アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

体のブレーキとアクセル

体に注意を集める

二度寝と食べ過ぎ」の話をもうちょっと続けたい。

 この二つは大げさに言うと「行動異常」というもので、ブレーキが利かなくなっているという状態だ。しかし、心を落ち着けて体に注意を集めると、そもそも要求を感じ行動に移る始点、アクセルの段階からもう「違っている」ことが分かるだろう。

 こういうことは大本、頭・背骨・腰の連絡の問題で、背骨の通りが悪くて頭と骨盤の連絡が悪いと、要求が頭に上がってこないし、「こうしよう」という意思が行動にならない。気も総身にまわりかねる。

二度寝と食べ過ぎ」の原因はやっぱり偏り疲労、ということになるのだが、自分の体のブレーキとアクセルの調子は、身体感覚で把握してほしいと思う。車の運転でもそうなのだから、体はなおさらだ。

『整体入門』(野口晴哉 筑摩書房)に「食べ過ぎ体操」というのが掲載されているが、あれは腰にはたらきかける体操で、行うと腰に弾力が出て呼吸も深くなる。

 そうすると要求がはっきりしてきて、ここという時に「止まる」ことができるのだ。だらだら食べて、たいしておいしくもないのに食べ過ぎるということがなくなる。

 また、腰とお腹がしっかりしてくると、味が良くわかるようになってくるし、過剰な満腹が不快になってくる。

 外側の時間の流れ、または自動操縦モードで生活しないで、どうしたいのか、どうしようとしているのか、体の内側にちょっと注意を向ける。そして自分の「今!」というカイロスをつかまえる。

 こうして裡なる主体性を発揮するのが、整体生活の事始め!である

二度寝と食べ過ぎ

 二度寝と食べ過ぎ

 整体には「やってはいけない」と決まっていることがなく、「良くない」とはっきり言われていることは「二度寝(睡眠後、目がふっと覚めた後にもう一度寝てしまう事)」と「食べ過ぎ」位のものである。

 しかし、この二つはやめようと思っていても、「後で気が付く寝○○」になってしまうので、意思的節制で「明日からそうします」というわけにはいかない。

 できる人もいるそうだが、私(+多くの人!)はできないし、体調のいい時は、そうしようと思わなくても自ずとそうなるものだ。

 では、なぜ二度寝をしてしまうのか、というと、睡眠の質があまりよくなくて、体に硬張っているところがあると、そうなることが多い。

また、起きた時に腰や肩が痛かったりすると、「寝ている間に変になった」という人がいる。

 しかし、寝ている時の姿勢などで変になるということはなく、ほとんどが起きている時の問題で、特に床に入ってから、何か気になることをごちゃごちゃ考えながら寝た時は、熟睡できないので頭も体も緊張が抜けなくなる(偏り疲労が抜けていない)。

 ただ、痛いのは硬張りが弛もうとして弛み切らない、という場合が多く、痛みが出ることが悪いという意味ではない。

 野口晴哉先生は、

工夫や執着や憎しみや悩みを眠りの中に持ち込んではいけない。

天心にかえって眠ることである。

(丈夫な体をつくる方法『風声明語』)

 と言うが、せめて考えるのはやめて、静かな頭になってから床に入る方が、明日のためだと思う。どうせろくなことは考えない(悪い空想が多いし、思い出し喧嘩?をしている時すらある)のだし、いいことを思いつくのは目が覚める時の方が多い。

 さて、次は食べ過ぎ。整体でいう「食べ過ぎ」はカロリーや栄養など「量」の問題ではない。その時、その人の適量以上はすべて食べ過ぎだし、食べ物より「食べ方」に焦点を当てている(食べ過ぎて同化吸収できない栄養物は、体調が良ければ排泄に直行するが、悪い時は体内に停留して毒となる。太るだけではない)。

 私の整体の先生は、「味がしなくなってきたら(最初の「おいしい!」が薄くなってきたら)食べるのをやめる」という目安を指導していたが、これはぜひ、取り入れてほしい習慣だと思う。

 大体、食べ過ぎる時というのは、だらだら漠然と、味わうことなく食べている時が多くて、それこそふと気が付いた時には「なかったことにしたい」と思うぐらい食べているものだ。

 ケーキを食べる時も、ラーメンを食べる時も、集中してきちんと味わって食べればいいし、美味しかったらたくさん食べる時があってもいい。ただ、その時の「要求に適ったもの」が一番おいしい!ということを知ってほしい。

