アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

病症が身体を治す

病症の意味を理解する 

 前々回書いた内容についてのコメントを頂いていて、そのことについて書きたいな…と思いながら書けなかったのだが、ちょっと書けそうな気がしてきたので書いてみる。でもきっとちゃんとはまとめられそうもない…。

 

 以前、私は、整体の勉強を本格的にするかどうかを決めようとしていた頃、普通小学校のクラスで、多動と自閉があると言われている男の子の学習介助をやったことについて書いたことがある。

 弟子入りするために引っ越すことを決めた後、その子と離れ難くなっていた私は、学年末に思い切って「六年生になったら、私はもう来られなくなる」とその子に話した。すると彼はあっけらかんと「○○さん(私の名前)、死んじゃうの?」と言った。

 私はその言葉にはっとして、「さよならとは、少しの間、死ぬことだ」という古いハードボイルド映画の探偵の台詞を思い出した。彼がなぜそのように理解するようになったのか分からないが、感傷に浸ることのない、彼の禅的ともいえる言葉が今でも強く印象に残っている。

  今回、コメントしてくれた人の話に入ろう。

もしかしたら病気以外の事故や破産、

大切な人との別れと言った人生の打撃全てが

魂が自らを成長させるために

無意識に引き寄せる事なのかも知れません。

病気を経過することによって得られる果実があまりに大きく、

現在の、その人にとって様々な意味において

背負いきれない影響を及ぼすとするなら、

死という道を選択し、さなぎと成りながらメタモルフォーゼを待つ。

という事もあるのでしょう⋯

 と言う。

 確かに、子どもの感染症のほぼ全てが免疫獲得と発達に必要であることはよく知られているし、病症が始まるときというのは、偏り疲労が限界に達してそれを打開しようとする方向に移り始める時だ。経過が乱れたり慢性化することもあるが、最初はそうだ。

 前回、頸椎の痛みのことを書いてはみたものの、プライバシーに配慮が足りないと思い削除したのだが、頸椎というのは情動的なショックが最初にあって、そこから立ち直ろうとして痛みや障りが起こることが多い。

 痛みのある部位にヘルニアがある場合も、以前からそこに歪む癖がある、また下腹の力が弱くて重心が高く、頸で衝撃を受けやすいという前提がある場合が多いのではないだろうか。そして情動が起きた後、身心の安らぎが得られず弛めない時、強い痛みが生じるのだ。

 様々な出来事も、それができるかどうかはわからないが、今の自分を超えるために、無意識的に自らそれを招くのだろう。

 がんになるということは、身心の深い層で分離が起き、その分離した部分が全体的な秩序に従わず暴走しているということだと思うが、がん細胞そのものは「死なない細胞」であるというのは本当に不思議だ。深い絶望と、生きようとする生命の葛藤なのかもしれない。

 先生は晩年、自分が個人指導をする意味を問い続けていたのだと思う。先生の個人指導は潜在意識を中心としていて、受ける側がそれを意識化し、理解する、言語化するという面を重視していた。

 それは野口先生との相違であったと思うが、それでも相手は無意識のまま、またさほどとは感じないまま終わるという部分は相当にあって、指導者が関与することの意味も、実際には相手によく分からないということも多い。

 それに耐えていくのが修行と言えばそうだが、身体的な実践で体験する内容というのはその人がどういう理解をしているか、どのくらいの信があるか、どのくらい心を開いているかによって変わる。

 命を削るように指導しても、受ける側は浅い理解になっていく一方のように感じられたのではないだろうか。そういう問いがあって、先生は未刊の原稿に取り組み続けていたのだと思う。

 ちょっと先生と先生の指導を知らない人には理解できない内容になってしまったが、きっと先生は、野口先生の下で再び修行をしているに違いない、と私は思っている。

 (補)「さよならとは…」
wikiによると、『長いお別れ』の中のフィリップ・マーロウの言葉。
私の記憶は映画だったのか、小説だったのか分からなくなってしまった。
原文は「To say Good bye is to die a little.」、
村上春樹訳では「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」。こっちのほうが正確。
さよならを言うのは、少しの間、相手の日常の中から消えることという意味。
また会う時までなのか、死後生までなのかは分からない。