今、東京国立博物館で
という展覧会をやっている。できればこういうビッグイベントの時に見に行くのは避けたかったのだが、どうしても見たい絵(あまり公開されない)があって初日に出かけることにした。20日から旅行支援が始まるのでせめてその前にと思ったのだが、それでもすごい人出で外国人の姿も多かった。
展示会のテーマが「国宝」なんて漠然とし過ぎているとは思っていたが、本当に絵巻物やら刀剣やら埴輪やらが「国宝」という括りでこれでもかと並べられているのには恐れ入った。
こういう時には見たい絵に集中するに限る。私は目当ての「虚空蔵菩薩像」(平安時代)に向い満足するまで見ることにした。それでも最後まで見ておこうと思い、お昼休憩を入れて二時間ほどは中にいた。
それにしてもミュージアムショップのレジの行列の長かったこと…。図版目録ならすぐ買えるのだがグッズのレジが長蛇の列なのだ。そうまでして買いたいものがあるということなのだろうが、私にはよく分からない。
今回の目的である虚空蔵菩薩像は、戦前に井上馨から三井家に渡り東博に寄贈され国宝となった仏画だが、由来がはっきりしていない。
虚空蔵菩薩に信仰の篤かった、鳥羽上皇の皇后・藤原泰子の発願で描かれたという説が有力だが、保存状態が非常に良いことからあまり外気に触れることなく大切に保管されてきたと考えられている。
仏画というのは厳密に決められた仏の特徴に沿って書かれ、様式化されているのだが、この虚空蔵菩薩の顔は仏画の様式から離れており、仏師ではなく絵師が顔を描いたのではないかと言われている。
私はその論文を読んでから、この絵は藤原泰子が自分の顔に似せて密かに描かせた絵なのではないかと思っていたのだが、今回実際に絵を見て、これは仏ではなく藤原泰子の顔だ!という確信に近い感じがあった。
図版では真正面からの顔になるのだが、今回の展示では虚空蔵菩薩を私の目線だと少し見上げるような位置から見ることになる。仏画はそういう位置から見るように書かれているものだが、そうやって見ると図版で見るより頬がふんわり丸く眼も優し気で、もっと女性的・人間的に見えるのだ。
藤原泰子は30代後半になってから上皇と結婚した藤原摂関家棟梁の娘で、結婚生活はあまり幸せではなかったと言われているが、同じく国宝である扇面法華経冊子(扇紙に法華経と市井の人々や内裏の人々などの絵を描いた)も藤原泰子の発願という説が有力である。私は仏教の信仰が深かった泰子は女人成仏を願って仏画を描いたのではないだろうかと想像している。
私は丹田を虚空蔵菩薩に向け、全身で見ることに集注した。すると虚空蔵菩薩の姿が3D画像のように画面から浮き上がりはっきりと見えてきた。仏画というのはこうやって見るのが本当なのだと思った。
その日は結局、本館・東洋館・法隆寺館も見てしまい、午前中から夕方近くまで国立博物館にいたので、帰りにはへとへとになってしまったが本当に充たされたという気がした。本館の建築が良いのにも驚いた。
本館の展示室で外国人ツーリストが展示物を見ながら「Amazing…」と呟くのが聴こえてきたのだが、やはり感動を持って見てくれるのは嬉しいし、同時に価値を教えられたような気がした。今思い返してもいい一日だった。