩分を控えたい時は、切った野菜を大きなボールに入れ、上記の塩水を1カップ加えて水が上がってくるのを待つ。それからひたひたになるまで塩水を加えるようにするといい(ひたひたになったらそのまま)。私はいつもそうしており、早めに冷蔵保存すれば大丈夫。

 各種スパイス、昆布やトウガラシを入れても良いが、入れない方が後々応用がきくし、食べる時に加えても良い。少し甘くしたり醤油をたらしたりしても目先が変わっておいしい。

 冬キャベツで作ると、ドイツのザワークラウト的なものができて、ソーセージの付け合わせ、野菜スープなどにも使える。ロシアでもママの味だそうだ。

なぜインフルエンザが流行しないのか についての追記

 前回のブログで挙げた、

①コロナ対策として、手洗い、消毒、マスクなどの予防が徹底されているため。

という理由について追記。

 じゃ、インフルエンザが流行らないのは当然でしょ?と思う人もいるかと思うが、ではなぜここまでやっているのに新型コロナウイルスはどんどん増えるのか?という疑問が残る。感染力の違いも考えられるけれど、感染感受性の方を考える方がいいのではないか。

 新型コロナウイルス感染症が重症化するか否かは、自然免疫の働きのありようによる、と以前に書いた。

 きっと東洋では、風土的に日々接することの多いコロナウイルス一族に対して、抗体という対立的なやり方(ターゲットを定めて専用の武器を開発して攻撃する)ではなく、自然免疫という、対立しない、ゆるいやり方で対応していくことを選んだのではないか。この方が変異しやすいウイルスに対して、合目的的だったのだろう。

 アジアで死亡者が少ないファクターXとして「交差免疫」ということが言われている。これはT細胞という免疫細胞が、過去に接したコロナウイルス全般に対する反応を記憶していて、それを新型コロナウイルスに応用しているという説である。

 こういう生命のはたらきは、本当に東洋的叡智のみなもとという感がある。

 また、インフルエンザは新型コロナウイルスより発症しやすいと言われるが、これは、「体がどう対応すればいいか知っている」のだとも言える。

 多くの「つらい症状」と言われるもの、下痢、発熱、せき、鼻水、体の痛みなどの多くは、重症化しないようにするための抵抗力の表れである。

 招かれざる客には、外界に接する器官(消化管、気道など。ロビーのようなところ)できちんと対応し、中枢神経など深部に影響が出ないようにするのだ。こうした免疫系のはたらきは、感染の経験によって発達し、病症経過によって経験値が蓄積されていく。

 野口晴哉野口整体を創始した時代は、まさに感染症の全盛期という時代で、「風邪の効用」で知られる野口晴哉の病症観は、この時代の経験が基礎となっている。

 それは、感染と軽度の発症はある程度受容し、ウイルスという外界の敵ではなく、個々の内側の条件…免疫系やストレス耐性、弾力などに注目し、そのはたらきを高めていくことが中心にある。

 野口整体新型コロナウイルスの知見はなく、現在、最前線で働く西洋医学の医療関係者には頭が下がる思いでいる。ただ、ワクチンと治療薬の開発でウイルスと闘う…というだけではない研究の在り方、科学の使い道というのもあるのでは?と思う。

インフルエンザ患者激減と新型コロナウイルス

 ネット配信のニュースで「コロナとダブル流行なんて言われてたけど、「インフルエンザ患者」がほぼゼロになっていた」(現代ビジネス)という記事を読んだ。

 この記事では、製薬会社や開業医が「患者激減で経営に困っている」という内容や、大げさに騒いだコメンテーターについての批判的内容が書かれているが、ここでは私が関心を持ったことを拾い出して考えてみたい。

