アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

Borrowed Time

 またブログ更新の間が空いてしまった…。その間に、ずいぶん暑くなってきた。実は先日、私の父が二回目の手術をしたのだが、月末に退院が決まった。

 今回の父の手術は先進医療のロボット支援手術というものだった。べつにアンドロイドが「ハジメマス」などと言って執刀するわけではなく、ロボットのアームを人間の医師が操作するわけだが、すごいことになってきたものだ。 

 手術自体の精度は向上するようだが、胃を半分切除することになったし、その後の回復は本人の体力にかかっている。それでも退院が決まってほっとしているところである。

 家族の病気というのは、様々思うことはあっても言葉にすることが意外に難しい。本人も訴えられないことを抱えているが、他の家族もそういう状態になりやすい。これは不登校の子どもがいたり、障害のある子がいたりする家庭でもそうだと思う。

 こういう時大切にしてほしいのは、「本音」「本心」というものである。本人も、家族もそこから決して離れない、目を背けないことだ。

 以前、フリースクールのお手伝いをしていた時、一番良くないのは、家族が世間の人と同じようなことを子どもに言ったり、同じような目で見たりすることだという話を聞いたことがあったが、病人を抱えた家庭でもそれは言える。

 医学的な知識というのは検索すればすぐに得られるし、それ以外以外にもいろいろ良いとされていることがあって、ああすればいいとかこれが悪いとか、そういう話ばかりしてしまいがちだ。また、医師や看護師によく思われたいという気持ちが強い人もいる。

 しかし家族の役割というのは医療者とは違うところにあって、どこまでも本人に添っていくことが大切である。それは皮膚感覚や味覚など、本人の感じ方(快・不快)を大切にすることと言っても良いだろう。

 医師や看護師と同じ目で患者を見たり、同じようなことを言わないことが真に患者を支えることになるのだが、客観性を身に付けてしまった現代人はそれが難しく、患者を孤立させてしまいやすい。そして、病気とその人を切り離して考えるあまりに、病む人特有の心理状態があることも分からない人が多い。

 整体をやっている私、ロボット支援手術を受けた父。以前の私ならこういうことを大きな隔たりとして感じたかもしれない。しかし今、私はそんな風に思ってはいない。何が正しいかなど、執刀医にもだれにも分からない。ただ何を選ぶのかということだけだ。

 ともあれ、梅雨は早くも終わり、夏本番に入りそうな暑さである。私はだんだん、肉類を食べる量が減って、ご飯や麺類の量も減り、野菜が食事の中心になってきている。これが私の夏の食生活で、その方が体を軽く感じる。

 夏になるとスタミナをつけるとか言って、肉を喰らう人もいるが、私はだんだんそうなってきたのだ。トマト、ナス、ズッキーニなど夏野菜のラグー(煮込み)が思いのほかおいしくできた。さ、私のBorrowed Timeを生きていこう。

https://youtu.be/EC-useevSM4