 ただ、調子に乗って食べてしまうこともあるから、自信のない時は、甘いものには飲み物(お茶・コーヒー・水)、味噌汁やスープなど、水分を用意するといい。

 二度寝と食べ過ぎの問題は、成育歴など潜在意識とも深く関わっていて、説明し出すときりがないのだけれど、身体感覚に注意を集めることと、「充ちる(知足)」という快感がものさしになっていくことが大切だと思う。

 

地に足がつく

重心と身体の安定性

 先日、故・柳田利昭(整体協会体癖調査室)・ 浅見高明(筑波大学 体育科学系)両氏による、「活元運動による体重配分の変化」(人体科学 1992)という論文のPDFをGoogle検索で偶然見つけた。

 体量配分計の権威、柳田先生の後継者という方も、きっと整体協会にはいると思うが、私はこの数値表の見方すら分からない。でも、エッジな分野だったから、私の先生は若い頃、勉強していたようだ。

 この論文はざっくり言うと、「活元運動後、動作がしやすくなめらかになって、体が一つにまとまり安定するという身体感覚を多くの人が持つ。それは活元運動によって重心の偏りが正され足の着地が安定することによるもので、それを配分計で計測して確かめる」という内容だった(と思うが、ざっくり言い過ぎかな?論文を参照のこと)。

 この論文の前段に、野口晴哉先生がなぜ体量配分計を考えたかについての記述があって、それが興味深かった。ちょっと長いが引用してみよう。

野口晴哉は 、人間の身体の体重感覚について 、意欲に満ちて気力十分なときは自分の体が素直に動き、且つ軽い実感があるのに 、疲労し無気力になると体がだるく重く鈍重な感じがあるが、物質としての体重には殆ど変化がないにもかかわらず身体感覚がこのように変化するのは、どのような運動相違によってもたらされているのかという疑問をもった。

この体重感覚の変化を数量化する目的で 、立位姿勢時に足底にかかる体重を六分割して計測した。そして立位生活の姿勢や動作を9種類に分類し、それらの姿勢動作における体重配分値の変化を通して身体感覚を考察する測定様式を確立した 。

  「意欲がある時は軽く感じる」「無気力になると重く感じる」。物質としての体重変化はないのに身体感覚が変化するのはなぜか?こういう疑問からあの大がかりな機械ができて、体癖研究に応用されていったのか・・・。すごい執念だなあと思う。

 また、それが物理的な重心の安定と深く関わっているということが数値化され、実証されたというのは面白いと思う。

 整うと、物理的重心と自身の身体感覚的中心が一致するという話は、私の先生からも聞いたことがあった。無気力な時は、体の偏りで重心が動いて不安定になっていて、安定感がなく動きにくいから体が重く感じるのだろう。

「地に足がつく」と言うが、整うとその通りになって体が安定する。

 丹田に重心が下りていると自然と下腹で呼吸するようになる。「偏り疲労」などと言う時の「偏り」という言葉も本来「重心」を踏まえて使われている。

 しかし、本来あるべき「重心」も、現在、自分の重心がどのような状態なのかも捉えられない人が増えているのが、現代的傾向と言えるだろう。重心なんていうことを感じたこともないかもしれない。

 私の祖父の世代(明治生まれ)は、相撲などを観ている時「あれは腰が高いからだめだ、負ける」などと、土俵入りした力士を見て言ったものだった。小さかった私はその通りになるのを感心して見ていたものだった。

「腰が高い」というのは、足が長くて腰骨の位置が高いということよりも、重心がきちんとしていないので、「はっけよい」の時、ちゃんと腰が下がらない(腰に力が入らない)、という意味だ。気合負けしているのか、不安定だから負けるのかはその時によるだろう。

 重心が動く、ずれる、上がる、下がる・・・というのは整体では大事なことで、野口先生は「重心のずれ」が体癖になるという説明をしている文章を読んだことがある(戦後間もない時代)。

 その身体内部感覚が日本人から失われている現代、体量配分計はもっと活用できるかもしれない(今ならもっと簡単に、コンパクトに作れるのかな・・・)。

(註)体量配分計の詳細については『整体入門』(野口晴哉 筑摩書房)等を参照。

 

身体の声を聞く

身体の声を聞く

 少し前に、青山のブッククラブ回に行ったことを最後にちょっとだけ書いた。この書店では、たしか先月ぐらいまで「BOOK CLUB KAI NEWSLETTER」を年に数回発行していて、さまざまな人のインタビューが載っていた。

 残念ながら今はもう発行していないのだけれど、2005年春のニューズレターに、首藤康之氏(ダンサー・演技者)のインタビューがあり、その中の「身体の声を聞く」話が興味深かったので、今回、これを紹介したい。