1 インフルエンザの患者数

全国で171人(11月15日まで)。

昨年のインフルエンザの累計患者数は729万人、一昨年は1200万人。ここ5年間の平均患者数約1000万人と比較すると、今年は0・001%。

 '19年の11月第1週は5084人で、今年は24人。

 今年、インフルエンザによる死亡者はまだゼロだが、例年、約3000人が亡くなり、インフルエンザに罹ったことで、持病が悪化して死亡する人は年間1万人。

新型コロナウイルスによる死者数は2022人(11月26日時点)。

2 なぜインフルエンザが流行しないのか

①コロナ対策として、手洗い、消毒、マスクなどの予防が徹底されているため。

コロナとインフルエンザは、飛沫感染がほとんどで感染経路がほぼ同じ。そのため、コロナを予防することが、同時にインフルエンザも防いでいると考えられる。

②「ウイルス干渉」…体内の細胞があるウイルスに感染すると、他のウイルスに感染しにくくなること

 ウイルスAがその生物に吸着するのに必要な受容体(レセプター)を占領するため、あとから来たウイルスBが吸着できなくなる。

②が理由だとすると、無症状で新型コロナに感染している人は、かなりの数がいると推測され、それが結果的にインフルエンザの流行を抑制している可能性が高い

 なお、インフルエンザワクチンの出荷量は、11月20日時点で3120万本。昨年の同時期は2880万本で1・08倍の増加(厚労省)。

 またワクチンは重症化することは防げても、感染を防ぐわけではない。そのため、インフルエンザのワクチン接種は患者数減少との関連はあまりないと考えられる。

 その他、「今年の1~3月もインフルエンザの流行がなく、その傾向は今冬も続いている」(沢井製薬)、とのことで、海外においても、南半球では8月にインフルエンザが流行するが、今年はほとんど感染者が出なかったので、日本でもインフルエンザが減るという予測はされていたという。

  COVID-19が今年のインフルエンザじゃないのかな…と私などは思ってしまったが、ま、それはちょっと置いておこう。気になるのは日本人のほとんどがすでに感染したという説を裏付ける「ウイルス干渉」という説だ。

 病気には流行り廃りがあって、「特効薬がない」とされている病気の方が流行るとか、「大流行!」「発症するとこうなる、重症化リスクはこれだ」と大々的に報道され、話題性が高まると患者が増える(医療技術の進歩とともに次々に新しい病気が生まれ、病者が増えていく!)とか、そういう見方をするのは整体馬鹿だけだとしても、「ウイルス干渉」説はもっと普遍的に注目すべきことだと思う。

 また、以前書いたように、野口晴哉は「黄色人種はインフルエンザに強い」と言っているのだが、私個人は、コロナウイルス系の感染症は中国を中心とした東アジアの風土病的なものという意味かと思っている。

 人種云々というより、東アジアではコロナウイルスに接する機会が多く、つきあいの歴史も長いのだろう。

 新型コロナウイルスでもアジア地域の重症化率、死亡率は一体に低いそうだ。感染症パンデミックは、発生源から遠くなる程ひどくなる傾向があるとしても、コロナウイルス一族とのおつきあいが長いという素地もあるかと思う。

 アメリカやヨーロッパの二世、三世は、新型コロナウイルス感染で多人種とあまり重症化率が変わらないという報告があるのは、そういう環境にないからではないだろうか。

 まあとにかく、上虚下実で無心、天心。東洋の心であり、野口整体の心でもあるけれど、それを保つのが感染防御になる。また、中国に批判が集まっているけれど、中国国内ではCOVID-19に中国伝統医学が効果を上げていると言う(以前の報道)。西洋医学の先端医療だけでなく、そこから学ぶ必要もあるのではないだろうか。

 

宮本浩次氏の体癖

 宮本浩次禍(?)がひと段落して、冷静に『ROMANCE』ライナーの写真を見ていると、だんだん体癖が気になってくる。

 これはもう、すでに整体馬鹿を超えた病気だと自分でも思うが、写真を見る限りでは、宮本浩次氏は7種(捻れ型)と9種(開閉型)の重なりであるように見える。

 ただ、そういう体癖にしては脚(特に太腿)が細い。体全体が細いのは、体癖的にある程度普通だけれど、太腿が細いのはちょっと気になるかな…。

 ロッカーとしてはカッコいいとしても、特に中年期以降、健康と体力発揮という意味では、体癖問わず太腿の充実は必要なことなのだ。下半身型体癖はとくに。

 まあ、野口整体なんか全然知らないはずの宮本氏に、体癖のことを言っても「は?」だろうし、老婆心以外の何物でもないけれど、やっぱりこういう人には元気でいてほしい。今、宮本氏は本当に魅力にあふれて光っているから、野口晴哉先生の言う「50代を長くする」生き方を実現してくれるといいなあと思う。

