アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

全生

 野口整体の「生と死」

 整体の先生が亡くなって、七カ月と二週間近くが経った。ただ、先生が死の方向を向いたのを感じてからは一年二カ月が経ったことになる。

 私は先生が亡くなった後、本当は整体から少し離れたかったのだと思う。「あの時、なぜこうしなかったのか」という後悔や、「こうしていれば、あるいは・・・」という思いがあって、それから逃げたかった。自分と整体が、統合性を失っていたのだ(平均化訓練に行ったのも、そういう事情が大きかった)。

 それに、先生が亡くなった時の経緯もあって、自分が先生なしに整体というものをやっていけるのかどうか分からなくなっていた。それでも、自分のこれまでやってきたことを否定したくはなく、整体から離れてしまうことはできなかった。

 そしてもう一つ、私の中に「なぜ」という思いが残った大きな理由がある。それは、先生がICUに入ってからのことだ。

 私は医師との輸血をするかしないか、死後解剖をするかどうかという話の後、先生の所に行った。

 すると先生は、右肺の拡張が悪い時にとる姿勢(寝相というべきか)を取っていたのだった(この姿勢によって弛緩する)。その時撮ったレントゲンでは、先生は右肺がほとんど機能しなくなっていた。

 その姿勢は一見して、ぐっすり寝ているという感じには見えないので、そこにいたもう一人の弟子は「姿勢が大変なのではないか」と言った。私はとっさに「私達には動かせないから」とごまかした。

 それは自然治癒力の顕れだ。内心の驚きは言葉にならないほどだった。もしかしたら、という思いがよぎった。

 しかし、夜が明ける前に先生は亡くなったのだった。

 私の中には「先生は死を選んだのではないか」という思いが残った。それが整体からちょっと離れたい、という気持ちの奥にあったが、言葉にならない思いとなって沈んだまま、しかしいつも付きまとって離れなかった。

 それが今日、ふと「先生は、あのまま病院で治療を受けてこの状態を脱しても、今後、個人指導をすることはできないと悟って死んだのだ」と思った。

 最近、「世の中の人は癌で死ぬと思っているが、そうではない」という話をして下さった整体指導者の方がいた。医学的には生きている状態であっても、先生にとって個人指導ができなくなることは「死」だったのだ。

「このためなら死ねる、というもので全力発揮することが全生だ」という先生の言葉が、私の古いノートに残っている。先生のような人は今どきめずらしいのかもしれない。しかし、生きること、死ぬことを科学的な基準で一括りに決めてしまうことはできない、と心から思う。

 先生の野口整体は、野口先生が言っていることを、当てはめたり応用したりすることではなく、野口先生が説くことが体の摂理・自然の秩序としてあることを、見出し実現していくことだった。そして今、やっと私は「先生は全生したのだ」という確信がもてるようになった。

「なぜ」が引っかかり、今日まできてしまった私の体癖、そして命がけでやる先生の体癖は、やっぱり九種なのだろう。

 

全生

生きているということは死に向かって走っている車の如きもので、その目的に到着することが早いのがよいのか、遅いのがよいのか判らない。しかしともかく進み続けていることは確かである。

一日生きたということは、一日死んだということになる。

未だ死ななかった人は全くいなかったということだけは確かであるが、その生の一瞬を死に向けるか生に向けるかといえば、生きている限り生に向かうことが正しい。生の一瞬を死に向ければ、人は息しながら、毎秒毎に死んでいることになる。

生に向けるとは何か、死に向けるとは何か、この解明こそ全生のあげて為すことである。

 

潑剌と生くる者にのみ深い眠りがある。

生ききった者にだけ安らかな死がある。

野口晴哉『偶感集』全生社)

 

 

