アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

池上本門寺

 私がよく通る道(町田市)に「長栄稲荷」というお稲荷さんがある。聞いたことのない名前だったので調べてみたら、池上本門寺が発祥で、江戸時代はかなり流行ったお稲荷さんらしい。

 この神様は日蓮佐渡流罪になった時に翁の姿で現れ、長栄大威徳天と名乗り日蓮の守護神?になり、日蓮没後は池上本門寺の参詣者を守護するようになったそうだが(池上本門寺日蓮が亡くなった場所)、由来からはなぜ稲荷なのかが分からない。大黒天も同じお堂で祀られており、神仏習合色の強い不思議なお稲荷さんである。

 そこで、先日思い立って池上本門寺にお参りして来た。川崎大師にもあるが、池上本門寺の門前でもこねた小麦粉を一年程発酵させて作る古式くず餅(久寿餅)が有名である。私は電車の中で帰りにくず餅を食べると決め、参道を歩いて何軒かあるお店を見比べてみた。

 その中で浅野屋本舗という一番小さな店構えのお店がおいしそうな雰囲気を醸し出していたので、そこで食べてみたのだが、お、美味しい…。やはり3種の勘は鋭い、と我ながら感心した。

 匂いなどはないけれど発酵食品特有のこくがあり、蜜もくどくなくて、きな粉は香り高い。1752年創業の老舗だけある。不思議なことにくず餅を食べた後、お腹がぽかぽかと暖かかった。これもご利益のうちだろうか。豆かん(寒天+塩味の赤豌豆に黒蜜)を買って帰ったがこれも美味しかった。

 こういうことを書くと写真があればいいのにと思うのだが、私は食べ物を前にすると頭が真っ白になってしまうので、食べる前に写真を撮ることができないのが情けない。妙見坂の写真だけアップしておく。

 父方の菩提寺の話を少しすると、古代に(132年)に勧請された明神(のち宗像三女神神仏習合により宗像弁財天)を祭祀していた地に、平安時代(791)に坂上田村麻呂蝦夷討伏の途中で、都から守り本尊として携帯していた行基菩薩作の不動明王像と諏訪明神を安置したのが始まりという伝承がある。

 おそらく海の民の神を祀っていた所に仏教が習合されたということだろう。そして室町時代真言宗から日蓮宗に改宗したという。

 日蓮宗になってからも不動明王を祀るお堂と不動の滝は行場として機能しており、祖母は厚く信仰していたようだ。

 私の父と伯父(多分私の母と伯母も)は古臭い加持祈祷とか、不幸な人が頼るものという風に、あまり良く思っていなかった節がある。

 以前、鈴木大拙が生い立ちを語った文章を全集で読んだ時、大拙の母が浄土真宗の秘事法門(真宗で禁じられている自力行をする)に関わり、滝行などもやっていたと述べており、大拙は自身の宗教性の大本に母の影響があることを認めていた。

 私はそれで驚いたことがあるのだが、同時に祖母のことを思った。祖母の菩提寺日蓮宗ではあるが、不動信仰も妙見信仰も宗像信仰も全部受け入れた寺で、秘事法門のように弾圧されるようなこともなかったようだが、大拙の母も近代化の中で夫と財産と子どもを失い苦労した人であり、祖母も戦争で夫(祖父)を失い苦労した人であったからだ。

 そして祖母は自身の信心が子どもたちにあまり理解されなかったことが寂しかったのではないかなと想像した。

 ともあれ、池上本門寺は生きた信仰の場という雰囲気があり、穏やかで良いお寺だった。これまで私が関心を持ったのは真言宗禅宗で、日蓮に興味を持ったことがなかったのだが、日蓮が非常に神仏習合色が強い人であることにちょっと興味が出て来た。

 そして漠然と、父が祖母の宗教心をあまり否定的に捉えないようになってくれたらいいな…と思っている。


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