追記

太腿は、鍛えて筋肉をつける方がいいとか、そういう意味ではない。

ROMANCE 宮本浩次

  今、宮本浩次『ROMANCE』を聴いている。う、やられた…っていう位、よい。

 ただ、私は前回、宮本氏の「あなた」で初めて「不在」を感じたと書いたが、歌詞をよく読んでみると、「いとしいあなたは今どこに」という所があって、もともとこの曲の中では「あなた」はいない設定であることが分かった…。ちょっとショックだった。

  他の曲でもそうだったのだが、小さい時に聞いた曲はフレーズのみで全体の内容をほとんど理解していないことがよく分かった。

 そしてもう一つ気づいたのは、松任谷由実中島みゆきの違いだ。

『ROMANCE』の中には、『恋人がサンタクロース』と、『化粧』『あばよ』(DISC2)が入っているのだが、中島みゆきの曲はすっかり宮本浩次の色に染まって、宮本浩次の曲みたいになっているのに、ユーミンの曲はがんとしてユーミンの曲なのだ。

 最初、中島みゆきのほうが宮本氏に適うのかなと思ったのだが、どうもこれは曲の性質によるものだと思う。一見、個性が強そうなのに、すっと歌う人の色に染まってしまうというのが意外だった。

 で、私が一番好きなのは最後の「First Love」(宇多田ヒカル)。やっぱり、買って良かった。今度はエレファントカシマシRCサクセションのカバーなどやってくれるといいなあ。

 何のブログだか分からなくなりそうなのでこのぐらいにするが、初めてのこととか、知らないことに、いつも心を開いて、新鮮な驚きを感じられる自分でありたい。やっぱり初心、ですね。

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という茨城のり子の詩があったが、野口整体で言う「感受性を高度ならしむる」って、こういう意味もあるんだぜ。

 

それから、前回、ちょっと性別について書いたけれど、今、国立歴史博物館で「性差の日本史」という特別展をやっていて、すごくおもしろそうだ。でも、入場制限があって、予約で一杯らしい。興味のある方はぜひ。

性別と整体

 先日、タワーレコード宮本浩次の新譜を買いに行ったら、初回限定版が品切れ…。12月の初めに入るというので予約したのだが、CDを予約して買うなんて、本当に何年振りか!しかも私はチャート入りするようなCDを買うということ(しかもJ Pop)そのものが、ほとんどない。

 この『ROMANCE』というアルバムでカバーされている曲は、全て女ことばの歌詞で、ジャンルもロックではない。でも、宮本氏が歌うと違う情景が見えてくる気がする。

 私が先日、マツキヨで「あなた」を聞いた時に感じたのは、「誰かの不在」だった。これまで漠然と、誰かに「要求している歌」みたいに思っていたのだが、曲を聴いた時、この歌の主人公?のそばに、「あなた」はいないのだと思った。それで「Blues」という感じに聞こえたのだと思う。

 宮本氏はインタビューで「男らしさにこだわってきた自分が、女ことばの歌詞を歌うことで、自分が解放されていくような気がした」(要約)と言っている。それが自分の新しい表現につながっているようだ。

 私は、新型コロナウイルスパンデミックが始まった頃から、台湾のデジタル大臣、オードリー・タン氏に注目して、インタビュー記事などもよく読むのだが、この人はトランス・ジェンダーである。性的嗜好というより、身体的に(ホルモンバランスなど含め)中性なのだそうだ。