 首藤氏はこの当時34歳(1971年生)。その前年、ピークの状態で新しい道を選び、東京バレエ団を退団した。首藤氏は「バレエダンサーというのは、芸術家の中でも一番寿命が短い職業だと思います」と言う。

 役をやる上で年齢の壁がとてもあって、「若さのエナジーを発する役が多かった」首藤氏は、もうその役をやっている自分の姿を見たくなくなったのだそうだ。

 15歳で東京バレエ団に入り、第一線で活躍してきた首藤氏は、「どんな時でも身体を酷使して踊っていたという感じです」と言い、自身の精神と肉体の関係について次のように語っている。

・・・怪我をしていて歩けなくても、普段の生活がままならなくても、舞台に一歩踏み出すと、精神が肉体を支配して、何でも可能にしてくれると思っていたんです。あまり身体の声を聞かなかった。

・・・ところが2002年に、本番中、舞台上でじん帯を切ってしまった。それでも僕は舞台上にいるので動く事は可能だと思ったんですね。 精神が肉体を支配して全てを為してくれると。

 でもその時は、仁王立ちになったまま、何もできなくなってしまった。その時にはじめて精神と肉体のバランスが崩れてしまったのに気づきました。それから肉体の声を聞くようになったんです。

それまではずっと、黙って踊れという感じで、僕自身が肉体、身体を尊重しようとしなかったんです。

・・・その怪我で肉体の声を聞くようになって、それから僕自身が僕の身体の事を一番に考えるようになりました。

 首藤氏のように限界まで体を使う人は、20代から30代への体の変化をひしひしと感じるのだろうが、普通の人は体の変化をそこまで感じないで過ぎてしまうかもしれない。

 しかし、心理的な変化がかなりあって、年齢を意識し始めることは共有できるのではないかと思う。私もその頃「これまでと同じ自分では嫌だ」と感じ、20代の終わりに整体を始めた。

 引用文中に「精神が肉体を支配して全てを為してくれる」という言葉がある。近代的な心身観はこのような状態を理想としてきたが、これは本当に若い時の心身(27歳ぐらいまで)と言えるだろう。

  また、首藤氏は自分と身体の関係を男女関係に喩え、同様に「危機とかそういうものが僕と僕の身体にも訪れる」と言っているのが面白かった。

 その後の2004年、首藤氏は退団し、バレエとは違う表現にも挑戦する演技者となった。

 私は特に、首藤氏が肉体、身体というニュアンスの違いを感じながら言葉を選んでいることに興味を持った。首藤氏は精神が支配しようとしている体を肉体と言い、体の主体性を認めて「声を聞く」時は身体と言っている。

 よく、「年を取ると体が思うようにならなくなる」と言う。そういう自分に苛立ち、落ち込む人もいる。体調を崩した時も、そのように感じることはあるだろう。

 しかしそういう時、頭が体を支配し、思いどおりにしようとすることから離れ、身体の声を聞くことで、これまでの身体に対する向き合い方の粗さ、あるいは意欲を失っていることに気づくことがある。

 そして、これまでとは違う要求や方向性が体から湧いてくるのを感じとることもできるのだ。

 そして整体をやっていく上で、身体の声を聞くことで、心の成熟がうながされるということは、大切にしていきたいことだと思う。当時の首藤氏が日本人の精神性を大事にしたいと言っているのも興味深かった。

 この号では「年令の声を聴く」という特集で、誕生(これは野口晴哉『誕生前後の生活』だった)から円熟期まで、各年代をテーマにした本の紹介をしていて、成熟していくことと、身体の声を聞くことは一つなんだな・・・と改めて思った。

 

全生

 野口整体の「生と死」

 整体の先生が亡くなって、七カ月と二週間近くが経った。ただ、先生が死の方向を向いたのを感じてからは一年二カ月が経ったことになる。

 私は先生が亡くなった後、本当は整体から少し離れたかったのだと思う。「あの時、なぜこうしなかったのか」という後悔や、「こうしていれば、あるいは・・・」という思いがあって、それから逃げたかった。自分と整体が、統合性を失っていたのだ(平均化訓練に行ったのも、そういう事情が大きかった)。

 それに、先生が亡くなった時の経緯もあって、自分が先生なしに整体というものをやっていけるのかどうか分からなくなっていた。それでも、自分のこれまでやってきたことを否定したくはなく、整体から離れてしまうことはできなかった。

 そしてもう一つ、私の中に「なぜ」という思いが残った大きな理由がある。それは、先生がICUに入ってからのことだ。

 私は医師との輸血をするかしないか、死後解剖をするかどうかという話の後、先生の所に行った。

 すると先生は、右肺の拡張が悪い時にとる姿勢(寝相というべきか)を取っていたのだった(この姿勢によって弛緩する)。その時撮ったレントゲンでは、先生は右肺がほとんど機能しなくなっていた。

