本日1月14日(または15日)は左義長(さぎちょう・どんど焼)の日である。私の住む地域の神社でも夕方から儀礼が始まり、注連縄などが焚べられた。
私はうっかり明日だと思い、のこのこ正月飾りを持っていったらすでに盛大に火が燃えていてちょっと焦った…。でもお飾りは受け取ってもらえた上、思いがけず焚火も見ることができたのは有難い。
境内では御神酒とスルメが振舞われ、先が三又になった鉄の棒に三色の団子を刺したものを渡された。これを焚火に炙って食べるのである。
こういうのが大好物な私はさっそく注連縄に囲まれた中に入ってお団子を炙った。 燃えている火を見ていると、雑念が消えて無心になって来るのが不思議である。なお団子は餅米ではなくうるち米の団子で炙るとなかなか美味しい。
左義長の神火は大晦日に来訪した歳神を山(霊界)に送る意味があるという。昔、1月15日は小正月と言われ、左義長を始めとして民俗的に興味深い儀礼が各地に残っている。
なんだかすがすがしい気持ちになって神社を後にし、自宅に戻ってからクリームシチューを作った。そして食事の後、余剰気味の卵と牛乳、そして冷凍したリンゴのキャラメリゼを使ってブレッドプディングまで仕込んでしまった(焼くのは明日)。左義長の炎で雑念が消えたせいか作業が進むのが早い…。
その後、ぼんやり指導をしている人のことを思った。今、私としては「それでいいの?」と言いたくなるような状態にある人だ。言わないけれど…。都会に住む人も、たまには燃えさかる火でも眺めて頭を空っぽにする方がいい。そうすると、余計な思考が抜けて、自分の心がはっきりしてくる。
そもそも活元運動というのは身体的に、もっと深いレベルでそういう心の状態をもたらすのが目的なのだが、そこまで指導できていないかな、と反省した。なにはともあれ、その人にとって一番適った方向に向っていってほしい、その羅針盤は自分の体にすでにあるのだから。
写真は左義長の神火。