観察―見る・触る

 整体の観察の中では、感覚が重要な役割を持っている。外界を捉える五感(外界感覚)、そして平衡感覚、運動感覚などの自分の内側の状態を捉える身体感覚。その中で「見る」と「触れる」について書いてみようと思う。
 見るというと、スマホなどを「見る」という時と「観る」という時があるが、やっぱり整体の観察では「観る」だと思う。これは表面を眺めているのではなく、相手の内側の動きを観るというか、「気」を観ているからだろう。
 見るは一方的かつ客観的に見ることができるが、「観る」は自分を開き、相手とつながりのある状態でなければできない。
 では「触る」はどうかというと、ものとして「触れる」のと、生きているものを「触れる」のとでは触れ方も感じる内容も違う。
 しかし「見る」と「観る」の違いというのとはまた異なる。「触れる」ということは、そのつもりがなくても無意識に「つながって」しまうところがあるのだ。
 整体の観察を学び始めた時、私は、「観る」は最初から得意なほうだった。しかしある時、先生から「眼に頼りすぎている」と注意された。先生は、眼と手では捉えることが違うのだと言った。
 私は眼で捉えたことを過信しすぎていたのだと思う。観たことは触れて確かめなければならない。そして、触れて確かに感じ取ることができたその後、初めて「どうすればいいか」が、ふっとお腹の底の方から浮いてくるのだ。
 眼だけでは、往々にして良くないところが見えるだけで、悪いところを表面的に対処するような感じになる。曲ったものをちょいと真直ぐにしようとするような感じだ。
 でも触覚は、次の手まで分かるし、相手とのつながりが深くなり、感じることが変わって理解が深まる。心を感じることができる。
「観る」ことにも愉気は含まれていて、気で観るものなのだが、触れることでの自分と相手のつながり方の変化、捉える内容の変化は愉気の質を変える。
 今思うと、先生は、眼で観ると同時に手で「看る」ということ、両方あって「観察」だ、という意味だったのだと思う。
 私にはもともとさわり魔の傾向はあったのだが、それでもやはり眼に頼ってしまったのは、相手に注意の集めるということに、腰が入っていなかったからだと思う。
 今は、「触れる」のであれば、私は確実に腰が入るし、集中力の次元が変わるようになった。それは私の感じることで捉える世界を確実に変えた。
 こういうことが、愉気がある、ないということなのだ。これは、直接先生から弟子へ、体から体へ、「無心」の心と一緒に伝えなければ伝わらないことなのだと思う。懐かしく、思い出される。

平均化訓練講座 二回目―体の記憶

体の記憶

 平均化体操の会から今の方式になって二回目の参加で、だんだん先生の様子(体癖も!)も見えてきて、慣れてきたような気がした。

 そして今回、怪我をして以来、無意識に動かそうとしていなかったところが動いたことを書いておこうと思う。ちょっと潜在意識的な内容なので、あくまで私の「主観」によるものだということをはっきりさせておきたい。

 一昨年の暮れ頃、丁度「先生がこのままでは死んでしまう」と思って不安に陥っていた頃、実は怪我をした。ある人とぶつかった弾みで倒れてしまったのだ。

 そのまま右膝を毀し、体重がかかると痛みで力が入らず、体が倒れてしまうようになった。

 骨には異状なく、先生に愉気をする必要もあって、次の日には正坐ができるようになり、3日目には倒れることも無くなった。

 4・5日後には足を引きずらないで歩けるようになったが違和感は残り、疲れると膝に痛みが出るようになった。もともと左重心で、左に偏よらせて動く習性はあるが、右の腰から足にかけて可動性が悪くなったことで、左偏りも強くなってしまった。

 私は内心、以前とは違った身体になってしまったような気がして、「治るかな・・・」と気にしていた。もちろん、自分で愉気操法もしたし、良くなりつつあったが、抜けきることができなかったのだ。

 しかし10日前、活元運動の途中で、立った際、無意識に倒れた時の体勢と倒れ方を再現していた。

 これはやろうと思ったのではなく、無意識にやってしまったのだが、その時の不自然に右腰と左を捻ってしまった動きと、びっくりを思い出し、その後、膝の痛みがはっきり戻ってきた。奥に入っていたものが出てきたような感じだ。

