20代の終わり頃、私は知人からジョージア・オキーフの画集を借してもらい夢中になって見入っていたことがある。
知り合いの売れない絵描きがその画集をふと目にして「オキーフだね、こういうの好きなんだ」と言うので、何か知らないけど今はまってると言うと、彼は「君の中にも同じものがあるんだよ」と言った。
私は「そうかな…」と言いながら、自分の本質を言い当てられた気がして内心どきりとした。痩せても枯れてもやっぱり彼は絵描きなのだと思った。
私がオキーフの絵に惹かれた理由はその絵の描き方にあって、彼女の画面いっぱいに拡大されて描かれた花の絵はよく知られている。
私は植物や生物を見る時、対象だけに焦点を合わせ、近づいてアップで見る癖があるのだが、その時に見えるもの、感じることと同じことをオキーフが描いているように思えたのだった。
私が見て、感じている世界のことは誰にも話したことはなく、じっとものを見るのも人に気づかれないようにしていたから、オキーフがそれを芸術として表現していることに心を打たれた。そしてオキーフに夢中になっていたのだった。
そういう時期は長く続いたわけではなく、今見てもその時ほど心を捉えられたような気がしないが、オキーフは強い印象を残した画家だった。その後整体を始めてから、オキーフの身体つきと佇まいに開閉型9種が色濃く受け取られること、先に述べたものの見方は9種の特徴であることを知った。
そして私は最近、どういうわけか花を作りたい!という要求が強くなり、ついにフランスのオートクチュールで使われるコサージュ製作技法を習うことになったのだが、これもどうやらオキーフの影響が現在にまで及んでいる気がする。
分不相応に費用もかかるし、普段コサージュをつけるような服装もしていないのに、私は小さな頃からコサージュが好きだった。
6才位の時、ピアノの発表会のために初めて小花のコサージュを買ってもらったのだが、たしかそれは手作り作家のもので花びらを染めてコサージュを作る教室をしている人だった。私は強い印象を受け、憧れたのだが小さかったから習う事はできなかった。
そういう執念が続いているのも9種的と言えるかもしれない…。
精神障害者の施設などで染織やコサージュ制作などを教えたいという夢もあって始めた習い事ではあるが、要求というのは心のエネルギーを方向づけるものであり、現実化へと動きつづけるのだなとつくづく思う。野口晴哉の言う通り「空想は現実をつくる力」なのだ。
