大学生だった頃、私は学内の陶芸クラブで陶芸に夢中になっていた。クラブは教育学科の学生と陶芸をやっていた造形教育の教授が始めたと先輩から聞いたことがある。
そのつながりで、私も顧問の教授と特別支援中学校で陶芸を教えるのを手伝いに行ったり、野焼きや窯で作品を焼成するのを手伝ったりしていた。生徒が作品をつくっていく姿と野焼きの熾火の中の作品は今も心に残っている。
それは私が福祉に関わるきっかけでもあったが、障害者の表現活動と作品に触れるきっかけとなり、その後も関心を持ちつづけるようになった。
20代の頃には、平塚市にある工房絵(かい)に施設見学に行ったこともある。当時、障害者の芸術活動はエイブルアートと呼ばれていた。英語ではアウトサイダーアートというそうだが、アウトサイダーoutsiderという語感が日本では「はみだし者」みたいでなじみにくく、エイブルアートAble Artと言い換えたのだそうだ。
そして近年はアール・ブリュットArt Brutと呼ばれるようになった。美術的な専門教育を受けていない人による芸術として、障害者という枠を超え、受刑者、霊媒、一般の労働省、入院中の患者など広範な人々の表現を意味する。
それは「与えられた人生の限られた時間における生存や処世術としての創作」という人もいる。
そういう意味では私自身もアール・ブリュットの中に含まれると思う。何か作ったり、表現したりがないとと自分が分からなくなる病を持つ者として。
私の働く施設の通所者の中にも絵を描く人や写真を撮る人がいる。AIはどれだけ上手い絵を描き写真を撮ったとしても、表現したいという欲求は持っていないが、人間にはそれがある。
それが芸術の源だとするならば、アール・ブリュットはその根源をそのまま見せてくれる表現と言える。メインストリームにはなれなくても。
当時者として支援者として、何かのかたちでアール・ブリュットの活動に関わっていきたい。