 私はこれで治る、と直感し、その後、右足の親指が時々攣るようになった。腰が動いてきたのだ。

 そして今回、平均化訓練講座の後半に入ってから、これまでより「力を入れる」ことに注意を向けてみた。自分がすぐに動きを手放してしまうことに気づいたからだ。前回書いた捻れ型八種のように(?)粘り強く追うことにした。

 すると、右の腰、膝、足首、足の親指とへと力が入り、動きの感覚がはっきりしてきた。すると、できないと思っていた動きを自然にやっていた。

 その後、立って歩いてみると、以前のように腰を落とした阿波踊りのような歩き方ができた。重心が中心に決まる感じが戻ってきたのだ(先生には失礼だが、こんなにすごいと思ったのは、正直、今日が初めてだと思う・・・)。

 講座の後、私はちょっと坐って休むことにし、今日のことを思い返してみた。そして、倒れて怪我をした時もだが、右足にちょっと体重がかかると体が横になるぐらい倒れてしまった時のショックと恐怖が大きいことに思い当たった。

 その時の恐怖で、実際の可動性よりも無意識に「動かなくなって」しまっていたのだ。足がすくんでしまったように。

 スポーツ選手などでも、大けがの後、恐怖で動きが小さくなって、スランプになる人がいる。小さなことだけれど、それに近いものだと思う。

 今、下体全体に軽い筋肉痛があり、右膝外側が少し痛いけれど、痛い=動かないという結びつきが切れたのがはっきりしている。そのうち痛みもなくなるような気がする。

 こういうのを整体では「体の記憶」という。脳だけではなく体も記憶していて、潜在意識化した記憶が症状を再現してしまうということだが、体に変化を起こすのは、記憶にまとわりついた恐怖、怒りなどの情動(感情)だ。

 当時の不安定な自分の心理状態が、嫌になる位思い出された。

 私の整体の先生の真骨頂は、潜在意識にあるものを日に当てて、体に対する支配力をなくすことだったが、こういう「治る体験」が一番潜在意識についての勉強になる。でも、まだまだだな・・・と反省した。

 講座の後、青山一丁目で降りて「ブッククラブ回」に寄った。ブッククラブ回は整体指導者だった方(故人)が始めた書店で、いろいろと懐かしかった。

 全生社の本も取り扱っていて、選書には定評があるので、心理学や精神世界、宗教、身体技法、自然療法などに興味のある方は足を運んでみてほしい。

 

他愛のない体癖の話ー捻れ型・八種の心と体

捻れ型体癖

 今回は思い切って、体癖の一つ、捻れ型について書いてみようと思う。なぜ「思い切って」なのかというと、捻れ型のある人は捻れ型と言われると怒る人が多いので、それを怖れているからである(野口先生も「言えない体癖」などと言っている!でもご自身にもある)。

 印鑑を押したり、署名をしたりする時につい体を捻ってしまう癖があって、骨が太く、関節が大きい傾向があり、頻尿か排尿不調のどちらかの傾向がある、汗っかき、胴が太い。

 また、衝動的に行動し、やりすぎてしまう、頑張り屋または我慢強い、風邪を引くと最初に喉が痛くなる、帯状疱疹になったことがある・・・という人は、捻れ型があるかもしれない。

 捻れ型というと「勝ち負けにこだわる(関心が強い)」というのが特徴なのだが、七種は勝気で、一番になりたがるし、八種は負けん気で、二番手以下のほうが安定する。

 七種は挑戦し、八種は自分を守るために戦おうとして気張っているという言い方もできるかと思う(ブログ、匿名で良かった・・・)。

八種について

 私は七種というのは理解できるし、付き合いやすい人は七種が多かったが、八種というのは理解しにくいし苦手な感じがあった。八種の人には「負けたくない」特定の人がいて、その「特定の人」に自分がはまってしまうとすごく大変なのだ。

