アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

平均化訓練の思い出

 先日、富山から「幻のますの寿司」というものを送って下さった方がいた。これまでに三回頂き、どれも違うお店だったのだが、富山には首都圏では知られていない隠れたますの寿司店が多くあるようだ。今回のますの寿司も美味しく、様式?は同じだが味わいには個性がある。しかし例によって写真を撮ることなど一顧だにせずいきなり食べてしまったので、写真はない…。

 それにしても長い間このブログを書かないままになっていた。ずっと気になってはいたけれど、日常に流されて自分の焦点が定まらなかったのだ。

 やっぱり鈴木大拙ではないけれど「朝から晩まであわただしい、機械化した生活から一歩退いてその圏外に立って、この世界を見る」というのは大切で、ささやかなブログであっても自分にとってはそういう「自分が世界を見る視点をたしかめる」意味があるのだな、と思う。

 そして先日、指導に来ている人が『平均化訓練』という本を持ってきてくれた。その人にはまだ話していないけれど、私はこのブログを書き始めた頃、平均化訓練のクラスに何度か参加したことがあるのだが、当時まだ本は出ておらず、出版される前に参加できなくなってしまったので、それきりになっていた。

以前、主宰の野口晴胤先生は野口晴哉に似ているという話を聞いたことがあったが、初めて先生のお顔を拝見した時、全然似ていなかったのが印象的?だった。むしろ全身的な雰囲気は野口晴哉よりSuchmosのYonce(vocal)に似ていると思ったが、そう思うのも私一人だろうから、誰かに似ているなんていうのはそんな程度のことなのだろう。

それはともかく、平均化訓練というのを知らない人には分かりにくい話ではあるが、先生は会の中で平均化訓練をしている時、何か次の動きに入れなかったりどうしたらいいか分からなくなったりしても、「誰か助けてくれるよ」(誰かに誘発されることで展開していくという意)と言ったことがあったな…と本をめくりながら、思い出した。

 当時私は、整体の師匠が亡くなる前の苦しかった5~6か月間、死のショック、その後の孤立無援な状況や誰とも共有できない喪失感や悲しみで、誰かが助けてくれるなんていう言葉は私の中から消え去っていた。しかし先生はまるで当たり前の事実といった風に、すらっとそう言ったのだった。

 それは私一人にむけて言ったことではなかったけれど、「ああそうだ、そういう感じ忘れてた…」と、何か止まっていた自分の心の流れが戻ってきたような気がした。それは今でもはっきり思い出すことができる。

 失礼ながら野口整体についての考え方においては、野口晴胤先生に共感できない面が結構あって、かなり異なる捉え方をしていると思う。それに私は最初から活元運動に優るとは思っていなかったこと、先生を整体協会の指導者として見ていたことなども重なって、平均化訓練そのものはよく分からないまま終わってしまった。

しかし先生の死後、自分の属していた組織を離れて初めて参加した会であり、自分が明るさを取り戻す過程で必要な時間だったと今も思っているし、先生にも会に参加している人たちにも感謝している。本を持ってきてくれた人のおかげで、中途半端になっていたことをすっきりさせることができた。

★梅雨時の身体

 今は気温の変動が激しくて湿度も高く、節電や換気のために空調もおかしな感じになっている。呼吸器や泌尿器に影響が出たり、体の動きが重くなったりすることもあるかもしれない。時々歩幅を広げ、5~6歩大股で歩いてみるとすっきりするので試してほしい。階段の一段抜かしも時にはいい。脚の裏(腿の後ろ側~アキレス腱)が伸びるようにイメージするのがポイント。