 この人の記事を読むと、日本が韓国や中国とつまらない意地を張り合っている間に、台湾はその先へ行ってしまったのだと思う。

 ほんのつい最近まで、世界中が中国の生む富に眼がくらみ、中国に忖度していた時代、台湾は独自の立場を守ってきた。中国の古典で言えば「鶏口牛後」だろうか。それが今の、アジアの中で一馬身リードという台湾の在り方を育てたのかもしれない。

 出典は忘れたが、中国には「武力で他国を占領すると、文化で(占領したはずの国に)敗ける」という哲理があって、古代からそれを繰り返している。今の中国と台湾を比較すると、このことをつい思ってしまう。

 それはともかく、話を「性差」ということに戻すと、野口晴哉的には、「人間においても、女は人間の男より虎のメスのほうが近い」という考えである。

 生物としては、やはりそのようにできていて、性がはっきりしていることは、個体の完成、そして種族保存のために必要不可欠な前提なのだ。それに、女・男という体の違いは、心理的にも、体全体の働き、病症の在り方にも違いをもたらしている。

 オードリー・タン氏のように、中性という状態はどうなのかはっきりとは言えないが、私個人は、オードリー氏が現在、ありのままで健康であるならば、もう一つの性の在り方なのだと思う。

 もっと言うと、大脳が発達していて、あらゆる場面で対立を生みやすい人間は、種として中性を一定の割合で許容し、必要とさえしているのではないだろうか。

 野口先生や私の師匠にこんなことを言うと破門されるかもしれないし、おそらく野口整体実践者の中では超少数派の考えであるということは明確にしておきたいが、正直言って、私はそう思っている(ただし、外科的手段や薬物療法には慎重になってほしい)。

 ユングは人間の心の深層には「内なる異性」がいる、と言った。

これは現実の異性というよりイメージで、男であっても女っぽい部分、女であっても男っぽい部分というのが誰にもあるものだが、潜在しているその要素を意味している。現実の異性は、この内なる異性のイメージを重ねて(投影して)見ているのだ。

 心理的発達に伴い、この「内なる異性」のイメージは変化していく(例えばお母さん→少女→性的対象としての女性→精神性の高い女性というように)。

 この内なる異性が、自我と無意識(たましい)をつなぐ仲介者であり、最終的には男である自分と、内なる異性がひとつの人格として統合へ向かうのだという。

 多くの人は、男か女かのどちらかに寄っているわけだが、男はこうだ、女はこうだという大雑把かつ動物的な段階を経て、心が成長した後には自分の中の異性に向き合うことになる。現実生活の男女関係はその前哨戦らしい。

 ユングは、中年期に入ったら、男女ともに「♂・♀」という生物的段階から、内なる異性の意識化を経て文化的・宗教的段階へと発達するのが健全だという考えだった。

じつは野口晴哉も、著書『女である時期』で、女である時期というのは「生殖に最適化した体」である時期ということで、更年期はその生物的段階から、人間という統合的段階に移行する時期なのだと言っている。

 これは、現代人の「若さ」に対する悲しい執着を超える、一つの提言ともいえるだろう。

愉気法と抵抗力の発揮

 先日、マツモトキヨシに行ったのだが、その時、店内でいきなり宮本浩次の歌が流れた。それも出たばかりのカバーアルバム『Romance』の「あなた」。あの昭和の歌謡曲だ。

 エレファントカシマシは昔からあるバンドだが、宮本氏の歌がすごく刺さるようになったのはつい最近だ。私はマツキヨでトイレットペーパー(12r)を抱え、立ちつくしたまま一曲聞いてしまった。ほぼBlues。ほしいな…。

 それはともかく、前回、電話で経過のための助言をした人から、「手を当てるということを教わったのが一番だった」という電話があった。

 一般にも傷の手当てなどと言うけれど、野口整体には愉気法というのがあって、自分や家族などに行う手当て法がある。一般向けとしては、慢性ではなく急性の症状が起こった時、明瞭な効果がある。