 でも、私が観ている人で一番付き合いの長い人は八種体癖が強いし、周囲に八種は多く、苦労したので研究もした!前置きが長くなったが八種について書いてみたい。

 八種の人は「言葉」が出にくい(口が重い、発話が苦手)ことを気にしている場合が意 外とある。

 本来、捻れ型は声が大きくていい声の人も多く、歌手は捻れ型が多いのだけれど、体調を崩すと声そのものが出にくくなるようだ。こういう時は気の鬱散がつかないで、停滞していたり内向していたりする。

 その内実はほとんどが感情で、多くは「悔しい」「負けた」という感情が内にこもってしまうのだ。

 しかも必要以上に、または我慢すべきでないことまで我慢してしまう癖(我慢強いのが良い面に発揮される場合もある)があって、自分の感情が良く分からなくなってしまう(でも他人には「不貞腐れている」表情として見える)。

そして、次第に言葉の聴き取り(耳の働き)がしにくくなったり、大きな音・声に過敏 になったりする。

 こういう時、八種のある人は「水を飲まない(飲めない)」ようになり、「汗も出にくく」なり、「おしっこも出にくく」なるし、顔などもむくみっぽくなる。

 しかし整うと水の流れ(排水)も言葉の流れも良くなり、水も音もスムースに入ってくる。特に大切なのは「汗」で、八種の発汗は「言葉の出方」にまで及ぶと私の整体の先生は言っていた。

 七種のある人も体調を崩すと八種的になってくることが多いので、思い当たる人はいるかもしれない。

 八種の有名人は意外と多く、柔道の井上康生氏などがいる。東洋的な武道、野球の守備的ポジションをやる人は捻れ型八種のある人が多い。

 八種の良い面は「続ける力(腰)」を鍛えることで引き出される。何かをやる時も、七種の人は負けが見えると投げ出すが、八種は粘りづよい。また人間関係において、八種の人は関係を「切る」ということがあまりないと思う。

 体癖は整っていない時、またその人の自然が歪められるような成育歴、または生活があると体癖は悪い面として出てきやすい。

また、体癖的特徴を「欠点」と感じている人も多く、捻れ型の人ほど「勝ち負けにこだわるのは良くない」と思っていたりする。体癖だからそのままでいいのではないし、良い体癖・悪い体癖というのもない。「体癖習性」のために体癖を理解する、というのが本当ではないかと思う。

体癖修正については、またいずれ。

野口整体のこれからを考えてみた

整体を伝えていくために必要なこと

 最近、いろんな人のいろんな話(あんまり詳しく言えないけれど)を聴く機会があった。それによると、野口整体は、今、岐路に立っているという。

 野口先生の説く行法を行うことが「整体」であって、整体とは何かは野口先生が定義するという時代があった。その後、私の先生のような直弟子の世代を経て、これから整体をどう伝えていくかが課題となっているようだ。

 しかし、文化財のように「遺す」とか「絶やさない」とか、「保存」しようというような発想では伝わらないのが整体の難しいところなのだろう。

実践する人と、伝えていく側の両方が、生きていく上でどのぐらい「必要性」と「大切さ」を感じているのかが問われているのだと思う。

 私の整体の先生は、生い立ちにも恵まれず、体も十分ではなく、感情が凝固する傾向があって「若い頃は気が散りやすいことに苦しんだ」と言っていた。

 心にも体にも問題があって、生き難さを抱えた先生が、整体指導を仕事にしていくためにはそれを乗り越える必要があり、自分に対する技術、行法として整体に取り組んだのだった。

 そういう先生が、最初に野口晴哉先生に評価されたのは「思想面の理解」においてだったと聞いている。人間観、病症観、といった整体のものの観方、価値観、美意識といったことだが、野口先生の説く思想面に関心を持つ人は当時少なかったという。操法、治し方、対処法、愉気や活元運動の誘導の仕方などの「方法」を求める人が多かったのだ。

