アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

今の私

 今日は個人指導の後、どうしてもブレッドプディングが食べたくなり、冷凍食パンを使ってささっと仕込んでおやつにした。その後の夕食はシンプルに海苔多めのタラコスパゲッティと味噌汁。指導の後というのは不思議なもので、すごく食べたい時と軽くしたい時がある。どちらがいいとも言えないが、いずれも美味しく感じる。

 個人指導ではこのところ仙腸関節操法をすることが続いたのだが、これをやる時はいつも「そうそう、得意技だったな…」と整体の師匠のことを思い出し、ふっと笑いたくなる。笑っていてはいけないのだけれど懐かしい。

 また、指導をしている人の中に父親が急に亡くなった人がいて、話を聞く機会があった。死というものの受け止め方はその人の生きてきた過程と故人との関わりによって異なり、以前ここで書いた人とも違うその人だけの個人的体験である。

 今回の人は突然だったこともあり、深く関与することなく父の死を迎えることになったようだが、それでもこういう話は興味深いものである。しかし、本人の心の整理という意味では案外時間がかかるかもしれないと思う。まだ分からないけれど。

 以前から考えていたことではあるが、私は死を受け入れる、またショックを経過するための少人数でのグループワークをやりたいと考えていて、話をするのみならず身体的なアプローチを含めたものを模索している。

 私の中心というか、基盤は野口整体なので、私がそこから離れることはないけれど、野口整体を前に出さずに門戸を広くし、いろんな人が参加できるようにすることで、より広く野口整体の智を役立てることができるのではないかと思う。

 こういうグループワークは抑うつ症などの人が社会復帰する過程においても役立つものになるだろうと妄想?している。

 頭ではなく、体から湧いてくる気持ちに表現の形が与えられる時、ふっと硬張りが解け、心身が切り替わる。こういうことは野口晴哉も言っていることではあるが本当に身を以て体験させてくれたのは整体の師匠だった。こういうことは健康人より苦しんでいる人の方が実感できるものである。4月からは実現のための勉強が始まることになった。個人指導も活元会も続けつつ、ちょっと無理をしてみることにしたのだ。

 とりあえず今は未来を空想しながら、頑張ってみることにしよう。

自発的行為を抑圧してしまうと、心に反動的な動きが生ずる。

笑うのを堪えていると吹き出したり、悲しさに耐えていると涙が出てしまったり、何もかも面倒になったり、そればかりではない、体の生理現象にも変動が生ずる。

喘息とか、自家中毒とか、自閉症とかいわれているような症状を呈するし、口が利けなくなったり、半身不随になったり、筋委縮を起こしたりすることもある。

これらも自発性を抑えたことに対する自律現象といえるのだが、このことを知らない人は慢性病だとか、理由の判らない病気だとか、いろいろの難しい病名をつけて体相手に治療しているが、自発性を恢復させると体も恢復してしまうことが多い。

野口晴哉