 その姿勢は一見して、ぐっすり寝ているという感じには見えないので、そこにいたもう一人の弟子は「姿勢が大変なのではないか」と言った。私はとっさに「私達には動かせないから」とごまかした。

 それは自然治癒力の顕れだ。内心の驚きは言葉にならないほどだった。もしかしたら、という思いがよぎった。

 しかし、夜が明ける前に先生は亡くなったのだった。

 私の中には「先生は死を選んだのではないか」という思いが残った。それが整体からちょっと離れたい、という気持ちの奥にあったが、言葉にならない思いとなって沈んだまま、しかしいつも付きまとって離れなかった。

 それが今日、ふと「先生は、あのまま病院で治療を受けてこの状態を脱しても、今後、個人指導をすることはできないと悟って死んだのだ」と思った。

 最近、「世の中の人は癌で死ぬと思っているが、そうではない」という話をして下さった整体指導者の方がいた。医学的には生きている状態であっても、先生にとって個人指導ができなくなることは「死」だったのだ。

「このためなら死ねる、というもので全力発揮することが全生だ」という先生の言葉が、私の古いノートに残っている。先生のような人は今どきめずらしいのかもしれない。しかし、生きること、死ぬことを科学的な基準で一括りに決めてしまうことはできない、と心から思う。

 先生の野口整体は、野口先生が言っていることを、当てはめたり応用したりすることではなく、野口先生が説くことが体の摂理・自然の秩序としてあることを、見出し実現していくことだった。そして今、やっと私は「先生は全生したのだ」という確信がもてるようになった。

「なぜ」が引っかかり、今日まできてしまった私の体癖、そして命がけでやる先生の体癖は、やっぱり九種なのだろう。

 

全生

生きているということは死に向かって走っている車の如きもので、その目的に到着することが早いのがよいのか、遅いのがよいのか判らない。しかしともかく進み続けていることは確かである。

一日生きたということは、一日死んだということになる。

未だ死ななかった人は全くいなかったということだけは確かであるが、その生の一瞬を死に向けるか生に向けるかといえば、生きている限り生に向かうことが正しい。生の一瞬を死に向ければ、人は息しながら、毎秒毎に死んでいることになる。

生に向けるとは何か、死に向けるとは何か、この解明こそ全生のあげて為すことである。

 

潑剌と生くる者にのみ深い眠りがある。

生ききった者にだけ安らかな死がある。

野口晴哉『偶感集』全生社)

 

 

観察―見る・触る

 整体の観察の中では、感覚が重要な役割を持っている。外界を捉える五感(外界感覚)、そして平衡感覚、運動感覚などの自分の内側の状態を捉える身体感覚。その中で「見る」と「触れる」について書いてみようと思う。
 見るというと、スマホなどを「見る」という時と「観る」という時があるが、やっぱり整体の観察では「観る」だと思う。これは表面を眺めているのではなく、相手の内側の動きを観るというか、「気」を観ているからだろう。
 見るは一方的かつ客観的に見ることができるが、「観る」は自分を開き、相手とつながりのある状態でなければできない。
 では「触る」はどうかというと、ものとして「触れる」のと、生きているものを「触れる」のとでは触れ方も感じる内容も違う。
 しかし「見る」と「観る」の違いというのとはまた異なる。「触れる」ということは、そのつもりがなくても無意識に「つながって」しまうところがあるのだ。
 整体の観察を学び始めた時、私は、「観る」は最初から得意なほうだった。しかしある時、先生から「眼に頼りすぎている」と注意された。先生は、眼と手では捉えることが違うのだと言った。
 私は眼で捉えたことを過信しすぎていたのだと思う。観たことは触れて確かめなければならない。そして、触れて確かに感じ取ることができたその後、初めて「どうすればいいか」が、ふっとお腹の底の方から浮いてくるのだ。
 眼だけでは、往々にして良くないところが見えるだけで、悪いところを表面的に対処するような感じになる。曲ったものをちょいと真直ぐにしようとするような感じだ。
 でも触覚は、次の手まで分かるし、相手とのつながりが深くなり、感じることが変わって理解が深まる。心を感じることができる。
「観る」ことにも愉気は含まれていて、気で観るものなのだが、触れることでの自分と相手のつながり方の変化、捉える内容の変化は愉気の質を変える。
 今思うと、先生は、眼で観ると同時に手で「看る」ということ、両方あって「観察」だ、という意味だったのだと思う。
 私にはもともとさわり魔の傾向はあったのだが、それでもやはり眼に頼ってしまったのは、相手に注意の集めるということに、腰が入っていなかったからだと思う。
 今は、「触れる」のであれば、私は確実に腰が入るし、集中力の次元が変わるようになった。それは私の感じることで捉える世界を確実に変えた。
 こういうことが、愉気がある、ないということなのだ。これは、直接先生から弟子へ、体から体へ、「無心」の心と一緒に伝えなければ伝わらないことなのだと思う。懐かしく、思い出される。

