身体の声を聞く
少し前に、青山のブッククラブ回に行ったことを最後にちょっとだけ書いた。この書店では、たしか先月ぐらいまで「BOOK CLUB KAI NEWSLETTER」を年に数回発行していて、さまざまな人のインタビューが載っていた。
残念ながら今はもう発行していないのだけれど、2005年春のニューズレターに、首藤康之氏(ダンサー・演技者)のインタビューがあり、その中の「身体の声を聞く」話が興味深かったので、今回、これを紹介したい。
首藤氏はこの当時34歳(1971年生)。その前年、ピークの状態で新しい道を選び、東京バレエ団を退団した。首藤氏は「バレエダンサーというのは、芸術家の中でも一番寿命が短い職業だと思います」と言う。
役をやる上で年齢の壁がとてもあって、「若さのエナジーを発する役が多かった」首藤氏は、もうその役をやっている自分の姿を見たくなくなったのだそうだ。
15歳で東京バレエ団に入り、第一線で活躍してきた首藤氏は、「どんな時でも身体を酷使して踊っていたという感じです」と言い、自身の精神と肉体の関係について次のように語っている。
・・・怪我をしていて歩けなくても、普段の生活がままならなくても、舞台に一歩踏み出すと、精神が肉体を支配して、何でも可能にしてくれると思っていたんです。あまり身体の声を聞かなかった。
・・・ところが2002年に、本番中、舞台上でじん帯を切ってしまった。それでも僕は舞台上にいるので動く事は可能だと思ったんですね。 精神が肉体を支配して全てを為してくれると。
でもその時は、仁王立ちになったまま、何もできなくなってしまった。その時にはじめて精神と肉体のバランスが崩れてしまったのに気づきました。それから肉体の声を聞くようになったんです。
それまではずっと、黙って踊れという感じで、僕自身が肉体、身体を尊重しようとしなかったんです。
・・・その怪我で肉体の声を聞くようになって、それから僕自身が僕の身体の事を一番に考えるようになりました。
首藤氏のように限界まで体を使う人は、20代から30代への体の変化をひしひしと感じるのだろうが、普通の人は体の変化をそこまで感じないで過ぎてしまうかもしれない。
しかし、心理的な変化がかなりあって、年齢を意識し始めることは共有できるのではないかと思う。私もその頃「これまでと同じ自分では嫌だ」と感じ、20代の終わりに整体を始めた。
引用文中に「精神が肉体を支配して全てを為してくれる」という言葉がある。近代的な心身観はこのような状態を理想としてきたが、これは本当に若い時の心身(27歳ぐらいまで)と言えるだろう。
また、首藤氏は自分と身体の関係を男女関係に喩え、同様に「危機とかそういうものが僕と僕の身体にも訪れる」と言っているのが面白かった。
その後の2004年、首藤氏は退団し、バレエとは違う表現にも挑戦する演技者となった。
私は特に、首藤氏が肉体、身体というニュアンスの違いを感じながら言葉を選んでいることに興味を持った。首藤氏は精神が支配しようとしている体を肉体と言い、体の主体性を認めて「声を聞く」時は身体と言っている。
よく、「年を取ると体が思うようにならなくなる」と言う。そういう自分に苛立ち、落ち込む人もいる。体調を崩した時も、そのように感じることはあるだろう。
しかしそういう時、頭が体を支配し、思いどおりにしようとすることから離れ、身体の声を聞くことで、これまでの身体に対する向き合い方の粗さ、あるいは意欲を失っていることに気づくことがある。
そして、これまでとは違う要求や方向性が体から湧いてくるのを感じとることもできるのだ。
そして整体をやっていく上で、身体の声を聞くことで、心の成熟がうながされるということは、大切にしていきたいことだと思う。当時の首藤氏が日本人の精神性を大事にしたいと言っているのも興味深かった。
この号では「年令の声を聴く」という特集で、誕生(これは野口晴哉『誕生前後の生活』だった)から円熟期まで、各年代をテーマにした本の紹介をしていて、成熟していくことと、身体の声を聞くことは一つなんだな・・・と改めて思った。