 しかし、晩年の野口先生は「思想のないものは滅びる」と考えていた。私も月刊全生でそのような内容を読んだことがある(たしか月刊全生「健康に生きる心」)。様々な手技療法、健康法も思想のないものは皆廃れていくのを長年見て来たからだろう。

 先生が初等講習を受け始めて、最初に「背骨は人間の歴史である」と黒板に書かれた時の衝撃、そして講義の中での「人間か病気になるとはこういうことか!」という感動など、私は当時の話を先生から聞いたことがある。年配の人が多かった講習生の中で、まだ本当に若かった先生の新鮮な反応は、野口先生にも伝わっていたようだ。

 今でも、整体のような身体的な世界で「思想」などと言うと、「頭先行」「理屈倒れ」のように思われがちだし、実際に体(自分にも相手にも)に対する対応力がなければどうしようもなく、その方法論を学びたい人の方が多いと思う。

 そういう現実はあっても、私の先生も晩年、思想の理解を指導に来る人にも弟子にも求めるようになった。それは、野口先生が自分に期待した「整体の理念・思想の普及」に寄与したいという思いがあってのことだった。

 しかし先生は、自身の力が及ばず、その信義を果たせないという失望で病となった側面がある。先生は亡くなる五日前まで指導をやりぬいたが、それは亡くなった後、野口先生の面前で恥じることのない自分であろうとしたからだと思う。

 最晩年、先生は、自分が生きる上で「整体」はどういう意味があって、どれほどの必要性、重要性があるかを、弟子に考えさせ、文章を書かせた。それは晩年、先生自身が取り組んできたことそのものだった。

 先生はそこに、整体が命をつなぐ道があると考えていたのだ。そして私も今、本当にそうだと思っている。そして、行法に意味と目的を付与する思想は、野口整体野口整体であるために、必要不可欠なものだと思う。

 

骨格筋の生理と心理 2

意識運動と無意識運動

 2月12日はダーウィンの誕生日で、Bingのトップページがダーウィンフィンチとガラパゴスゾウガメの写真だった。アルダブラゾウガメは親戚にあたるので、何となくうれしい。

 

 ところで前回(1)の、野口先生の引用文からも分かるように、整体では意識と無意識を体運動(運動系だけではなく生命活動全体)に即して捉えている(意識運動=意識、無意識運動=無意識)。

 整体で「生活の中心」としていく要求・意欲・自発性・主体性(一言で言えば元気)・・・というのは無意識から意識へと浮かび上がって体に顕れてくるものだ。

 だから活元運動では「錐体路系という一種のブレーキ」を弛めることによって運動系の無意識運動がはたらきやすくなるようにする。

 そのために頭がぽかんとする必要があるし、最初にある程度緊張を弛める必要がある。無意識運動が闊達に、素直に外に出ることが大切なのだが、随意筋がその発露を抑えてしまうことがあり、そこには心理的要因(潜在意識)が大きく関わっている。

 以前、伝統的な自然体の立方(上体の力が抜けた状態で、腰で立つことを教える機会があり、その時、ある男性が「意識的に力を入れていないと立った姿勢を維持できないと思っていた」と話してくれたことがある。

 その人はスポーツマンで、肩や上体の筋肉はよく発達して背も高かったが、骨盤そのものが小さく硬かったのを覚えている。優しい人だが、仕事上においても生活面においても自分がどうしたいのかが分からない傾向のある人だった。無意識運動としてはへたり込みたいような状態に、意識的に力を入れて、「立たせていた」のかもしれない。

 