平均化訓練講座 二回目―体の記憶

体の記憶

 平均化体操の会から今の方式になって二回目の参加で、だんだん先生の様子(体癖も!)も見えてきて、慣れてきたような気がした。

 そして今回、怪我をして以来、無意識に動かそうとしていなかったところが動いたことを書いておこうと思う。ちょっと潜在意識的な内容なので、あくまで私の「主観」によるものだということをはっきりさせておきたい。

 一昨年の暮れ頃、丁度「先生がこのままでは死んでしまう」と思って不安に陥っていた頃、実は怪我をした。ある人とぶつかった弾みで倒れてしまったのだ。

 そのまま右膝を毀し、体重がかかると痛みで力が入らず、体が倒れてしまうようになった。

 骨には異状なく、先生に愉気をする必要もあって、次の日には正坐ができるようになり、3日目には倒れることも無くなった。

 4・5日後には足を引きずらないで歩けるようになったが違和感は残り、疲れると膝に痛みが出るようになった。もともと左重心で、左に偏よらせて動く習性はあるが、右の腰から足にかけて可動性が悪くなったことで、左偏りも強くなってしまった。

 私は内心、以前とは違った身体になってしまったような気がして、「治るかな・・・」と気にしていた。もちろん、自分で愉気操法もしたし、良くなりつつあったが、抜けきることができなかったのだ。

 しかし10日前、活元運動の途中で、立った際、無意識に倒れた時の体勢と倒れ方を再現していた。

 これはやろうと思ったのではなく、無意識にやってしまったのだが、その時の不自然に右腰と左を捻ってしまった動きと、びっくりを思い出し、その後、膝の痛みがはっきり戻ってきた。奥に入っていたものが出てきたような感じだ。

 私はこれで治る、と直感し、その後、右足の親指が時々攣るようになった。腰が動いてきたのだ。

 そして今回、平均化訓練講座の後半に入ってから、これまでより「力を入れる」ことに注意を向けてみた。自分がすぐに動きを手放してしまうことに気づいたからだ。前回書いた捻れ型八種のように(?)粘り強く追うことにした。

 すると、右の腰、膝、足首、足の親指とへと力が入り、動きの感覚がはっきりしてきた。すると、できないと思っていた動きを自然にやっていた。

 その後、立って歩いてみると、以前のように腰を落とした阿波踊りのような歩き方ができた。重心が中心に決まる感じが戻ってきたのだ(先生には失礼だが、こんなにすごいと思ったのは、正直、今日が初めてだと思う・・・)。

 講座の後、私はちょっと坐って休むことにし、今日のことを思い返してみた。そして、倒れて怪我をした時もだが、右足にちょっと体重がかかると体が横になるぐらい倒れてしまった時のショックと恐怖が大きいことに思い当たった。

 その時の恐怖で、実際の可動性よりも無意識に「動かなくなって」しまっていたのだ。足がすくんでしまったように。

 スポーツ選手などでも、大けがの後、恐怖で動きが小さくなって、スランプになる人がいる。小さなことだけれど、それに近いものだと思う。

 今、下体全体に軽い筋肉痛があり、右膝外側が少し痛いけれど、痛い=動かないという結びつきが切れたのがはっきりしている。そのうち痛みもなくなるような気がする。

 こういうのを整体では「体の記憶」という。脳だけではなく体も記憶していて、潜在意識化した記憶が症状を再現してしまうということだが、体に変化を起こすのは、記憶にまとわりついた恐怖、怒りなどの情動(感情)だ。

 当時の不安定な自分の心理状態が、嫌になる位思い出された。

 私の整体の先生の真骨頂は、潜在意識にあるものを日に当てて、体に対する支配力をなくすことだったが、こういう「治る体験」が一番潜在意識についての勉強になる。でも、まだまだだな・・・と反省した。

 講座の後、青山一丁目で降りて「ブッククラブ回」に寄った。ブッククラブ回は整体指導者だった方(故人)が始めた書店で、いろいろと懐かしかった。

 全生社の本も取り扱っていて、選書には定評があるので、心理学や精神世界、宗教、身体技法、自然療法などに興味のある方は足を運んでみてほしい。