アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

体を立て直すことと立ち直ること

 昨年は整体の先生が亡くなるという、私がこれまで生きてきた中では最大の衝撃ともいえる出来事があった。しかしその後、心と体を立て直していく過程で、「脱力」と「偏り疲労の調整」という整体の智慧がこれほど有難いものか、と身を以って再認識することになった。

 仏教では生きる苦しみの中に「愛別離苦(愛するものと別れる苦しみ)」「怨憎会苦(怨み・憎しみを感じる相手に会う苦しみ)」を挙げている。生きる上での感情的ショックとその後の苦しみから立ち直っていく上で、体から立て直していく、そこに他者の手が関与することができるというのは整体ならではだと思う。 

 

 また、誰かが亡くなるという時、時間と空間の次元が変わるのか、不思議なことが起こる。整体の先生が亡くなる半年ほど前、ほぼ毎晩観ていた先生の状態が変わった。それは言葉では表現できない、中の動きが「止まる」方向に向いていっているという恐ろしい感覚だ。

 私は何とかしなければ先生は死んでしまうと思ったが、自分にはどうしようもないことを漠然と感じていた。操法をお願いできる方がいるのなら土下座してでもお願いしたかった。しかし先生は望まなかったし、最期が近づいたことを先生自身も気づいていた(唯諾々と死を受け入れたという意味ではない)。私は足下がだんだん崩れ、自分が砂に埋もれていきそうな気持になっていた。

 そんな頃、先生が死んだという噂がどこからか流れ、知人から先生に確認の電話がかかってきたのだ。先生がその電話に出た時、私は隣にいてこれから本を出すこと、入門して51年目に入ることなどを話しているのを聞いた。

 しかし生きているのかどうかの確認の電話だったとは知らず、先生が亡くなって数か月後に確認の電話をしてきた人から事情を聞いたのだった。実際は整体協会の他の指導者が亡くなったとのことだったが、私はその話を聞いた時、心底驚いてしまった。

 先生に関わることではこの他にも不思議なことがあって、こうした特異な状態から日常に再適応していくのも大変だったが、戻るべき身心のあり方を、多少なりとも身につけていたことは大きな支えになった。

 自分の健康は自分で保つ、というのが野口整体の目標ではあるけれど、今は個人指導をして下さる先生がいたら受けてもよかったかもしれないと思う。実際、個人指導こそ受けなかったが、自分一人では到底あの状態から抜け出すことなどできなかったし、個人指導の意味と大切さに対する理解も深まった。そして大切な人の死という体験を、忘れるのではなく、自分の心を深める体験にしていくことも、整体を通してなら可能なのではないかと思っている。

 また、こうしたことを整体の仕事を通して伝え、他者とも共有していけたらいいな・・・と思う。