 特に女性に多いのだが、自分の子どもや夫など、家族に「やってあげたい」という人が多いけれど、愉気法というのは、まず自分にやってみる方が、真の理解が得られると思う。

 愉気法を行う目的は、症状を無くすことではなく、治る力が働くという実感にある。この人は、まずそこに気がついてくれたので、私としてもうれしく思った。

 今、元局アナのタレントとスピリチュアル系整体師(?)の夫がニュースになったりしているが、こういう人が瞑想とか気とかについて語る内容が大きく報道されるというのは、正直迷惑この上もない。

 スポーツ選手でもカリスマ整体師に洗脳されているとか言われたりすることがあるけれど、自分の内面的なことを、人に話す(ことに身体的な手技を行う人に)ということ自体に、不信の目が向けられやすいからそうなってしまうのだろうが、自己主張の過剰な人がどうしても目立ってしまうので、よけいに世間の偏見が大きくなっていってしまう。

 そうすると、やっぱり「気」という言葉を出すと不審がられたりするし、気を他人に対する支配力か何かのように理解している人もいて、困ったものだと思う。

 そういう意味でも、自分で自分に手を当てて、自分の中にある「気」のはたらきを自覚してもらうことには、大きな意味があると思っている。

 今、また新型コロナの感染者が増加傾向にあって、各地で記録更新中だという。前と違うのは、地方での感染者が増加していることだ。

 でも、重症化率は低下しているようで、買い占めなども起こっていないし、今のところは冷静に受け止められているようだ。

 新型コロナウイルスでは、抗体ができるとかそういうこと(獲得免疫)よりも、自然免疫という特定のウイルスをターゲットにしない免疫系の働きが重要な意味を持っていると言われており、それがこれまでの感染症にはない特徴だという。

 もともとほとんどすべての生物の免疫系は、大ざっぱに自己と非自己の認識をして、大ざっぱに自然免疫を制御して寛容性を保つというのが主体なのだ(獲得免疫は脊椎動物のみ)。

 それでも世界中でワクチン開発に血道を上げているのは、経済的な効果と心理的な沈静化を狙っているのではないかと勘繰りたくなる。

そうでなくとも、結核などの統計的事実として、治療法や特効薬が確立する少し前から、死亡率や患者数が減少するという傾向があり、人間と疾病の関係は一筋縄ではいかないところがある。

 気のはたらきの一番重要なところは抵抗力の発揮だが、「免疫系は睡眠や休息によって増強され、ストレスによって損なわれる」というのは、整体に関わる人も、関係ない人にも共通している。また、熟睡できる状態を保つことは、気を調えることとつながっている。

 見えないウイルスに怯え、排除の論理が主流になっている今だからこそ、眼に見えないはたらきが、生きている間ともにあることを、愉気という手当法で再発見してほしい。

愉気

 手のひらを痛みのある部に当て、触れた部分の内部を感じるようにして、手から息を吐くつもりになる。手と触れている箇所が一体になっていくような感じになるよう手に注意を集める。

 

(補足)

新型コロナウイルス感染者で、無症状の人は、全般的に免疫反応が弱く、ウイルスと闘う武器である抗体をあまり作らない傾向があることが示唆されている。

ただ、多くのコロナウイルスでは陽性のケースのうち、55%が無症状であり、ほとんどのウイルスにおいて無症状感染の割合は70%を超えたという。(16~18年、米ニューヨーク市でかぜの原因となる従来型のコロナウイルスやインフルエンザウイルス等、18種類の呼吸器系ウイルスの検査を実施した結果より)

 若年者や子どもは重症がしにくいが、彼らは一般的に呼吸器系のウイルスに感染する機会が多く、それが新型コロナウイルスに感染したときの危険度を下げているのではないかとも言われる。すでに複数種類のコロナウイルスに暴露されているため、新型コロナウイルスに対する部分的な防御態勢が出来ていると考えられている。

特定の種類のコロナウイルスに感染して回復した人は、新型コロナウイルスを撃退したり軽症に抑えたりできるような「メモリーT細胞」を保有しているのではないかとも言われている。

一方、COVID-19による脳炎も、インフルエンザ脳症も、その原因として免疫系の暴走(サイトカインストーム)があると考えられている。

ナショナル・ジオグラフィックHPより要約)