先日、著名な政治家が銃撃されるという出来事があった。逮捕された人の動機は、宗教団体に対する怨恨だという。亡くなった政治家はかつて海外のマスコミにultora right wingと紹介された人で、狙撃した人は自衛隊にいた人なのだが、事件の背景に思想・政治色はまったくないようだ。
新型コロナも、ウクライナ侵攻も、今回の事件も、良いとか悪いとかいう判断を拒絶しているというか、思ってもみなかったことを一方的に突然突きつけられるという感が強くて、思考停止に陥りそうだ。
折しもその日、指導をしている人から急性症状の手当てを教えてほしいというメールがあって、そのやりとりをしたのだが、その時、私にとってのリアルはこういうことなんだな…とふと思った。そういう実感がないと、何だかわけの分からない集団心理のような流れに飲まれてしまいそうになる。
世の中に信じがたいようなことが次々と起きて、世界は一歩ずつ悪い方向に歩んでいるような気になってくるが、自分が関与できることに集注して、良くなっていく方向を見つける羅針盤を失わないようにしたい。
それはともかく、新型コロナは第7波が来たと言われている。第6派より症状が重い傾向があるという。また、重症化率などは以前と違って日本も海外もあまり変わらなくなってきているようだ。しかしこれまでと違うのは、心配性の日本人も慣れてきたということである。自分や身近な人が発症すればそれなりに慌てるのだろうけれど。
今年はオーストラリア(今は冬)でインフルエンザが流行しているようで、多分コロナだかインフルエンザなのか分からなくなっていくのだろう。
これから世の中はどうなっていくのか分からないけれど、ともかく今大切にしたいのは個の感覚、そしてはっきりした明瞭な意識なのだと思う。それは近代的な理性というだけではなくて、澄んだ心の状態で、感覚を敏感に働かせること、要求と行動をひとつにしていくことができる状態とも言える。
最近、自分を「整える」ということが言われるようになってきたが、野口整体の「整える」はリラックスとか癒しというだけではなく、視界をはっきりさせたり、広くしたり、高くしたりすることを含むものである。私自身も整えて、静かを保てるようにしよう…。