学生の頃読んだ折口信夫の論文(大嘗祭の起源、水の女など)には、昔は「おおつごもり」と読んだ、とあった。大晦日には来訪神が家を訪れ、新しい魂を与える。稲魂などの穀物の魂、家族の魂も新しく授かることができるという信仰があったそうだ。
年末に新しい着物を新調するのは、新しい魂を包むためであり、日本には巫女が機を織り来訪神を待つという信仰があった…なんてことを書いたのが私の拙い卒論だった。
論文としては突っ込みどころ満載だけどすごく面白かった!というのが指導教授の所感で、このネタ頂戴と言われて差し上げたのもいい思い出だ。
ともあれ自分のことを物質同様、経年劣化していくような存在だと捉えがちではあるが、魂は循環し何度も死んで再生するという世界観もあることは覚えておいてもいいかと思う。
このところ何だか疲れてしまい、休みたい!という一心で、あと何日と数えながら昨日まで仕事していた。だから私の部屋は中途半端な片付けしかできておらず、来訪神を迎えるには気後れするような状態だが仕方ない。新しい魂貰えるかな…。
去年、精神保健福祉士の勉強を始めてから、私は毎月1回はキャッシュカードやクレジットカードなどを拾うようになった。
また2ヶ月に1回位電車で人が倒れたりするのに遭遇し介抱したり電車を止めたり、道で困っている人に助けを求められたり、近所で起きた事件に関わったりするようになった。以前からそういう出来事が起こるのは一般的な頻度より高かったが、それが加速したのだ。
このところ治まっていたのだが、昨日たまたま電車で私と同じ学校で精神保健福祉士の勉強をしている人と話をしていたら、すぐ近くで高齢の男性が倒れてしまった。2人で助け起こそうとさたり乗務員に伝えたりする出来事があった。
私が重くて助け起こすのに苦労していたら、外国の男性がさっと助け起こしシートに座らせてくれた。ありがとうございますと言うとなぜか笑顔で合掌したので笑ってしまった。
その後、友人は福祉の勉強を始めてからこういうことに遭遇するようになったと言っていた。私の頻度を言うと「そこまでではない」と言っていたが、私だけではないんだな…と思った。
自分の関心が高まっていることもあるけれど、何か自分の役目というか、そういう自覚を持たせようという何かの意思かもしれないな…とぼんやり思ったりもする。福祉の勉強をしている人全員そうではないだろうけど。
福祉の世界に入ってはみたものの、すんなりその場に納まることができているわけではなく、無理なのかな…という気持ちがふとした時によぎる。どこに行ってもSome are Good,Some are Badとは分かっていても。それが今の現状だけれど、ちょっと休んで新しい気持ちになりたい。
大掃除はおそまつだけれど、どうか新しい魂を下さい!と神社でお願いしようと思っている。