 今度は平均化訓練のことを考えてみよう。

 今、私は平均化訓練のユニークなところは、筋肉の「動かない(動かなくなっている)ところが浮かび上がってくる」ことにあると思っていて、そこに一番、興味を持っている。

 活元運動でも分かるのだけれど、その時の身体感覚に独特なものがあって、薄暗い全体の中で、動かない所にスポットライトを当てられるような感じだ。

 前回の会の後半で感じた胸の硬さと痛みはちょっと深くて、時間内には終わらなかったけれど、自分の体の状態を把握し、整える上で大きな助けになった。

 滞りが分散していく波(平均化ってこれのこと?)、体に自ずと力が入ったり抜けたりする運動、その後浮かび上がってくる箇所、こういうことを感じ取るのは意識だが、全身に伝わる波も、箇所を教えてくれるのも無意識のはたらきである。

 

 平均化訓練講座は若い人(ことに男性)の参加が多く、きちんと取り組んでいる様子が、いいな・・・と思う。野口晴胤先生が巨匠・野口晴哉の孫で、カリスマ視して来ているなどという様子はないし(そんな気持ち悪い会なら私は行かない)、野口整体がやや高年齢化の傾向にあることを思うと、どういうところに良さを感じているのか、聞いてみたいと思う位だ。

 野口先生は、活元運動の誘導は「人間の裡に健康を保っていく力の在ることを立証する方法の一つである」(『人間の探究』)と言う。私は初めて活元運動が出た時、自分の中に無意識というものが動いていることを体で実感し、本当に感動したものだった。

 活元運動とは違うけれど、無意識のはたらきを若い参加者が体験できるようになるためにも、平均化訓練は役立てるのではないかと思う。

 

骨格筋の生理と心理

要求と運動系

 先日、知人宅で「立ちたい要求はあるがまだ立てない赤ちゃん」に会う機会があった。その子はおすわりしたまま楽しそうに飛び跳ね、お尻が床からぽんぽん浮いていて、この運動をほとんど骨盤部(仙骨部)の力だけでやっていた(大人にはできないと思う)。

 そのように腰が自然に鍛えられる過程を経て、立てるようになるのだろう。私はその力強さに驚き、人間に「立つ」という要求が出てくる時は、まず「腰から立つ」、それが手足に連動するのだなとつくづく感心してしまった。類人猿が初めて二足で立ち上がる時も、「腰から立った」に違いない。野口晴哉先生の言う「真ん中の力」、「もう一本の足」である。

 でも、大人になってみるとどうだろう。頭で体に命令して「重い腰を上げる」ようになっていないだろうか。手でよいしょ、と体を持ち上げたりして・・・。

 野口先生の著書に、思春期の潜在意識教育についての内容をまとめた『思春期』(全生社)というのがある。整体を学び始めた時、これをよく読んだものだが、最近また読み返している。

 その中に、25歳の統合失調症(引用文中では精神分裂症。現在は使われていない病名)で入院した男性についての相談に答えた文章(月刊全生の記事)があり、随意筋についてこんな記述があった。

先入主的な偏見

私達の体は胃でも腸でも、いつも絶え間なく無意識の運動を繰り返しているのです。しかし随意筋には特殊なブレーキがついているのです。そのために随意筋は意識して動かすことが出来るのです。だからお酒を飲んで酔払うと、そのブレーキが緩んできて活元運動と同じような無意識の動作になってくる。

 随意筋には錐体路系という一種のブレーキがあって、それが運動系にゆく無意識運動を抑えているから、意識運動が出来るのです。

 欲求不満が亢まって錐体路系だけでなく、潜在している心につながるブレーキまで毀れてしまって、心の中にあるものが全部率直に出てしまうのです。・・・人間の欲求、欲望などは、ある程度抑えつけた方が安全です。だから抑えつけること自体は異状ではない。ただ抑えつけ過ぎてブレーキを毀してしまうと精神分裂症状を起こす。

 超臨床的なので誤解のないように付け加えると、今回、私が焦点を当てたいことは統合失調症ではなく、「随意筋にブレーキがついている」というところで、ここについて考えてみたい。つづく。

(註)運動系 神経系のうち、全身の運動(動作)に関わる部分のこと。運動系は、随意運動を司る錐体路と、その他の錐体外路性運動系(錐体外路系)に大きく分けられる。