今、小林桜児『人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション』という本を読んでいる。著者は精神科医で依存症を専門とし、松本俊彦医師とSMARPP(覚せい剤再発予防プログラム)を開発、現在神奈川県立精神医療センター所長である。
今度、小林医師の講座を受講することにしたので読み始めたのだが、松本俊彦医師とは見方が少し違うところがある。たとえば大麻使用罪については小林医師は賛成(但し処罰目的ではない)、松本医師は反対というように。
ネットで見たインタビューでは「松本先生は患者を診る数が減ってるから賛成してる(=臨床から離れて研究職になったからの意)」位のことを仰っていてちょっとびっくり。同様に松本医師が依存症の病理として使う自己治療(心理的苦痛を自分なりに癒そうとしている)という見方ではなく、信頼障害(心理的苦痛があっても、他者との本音の感情交流を求めない)という見方に立っている。
ただ、小林医師は自己治療仮説を「依存症患者だけではなく人間すべてがやることで依存症の説明として不十分」と言うが、小林医師の信頼障害仮説(心理的苦痛を単独行動や物質摂取によって解決しようとする)もかなりの人がやっているし、依存症者の支援や処遇についても私には基本的な考えは松本医師と同じと思われた。
それに小林医師は文学部哲学科出身、松本医師も文学的で、理系一色ではないところも共通していて、私の好み。まあいいけど。本当は仲いいのかもしれない。
この本の内容自体は当事者が読むことも想定して書いたというだけあって分かりやすく、当事者ミーティングの前に必要な支援など、これまで私が感じた疑問について十分に答えてくれる本だった。また回復ではなく心の成長を治療の目的とするという考えも心から共感できる。
本音の感情交流ができない、人間関係でストレスが生じても我慢するだけで言葉を通して解決をはかろうとしない。その背景は多様だが、子どもの時からそのようにして生きていくしかなかった歴史がある。その深さや質、在り方に違いはあっても、そんな依存症者の人物像はどこか自身と重なると思う人も多いのではないだろうか。
人と心の通う対話ができるようになることが成長だとするなら、すべての人に共通する課題だと言えよう。ユングも患者の心的孤立に注目し、症状の消失ではなく成長を目指す医師だった。
そして人間には「対話の要求」があり、自己との対話、他者との対話両方が必要である…というのが野口晴哉最晩年の講義テーマだった。
いろんなことが重なって思い起こされる。小林先生の講座も楽しみにしている。